THE HIDDEN DIMENSION by Edward T. Hall, 1966:愛の距離から建築へ20130824

設計方法論

はじめに
「結婚前は、ずいぶんモテタノダ!」というために、やっとこ記憶の中から引っ張り出した一枚の写真です。 はたして、3人の間に愛はあるのか? そんなの一目写真を見ればわかろうというもの。無いですわね。

私を中心として、左にはナントカ手が届くが、右には肘から先だけでは届かない。頭を内側に傾けてカメラ目線の二人に対して、私の目線はあらぬ方向へ。「モテテイル」という自信に満ちた笑顔でありますが、本人だけが分かっていない。と、今は冷静に分析できます。私の記憶は私にとって都合よいように美化されていました。
1979年12月10日、300人を集めたダンスパーティが終わった後の記念写真の一枚でした。今facebookでは、オッサン・オバサンであっても、顔と顔をくっつけた写真が当たり前にあり、飲み会では西洋人を真似て「ハグ」なぞが行われていますが、34年前ですといくら社交ダンスを踊る男女間でも、ダンスをしていないときはソレゾレの関係を示す「距離」をとって、写真に収まっていたのです。

この時は、すでに文化人類学者E.Tホールの「隠れた次元」を読んでいたのですが、実際に「距離」をデジタルに決めて空間を作るという建築家としては、駆けだしでした。この後34年経て、人の知覚による空間認識を意識しつつ、多くの「距離」を決めて空間をつくって来ましたので、今回の「モテタノダ!」の思い込みから、改めて「隠れた次元」を読み解き、「距離」を考えて整理してみようと思いいたりました。

  1. 「人間(人の間)の距離」から「建築の寸法」へ
    1. 第一章 縄張り行動
    2. 第ニ章 人の距離を測る受容体の能力をホールに学ぶ
      1. 皮膚と筋肉(近接受容器)
      2. 鼻(近接受容器)ですが、ホールは鼻を遠方受容器としています
      3. 耳(遠方受容器)
      4. 目(遠方受容器)
      5. 耳(三半規管)と口(歯)。直立歩行して距離を掴むために。
      6. 建築の力学は今も相変わらずニュートン力学
      7. 遠方受容器としての皮膚について
      8. 遠方受容器としての筋肉について
    3. 第三章 人間の距離、そして建築へ。
      1. 密接距離―近接 < 6inch (15センチ)
      2. 6inch(15センチ) < 密接距離―遠方<18inch(45センチ)
      3. 肘の距離 キュービット(cubit)
      4. アラブ人の密接距離
      5. 1.5feet=18inch (45センチ) < 個体距離―近接 < 2.5feet (76センチ)
      6. 2.5feet (76センチ) < 個体距離―遠方 < 4feet (1メーター20センチ)
      7. 4feet (1メーター20センチ) < 社会距離―近接 < 7feet (2メーター13センチ)
      8. モデュール
      9. 7feet (2メーター13センチ) < 社会距離―遠方 < 12 feet (3メーター 65センチ)
      10. 12 feet (3メーター 65センチ) < 公衆距離―近接 < 25 feet (7メーター 60センチ)
      11. 25 feet (7メーター 60センチ) < 公衆距離―遠方
      12. 一体感を生み出す空間
      13. 日本建築の天井高さ
    4. 第4章 車からの視点、そして「まちづくり」へ
      1. 名古屋の町をみてみましょう。
      2. パリの町を見てみましょう
      3. 都市のイメージ
    5. おわりに

 第一章 ホールは、動物学者の話から始めます。 第二章 人の距離を測る受容体の能力 第三章 人間の距離、そして建築へ。 第四章 車からの視点、そして「まちづくり」へ おわりに: 「人の距離」から「建築の寸法」を、ホールの心理学と私の経験を照らして書いてみようと思い立ち、ここまで書きましたが、建築の教育という事からすると、この話はありません。
この後の建築学会を管見すると「隠れた次元」は、建築計画を心理学・視環境へと傾斜させましたが、人の社会が生物として持つ「距離」と建築物との葛藤とは、離れてしまいました。設計での「決めちゃう事」での多くの「距離」は、敷地・予算・法律・慣習で決まっており、研究が精緻になるほど、実際の設計とは遠くなっていきました。以下は設計における「慣習」への私的ノートであり、まっとうな研究ではないと、まずイイワケをしておいて、少しずつ進めます。長文を予想しています。

