ミラノ チョイ住み

ミラノ ドォーモ 屋上 外国にチョイ住み

旅は楽しいですね。日常を離れて、yomeは洗濯・食事から解放されます。しかし、私にはyomeがいる限り日常の延長となります。ならば、その日常の二人が旅で何か非日常を新たになそう考えると、行くところ、期間により様々な楽しみが生まれます。
結婚して45年を経ているので、夫婦旅の数は大変多いですが、いつもの二人が非日常の海外で日常
生活をするという、チョイ住みの楽しみに勝るものはありません。皆さんの参考となるチョイ住み1か月の都市生活から私のブログ「旅行」をはじめてみましょう。

サラリーマンを辞めて、楽しみにしていたのは海外のチョイ住みです。ミラノ、ロンドン、ニューヨークのどの都市も、私は2度、3度と訪ねています。しかし、「都市」を本でなく、生活体験として得たかったのでした。
格安航空券の往復最長は1か月。長期アパートの契約は最短1か月から。と言う事からチョイ住みは一か月となりました。Airbnbでのオーナーとの事前のやり取りは英語のメールとなり大変ですが、やった分だけ安く良い場所を得られます。勇気をもって試してみてください。
yomeは洗濯・食事を日本と同じように行う事になるので「こんなの、旅行でない。」と不平たらたらですが、オペラ、ミュージカルの夜は外食ですので、そこで、まぁ、良いかと。その為には一週間で一回は外に出られるように、日本でチケットの事前購入が必要です。ネットで簡単にできます。
でも、地元の食材を市場で買っで料理をするのは楽しいですよ。包丁は使い慣れたものを研ぎ機と共に持ち込みましょう。

ミラノ にチョイ住み一か月、の前にイタリアには3回行っています

まずは、なぜミラノか?ですが、1979年27歳のジャルパック9日間ではイアリアはローマ、フィレンチェだけでした。イタリア好きのyome34歳との1990年北イタリア15日間では、ミラノは2泊Ⅰ.5 日でした。2005年私53歳のイタリア19日間は<南イタリアをレンタカーで巡る>がメインであり、ローマより北には行っていません。
「建築家としてローマ詣では必要だ。」と言うものが昔からいます。ハードな列車の旅をようやく38歳で仕組んだのでしたが、アモーレ(愛)、マンジャーレ(食)、カンターレ(歌)のおおらかさにすっかりやられてしまい、イタリア好きになりました。結婚25周年旅行は、素朴な「食材を生かす」南イタリア料理にはまりました。肉も野菜もワインも風土から醸しだされた個性豊かなもので、とても美味かったです。

イタリア経済を引っ張る人口130万人のミラノにチョイ住みすれば、スカラ座でオペラを堪能でき、国際見本市会場でイタリアデザインを見聞し、サッカー・カーレースの熱気に触れることもできよう。イタリアというだけでなく、ヨーロッパの都市文化を味わえよう。でした。

ロンバルデイア平野のパヴィア、ベルガモ、トリノ、マンツァ、クレモナに日帰り旅をしましたが、都市史の展示はどこも丁寧でした。博物館がなくても教会にありました。
キリスト教と王の長い争いの後、ナポレオンの戴冠によって、民主主義は生まれてきたこと、都市国家の長い歴史が今もコムーネという地方自治体の形に生きている事を知りました。
12世紀よりイタリア中部・北部地域に存在した都市民の共同体をコムーネと呼びます。コムーネは都市の有力市民、ギルドの代表によって運営され、都市とその郊外農村地域を統治していました。
ローマ帝国以降、王・支配者は頻繁に変わるのですが、教会と都市民との関係性に大きな変化が起きなかったため、9世紀からの東方のマジャール人と南方のイスラーム勢力から身を守るために司教の周りに人々が集結し、司教は精神だけではなく都市の秩序を守るコムーネの支柱ともなりました。

ミラノのどこに住む?は、「地球の歩き方」

ウイキぺデイアにもミラノの都市史は書かれてますし、ミラノ在の日本人のブログもありますが、「地球の歩き方」はネット時代の今でも外せません。方面別の街の歩き方が書かれているのがわかり良く、その街の様子とAirbnbの宿賃を見比べます。
真の都心の宿賃はバカ高いですので、そこから路面電車一本のところで探します。ミラノ市内は路面電車が自家用車を蹴散らして威張っています。

「南の運河沿いが若者が集まる楽しいところ。」と熊さんから聞いていたので、グーグルアースでCorso di Porta Ticinese を見ると、古くからの商店が連なってあり、スーパーマーケットはもちろん、市場も近くに立つとありました。グーグルアースで窓と屋根を見るのですが、私はそこから平面図が透けて見えるのですよね。このワンベッドルームのアパートは予想通り学生がメインの賑やかなアパートでした。両隣ともスタジオタイプで学生さんでした。エレベータがないアパートもあるので、ここポイントです。

アパートと前の通りです。この道路で路面電車が対面すると、自動車も自転車も必死で逃げます。路面電車は時速30kmぐらいかな。

ミラノの都市史は、城壁の位置で明確です。今も1560年のスペインの壁は明確に残っています。都市を囲む太い環状線となっています。その前の1170年の壁も、バスの環状線として残っています。313年、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が出したミラノからの勅令によってキリスト教が公認されたと学校で習いましたが、その時のミラノ外周の運河も通りとして残っています。日本でミラノと伍して語れる都市は京都しかありません。

住んだアパートは、ローマ時代のコロッセウム遺跡の近くでした。

2019年5月20日~6月21日行動表 使った金は、二人で120万円。

私は毎日フェイスブックに日記を書いていたので、フェイスブックをされている方は、検索されればその生の日記が出てきます。その後、7月になって「チョイ住み1か月」とフェイスブックにまとめています。フェイスブックで都市名での検索をすると、結構ヒットします。ここでは、そのまとめからさらに絞って、もってきます。

ウチ食 青空市場が楽しい。

チーズ・生ハム屋、肉屋の店は冷蔵車でした。肉屋では量り売りだけでなく、油で揚げ、グリルで焼いて売っています。初日に喜んで、鳩の丸焼き、ひょうたん型モッチェッレラ、生ハム、根っこ付きのバジルと、両手いっぱいに買ってしまいました。

何と言っても、ジェラートがミラノ食の一番です。店がウチのアパートの一階なんですよね。朝のゴミ出しと、夕食後ジェラート4種もり(イチゴ、パパイヤ、レモン、レモン)3.8ユーロの買い出しは、タバコを吸いたい私の仕事でした。ハンバーグ一個とかわらない値段ですが、摂氏30度のミラノです。もう、義務です!名古屋に帰ってから探しましたがレモーネがありません。

毎日のワインですが、暑くて、冷やした白ワインが断然美味く、ミラノ、パヴィア、ベルガモ、コモ湖、モンツァ、クレモナと外食のたびに、当地自慢のデラカッサ150mlの一杯を求め、なるほど、高い「香り」こそ、ワインの個性と知りました。舌の記憶は後に残る苦みがどうかだけで、さして重要ではないです。「香り」を求め、スーパーの棚は一本4€から8€へと、次第にあがって行ったのでした。

買ったワインは、yomeがラベルを写していたのですが、ブドウの品種が書かれていないのがほとんどでした。私が白で知っているのはシャドルネ/ソーヴィニヨンブラン/リースリングといった所ですが、そのどれとも違うことは間違いないです。

①シチリア産は、酸味の強い8€しか飲んでいない。

②トレンティーノ・アルト・アディジェ州というベネチアの北、ドイツに近いところの白ワインは、ラベルもビンの形もドイツワインと間違える。コモ湖でのワインはフルーティに甘さが少し加わっていたが、ミラノのスーパー7€は、甘くなかった。

③トスカーナのサンジミアーノ産を3種飲んでいる。食魔亭のソーヴイニヨンブランと似ているから私たちに良いのか?と思って買ったが、「香り」は違っていた。
ニュ―ランド産は、ミラノで食べたエジプトからの生ブドウの香りと同じだった。今日調べたら、ヴェルナッチャ(Vernaccia)種とある。7€=900円で、DOCG取得品が飲めるのでお得感があったのだが、日本には、もっと高いのしか入っていないようだ。