彼のもうひとつの有名な著書「沈黙の言葉」で、ホールは<人は、文化によって型どられている>事を詳しく論じました。共通の、あえて口に出しては言われないが、知らず知らずに伝えあい、同時に全ての物事を判断する背景をなしている体験の問題を「沈黙の言葉」と表現しました。また、言語そのものが語るモノへの制約になっているとも。「隠れた次元」もその地の文化によって型どられていることは間違いないです。

アメリカ東海岸の中流白人の「距離」を私的に日本の文化に置き換えることも試みます。人も生まれてから死ぬまで、一個の生き物である。一個であるがために「他者との距離」を取らないと群れて生きていけない。だ、そうです。

第一章 縄張り行動

ホールは、動物学者の話から始めます。

「なわばり行動」は、個体密度を調整することによって種の繁栄を保障するものである。これは、捕食する範囲を互いに決めておけば個体それぞれが共存できることであり、捕食の環境が維持できないと「なわばり」も変化する。その為に脊椎動物は「攻撃性」を持つ。

ライオンは人が近づくと逃げますが「臨界距離」に踏み入ると、攻撃をしてくる。

哺乳類は生まれてしばらくは、すべからく接触性動物だが、子が親の元を去って一人だちすると、接触をやめてしまう。接触することがストレスとなる。

羊などは、オオカミの襲撃に備えて大人になっても群れを作るので、接触距離(intimate distance)へのストレスが少ない。

ストレスは副腎皮質ホルモンのバランスとか、低血糖化により、その動物を自滅させてしまう恐ろしい力をもつ。(カニ、トビウオ、ネズミ、シカの事例が本書には詳しくある。)

非接触性動物の種の存続には、要らぬ同種の間の攻撃は制御されねばならず、代わりに社会的順位を個体間にスペースを作ることで補う。個体距離(personal distance)と名付けられた。群れの形を具体的につくる距離である。(サル山の事例)

社会性をもつ動物は互いにそれなりの社会距離(social distance)を保たないと捕食者にさらされ危険となる。それ以上離れると、仲間でない、その社会の一員でないという距離がある。動物がわに立って言えば、その距離以上離れると群れから離れたことになり、明らかに不安を覚える、見たり・聞いたり・嗅いだりを総合した心理的な距離である。

人という動物に照らしも、当然分かる文章ですね。facebookなぞが出てきて、ネット社会では人の社会距離はとてつもなく広がりましたが、オフ会などを開いて、個体距離・接触距離をもたないと互いのコミュニケーションはうまくいきません。

ここで、150ページ先にある、ホールによる人での結論を先に書いてしまいます。
Intimate distance <1.5 feet < Personal distance <4feet < Social distance < 10feet < Public distance
私的に日本語で書き直すと、
密接距離 <45センチ(肘の距離)< 個体距離 <120センチ(お辞儀の距離)< 社会距離 <3メートル60センチ(呼びかける距離) < 公衆距離

第ニ章 人の距離を測る受容体の能力をホールに学ぶ

数字が出てきたところで、空間に、建築に論に突き進みたいところですが、私にとってのノートですので、先に人の距離を測る受容体の能力をホールに学ばないといけません。御用とお急ぎの方はこの章は飛ばして第三章に飛んでいただいていても、ホールのいう「隠れた次元」即ち、人にとっての距離の階段のような区分は理解できましょう。

皮膚と筋肉(近接受容器)

指をくわえた、寄り目でみつめる赤ちゃんの写真です。

最も近い距離とは、目も視えない赤ちゃんでも母親の乳房をまさぐり乳首を含む事から始めるので、触覚での距離すなわち、ゼロの距離であるのは間違いないですが、ホールは触覚的距離と視覚的距離は混ざり合っていて、不可分であると始めています。

「首が据わったぞ。」「凝視しているけど俺のことがわかっているのかな?」「ガラガラを追視して喜んでいるぞ。」と、人は赤ちゃんの視える事のステップアップが成長の目安となります。やがてハイハイ、ヨチヨチ、バタバタと動きは始めて、2次元の網膜に映る映像を脳で3次元に組み立てての空間の把握、すなわち視覚的距離が脳の発達と共に学習されていくのでしょう。

その為にはまずは口に入れ、しゃぶってみないと、なんだかわからない?
3歳児の視力は0.5しかないと書かれています。網膜の視神経細胞の発達、水晶体の成長と目の構造の発達もありますが、目からの情報を脳にため込み、やがて触覚的世界を視覚的世界に従属させていくのが、情報の多くを視覚に頼る人ならではの成長なのでしょう。

建築の設計で具体的に触覚を意識するのは、家具・ファブリックをインテリアデザイナーに任せると、ドアノブと階段の手すりぐらいしかありません。

ここで私の大学時代の話をします。建築材料の岡島教授が本を出そうと学生にアンケートを取りました。<一日のうちで何に触れたか書き出せ。>あらかじめ材料の分類項目が示されていたのですが、特にプラスチックが急速に増えたときでもあり、その種類分けに悩んだ項目だてでした。私はケチをつけました。「一日のうちで一番触っているのは自分の顔や手です。このアンケート項目にないのはおかしいです。建築の材料なんて、私はほとんど触っていません。」本のタイトルは「建築材料の試験評価」から「やわ肌からダイヤモンドまで」と替わりました。

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルの荒いレンガの壁なぞ、触ったら手を切ります。誰もさわりませんが、建築家は壁の材料を選ぶのにテクスチャー(手触り)という言葉を使います。

壁から受ける環境の評価は視覚でおこなっているのですが、触覚的感覚を呼び起こして壁の材料決めているのです。人は<なでる>だけで、3ミクロンの差異まで感知できるそうです。TVでよく見かける町工場の職人芸というやつですが、人であればだれでもそのセンサーを指先にもっています。

ツルツル、ザラザラなど触覚の感覚は光の屈折を上手に使えば、触った感じと同じような視覚的感覚を受ける安い材料も使うことができます。建築材料はあまり触られませんので、ご用心めされ。 

皮膚の知覚には、以上の触覚(接触)の他に、痛み、熱と冷たさ、乾きと湿潤があります。そして、筋肉は、筋肉を働かせると自己受容器によって筋肉の状態を絶えず脊髄・脳に伝え、人の体をスムーズに動かせるようにします。言いかえると、筋覚によって空間の知覚もされています。

いずれも、体の一部が空気に触れたり、階段をのぼるとか体を動かしたりする距離ゼロの世界の事ですので近接受容器であるのは間違いないですが、これらによる空間の距離把握にはやはり脳が介在していますので、感じ方しだいでは遠方受容器とも言えましょう。

この絵は解剖学での皮膚下の感覚受容体の模式図です。知覚とは心理学の用語で、その用語にあてはまる受容体の名前はついていません。振動については増幅する装置が付いていますが、痛いも熱いも色々のうちのようです。かゆい、くすぐったいなど皮膚の知覚表現は他にもありますが、受容体としてはこれだけ。絵を見ただけで、これ以上解剖学に踏み入るのはやめておきます。

怒り、恥じらい、求愛により赤面する顔に、私たちは熱さを感じます。血液が集まって皮膚の熱をあげているからで、TV「ためしてガッテン」では、この熱をサーモグラフィーという機械を使って目で見えるようにし、人体の不思議をよく説明しています。

手をかざしてだけでも、直接触れることがなくてもわかることですが、赤面と書いたように、視覚によって<かざし>よりもっと離れたところからも「赤い」面と認められてしまいます。

情報の多くを視覚に頼る我らは人ですので、言葉で表そうとすると、触覚的空間を視覚的空間に従属させることになってきたのでしょう。
目の遠方受容器としての働きを見た後、また皮膚と筋肉の遠方受容器としての働きを語り直しましょう。