赤ワインは、オンドリマークが10€だが、美味いに決まっている。高級スーパPECKでは20€からなので、スーパの赤8€以下は酸味と苦みがあるが軽い、キャンティを少し冷やして飲んでいた。振り返ってみれば、食魔亭の赤も20€なのだ。南イタリアのマッタリ赤ワインはミラノのスーパーにはおいていなかった。

外食 30日間でデイナーは1回。ランチが6回

ミラノの牛肉は薄いです。これは薄く切ってありましたが、お昼の肉は叩いて薄くしてありました。なるほど、ミラノカツレツ ですか。分厚いビフテキはアメリカンなのでしょう。

交通  旅行者が欲しい情報ですよね

飛行機、地下鉄、トラム(路面電車)、バス、スクーター、電動キックボード、自動車と全て網羅。

ミラノ 交通

レンタカーは、飛行場までバスで行って借りました。コモ湖に行くのに、飛行場からの高速道路が良いと思ったのですが、高速に乗り損ね、市内を路面電車と共に走る事になりました。カーナビの使いかたがわからず、レンタカー店でコモ湖のホテルを入力してもらって大正解でした。

路面電車に尻を追われ、4車線の高速サーカスをしのいでA51→A4→A8→A9と渡り、長いトンネルを抜けて、ようやくコモ湖が見えた!となると、例のサークル交差点が現れ、どっちに行けばよいか。まったく、2回まわり、紙の地図で地名の確認です。あっちもこっちもコモ湖となっているゾ。その下の地域名など、20万分の1で読み取れるか!(実は字が小さいだけでありました。老眼メガネと拡大鏡の合わせ技となります。)
眺望の良い湖畔の駐車場に車を入れて、オープンにして狙いを定めて走り出すと、相互通行は4mの段差を取って行われ、やがてセンターラインがなくなり、石畳みが現れ、最後には赤信号で交互通行となるのでした。アマルフィー海岸以来のスリルです。私は右前のタイヤを3回も縁石に擦らせてしまいました。
ホテルは湖畔沿いのグランドホテルですのですぐに看板は見えるのですが、前にはバスがドーンとあり、駐車場完備たって、どこに止めるのか。そのままホテルの前を通り過ぎ、ユータンをできるところまで行くことになりました。

あくる日の帰りは、遠回りでも山越えでスイスに抜けて早く高速に出たいと思い、ホテルの支払いの時に話すと「国が違う。」と全否定でした。スイスはスイスフランとなるのです。道路が続いているから、は間違いで、高速道路料金で国境が現れるのでした。高速には改札がなく入れますが、途中に検問があり、1.7€ 2.3€ 2€と 合計6€で、70Kmぐらい走るのですが、35スイスフラン(6千円)を取られるのですと。
お勧めはフェリーでした。フェリーがあることを私は調べていなかってのでした。上の余裕の写真はフェリーの上だからできました。コモ湖の向こう側の帰り道は、センターラインが村の中に入ると消えるぐらいで済みました。こちらからフェリーで来るべきでした。

街あるき(1)

1984年に比べ、金髪大女は減りました。南イタリアからの出稼ぎ、アフリカ系が増えています。もともとハイヒールなどはける街でないので、底厚の運動靴風が多いです。へそ出しなどなんてごく普通です。バッグがファッションには大切だと見ました。yomeのようなズタ袋はだれも持っていません。荷物の多い女はコロのついたお洒落なキャリーバッグです。

後ろから見ると、男だか女だかわからないピチピチパンツ。大人の女ならではのフワフワ小道具。細身の体形こそが美しさの基本。てなところでしょうか。皆さんのご感想は?