鼻(近接受容器)ですが、ホールは鼻を遠方受容器としています

ホールは鼻を遠方受容器としています。コミュニケーションとして最も根源的(単細胞のアメーバの事例)であり、鮭は大海の中で生まれた川の匂いを嗅ぎわけ産卵に戻ってくることから、視覚より遠方なのでしょうが、皮膚が受容体で刺激を受けるので近接というなら、鼻も化学物質を受容体で捉えないと感じることができませんので近接でしょう。

人の先祖は樹木の上での生活をはじめて、鼻より目の発達を選び、手足の器用さを得ました。ホールは地下鉄のラッシュアワーに堪えうるまで、人の鼻はうまく退化したと述べ、肘の距離での体臭・口臭が知覚できる範囲と、地中海女性の強烈なオーデコロン、くさい靴下の臭いからの8フィートの範囲の2段階しか掲げていません。やはり、鼻は人にとって近接受容器ですね。

パンの焼けた香り、夏草の匂いなど、空気中の化学物質の濃度によりやや遠方の情報も得られますが、パンの焦げた茶色、夏草の萌える緑などと視覚的空間の中に嗅覚的空間は従属せざるを得ません。

ある日突然、私が犬のように、大気中に充満するあらゆる化学物質が嗅ぎ分けられるとどうなるのでしょうか?人も生物として体外にさまざまな化学物質を出していますので、「怒っている」「好意を寄せている」なども看破る事が出来るかも知れませんが、その前に脳は大混乱をきたし、私は狂ってしまうのではないでしょうか。

「嗅ぎわける」が、鍵の言葉です。「見分ける」「聞き分ける」ができる事が目と耳の遠方受容器の受容器たるゆえんです。情報として人に入ってくる空気振動、光から脳が情報の意味を「分ける」事が重要であり、その「分ける」行為の中で、人の「距離」感が目盛を果たしています。

建築で空間を区切るには、慣習(文化)としてもっているその「距離」を理解し、「分ける」ことで成り立つコミュニケーションを手助けできるように建築は設計しないといけません。

耳(遠方受容器)

ホールは、聴覚に対しても視覚の優位性を強調します。脳の支配面積とか、目と耳から脳に至る神経の太さとか。受容体を刺激する情報として、音は毎秒331m、振動数は50から15,000サイクルにすぎないが、光波は毎秒30万km、振動数は10,000兆サイクルまでとケタ違いだと。
情報収集において目は耳の1000倍とまで彼は書いていますが、現代の私は簡単に、音楽CDは640MBだが映像DVDは47GBですので、人が満足できる映像は音楽の1000倍の情報量がいるのだと理解しています。

しかしながら、いくら「目は口ほどに物を言い。」といっても、人が人として論理を尽くしてコミュニケートするのは言語です。言葉を音として受容することがコミュニケートの第一です。

facebookなどのSNSでもフェイストゥーフェイスでのオフ会での親交がないと、相手傷つけないような短い言葉のやり取りで終わり、コミュニケーションとしては成り立ちません。
今やっているように、あえて長い文章を書き、読みやすくわかりやすい文章(そうなっているか、不安ありありですが。)で何かを伝えようとするには、聴力でなく視力が必要でが、ホールはこの本の中で「読み書き」については触れていません。読むのは聞くより疲れるし、書くには話すよりもっと疲れます。エネルギーが要らないコミュニケーションの方が実利にかなっています。

人の社会が大きく複雑になり、時間・空間を超えてのコミュニケーションが必要となって「読み書き」が発明されました。

私も短時間のプリゼンテ―ションにおいて「この設計案がよい。」と相手を説得しようとした時は、写真とかグラフを用いて文章を短くした方が良いと心得ています。結果、電車の吊広告のような組み合わせになります。しかし、見ていただく文章は心に残せたいものとして短いものですが、相手の目をみて話す内容は原稿に書いて十分推敲し、語る練習も十分したものです。書けば長いのですが、話すとなると、とっても短い時間ですみます。
そして、反応の表情を読みとれる4mより離れては、説得する自信がありません。
30m離れても、一方通行の演説、演技なら言葉で伝えることができますが、互いにコミュニケートをしようとすると、格別の大声でもなく普通の話し言葉のスピードで語るには20フィートという限界が存在します。