思わず見比べるyome。

まずは、アパートから歩いて行けるところから、歩きます。

街歩き1

街歩き(2)最後の晩餐 名古屋に都市計画はない

アルマーニ村から、最後の晩餐、ウフォルツア城と名城公園。俳優によるダビンチは英語で話してくれる。面白い。

街歩き(2)

改めて、ミラノと名古屋の比較です。名古屋に都市計画がないのが一目でわかります。公園なくして生きていけないミラノっ子です。

街歩き(3)ドゥーモ 都心 Bugatta

街歩き3トリノ、エマニエル二世、ナポレオーネ

街歩き(4) ミラノ大学は遺跡だ

街歩き(4)ミラノ大学、科学館

街歩き(5) モダンシティ 公園 国際展示場

街歩き(5)シティライフ、展示場、公園

街歩き(6)スカラ座 ブレラ絵画館

街歩き(6)ブレラ、スカラ、ミシン王

街歩き(7)美術館 博物館

街歩き(7)邸宅美術館、自然史、イータリ―、アンブロージアーナ絵画館

教会

教会

サッカー 65000人の凄さ

オペラ スカラ座だけでない

オペラとミュージカルは、ミラノ、ロンドン、ニューヨーク、ミュンヘン、と、まとめてコチラにあっぷしています。ドウゾ。

パヴィア修道院 Certosa di Pavia と パヴィアの町

ベルガモ 1426年ミラノがベネツイアに負けナポレオンまで、16世紀に要塞化

コモ湖

贅沢な時間が味わえるリゾート地です。
コモ湖はミラノからのアクセスもよく、特に休日はゆったりした時間を過ごそうと多くの人が訪れます。予定のぎっしり詰まった観光もいいのですが、たまにはのんびりと、贅沢な時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

トリーノ フィアットがポーランドに行って落ち目

トリーノの町は、直線グリッドであり、石畳がないので、とても歩きやすいです。路面電車のレールもペンペン草がはえていました。ミラノが東京なら、トリーノは名古屋。

16世紀のフランス辺境の地のサルデーニャ王国、サヴォイア家の都として、城(都市)は、中世のベルガモの山城でなくポー川の下手の平野に、植民地的にグリッドで作られました。建設は18世紀のことです。産業革命の後、各地でオペラ劇場がつくられた時と一致します。

ローマは17世紀のバロックであり、19世紀の復刻の町ですし、ミラノもそうです。フィレンチェは16世紀ですね。

1805年~14年に、ナポレオンがイタリア王となりますが、その後1861年に薩摩のような辺境の王がイタリア王国をまとめます。シチリア王国はガルバルデイが滅ぼしました。日本とダブりますね。ミラノがドイツなら、トリーノはフランスの影響が強いです。

エマニエル2世は、トリノからフィレンチェそしてローマと首都を変えていきますが、1936年にトリーノの町の大改造をしています。空襲で破壊ではないです。ナポレオン三世のパリの大改造(1870年)がロンドンでも真似されています。

直線道路の拡幅と、広場・公園の整備でした。ポーティコの語源となった、2kmの王宮からポー川へ両側の建物もこのころに建て替えられいます。鉄筋コンクリートが、煉瓦の町を変えていますが、表面のデザインは変わりません。

3時間で、5kmを歩きました。

フィアット工場のあとを1989年レンゾーピアノがショッピングセンターにしたのを楽しみにしていましたが、工場がなくなれば人もいなく、ダメでした。車博物館は健在です。

モンツァ ミラノから20分、王宮とサーキット

2km×4km 確かに欧州一の公園でしょう。11か所の入り口があり、公園として管理されています。素人のカーレースがあるのを確かめて行きました。入場無料です。
モンツアの駅から歩きましたが、221番のバスを使うべきだったと、後で知りました。

クレモナ

4世紀のローマ帝国の植民地として作られたのは間違いないでしょう。地図を見ると、直径500mの中世とルネサンスの町、ミラノに統合された町、そしてオーストリア帝国の支配です。外周道路にオーストリアの王宮が庭とセットで残っています。

バイオリン工房は今も現役であります。街の売りです。

建物として残っているところはいくら古くても、12世紀でしょうか。15世紀の絵がありますが、それからドゥオームは増改築し、道路付けも街道と川によって都市軸があったのですが、19世紀末に鉄道駅に至るように都市計画が変えられ、道路の拡幅が行われたのがわかります。

ロンドン チョイ住み 2017年

ニューヨーク チョイ住み 2014年

タイトルとURLをコピーしました