目(遠方受容器)

ホールの結論を先に載せます。彼が整理した視覚を中心にした人の「距離」感の階段です。

聴覚より圧倒的に視覚に人は頼っている

目の構造を理解しないと、上記の左蘭の意味がわかりませんので、少し解剖学的な話を入れます。

外からの光を、水晶体を毛様体で絞ってピントを網膜に合わせるのですが、中心窩1度の範囲を狙っています。

網膜全体で光を感じ、人の視野としては水平には180度以上あるのですが、カラーで見える解像度の高い受容器の細胞は中央に集まっていて、網膜の周囲は明るさとか、動くもがあるとだけしか受容できません。形を捉える事はできません。

「見えている」というのは、目ん玉キョロキョロと「見る」対象を追っかけ、脳の中で3次元の像として組み立てているからです。手ぶれ防止の装置が付く前の素人のビデオは、画面が動きまくり酔ってしまって見られたものではなかったですが、私たちの「見る」は、中心窩1度で捉えた絵をつぎつぎと映し出すのでなく、目の前に3次元の空間が厳然と組み立てられており、その中で目ん玉はキョロキョロと気になるところ注視して、3次元空間のディテールを追っています。追うという行為は、意識してもできますし、無意識でもやっています。

面白いのは、網膜が視神経につながるところは盲点といって受容器のない全く見えていないところなのですが、私たちは盲点を意識していません。盲点にあるであろう絵を周りから想定して脳が作っちゃうのです。

明瞭な視覚(黄斑部)、水平12度垂直3度の数字は、私たちの目が水平に2つ並んでいることにより強調されます。右目と左目はそれぞれ別な画像を(特に12フィート以下の近いところはずれてきます。)脳に送っていますが、脳は遠近感をそれによって掴み、一つの空間としています。カメラのフイルムもTVも横長であるのは、このためです。

垂直は3度しかないので、実際の空間を掴むのには頭を上下しないといけません。前面をボヤーと眺めておれば、水平は全部見えるのに上下は水平に比べて著しく狭いです。

これはインテリアのデザインで一番こまるところです。

トヨタ車体 開発センター

屋外の樹上で生活するにはこれでも良いのでしょうが、箱空間に住むようになり、インテリアの床面と天井面は目の正面の壁の面より実際に面積も大きく、インテリアへの働き掛けも大きいのですが、あたかもそれを気にしていないように過ごしているのが日常の視空間なのです。そこに床・天井としてある以上、心には必ず影響を与えているはずですのでいつもその事を強調してプリゼンをしています。

TVスタジオでは、天井もなく、床面はグレイのタイルで済ましていても、それで絵が出来てしまっています。TVカメラの視野角は60度もありません。一眼カメラの標準レンズは55度です。60度はざっと見ている範囲というところでしょうか。私たちの建築写真では特別に20度の範囲まで撮れるレンズを使っています。

周辺視は色・形においては鈍いですが、動くもの、光るものあるという事対しては明瞭な視覚部(黄斑部)より研ぎ澄まされた感じになります。とりあえずは視野の隅っこに入れておいて、対象が動けば、必要があれば目ん玉動かすし、60度の範囲にでも入れて色と形をわかるようにしましょう。さらに首を振ってキチンと把握しましょう。と進化してきたのでしょう。「視野をどの範囲に置こうか。」と言いかえれば、コミュニケートするのに周辺視も重要なポイントです。

耳(三半規管)と口(歯)。直立歩行して距離を掴むために。

筋肉は、筋肉を働かせると自己受容器によって筋肉の状態を絶えず脊髄・脳に伝え、人の体をスムーズに動かせるようにします。言いかえると、筋覚によって空間の知覚もされています。
例えば、あと2歩右に歩き、さらに右手を伸ばせば、コップを手に取れるかというテーマに対して、無意識のうちに視覚だけでなく、脳と筋肉の受容器も働いて「距離」をこのくらいかと測っているのでしょう。この「距離」を掴む基準は大地に対して垂直に立ち、歩くことです。

筋肉は、筋肉を働かせると自己受容器によって筋肉の状態を絶えず脊髄・脳に伝え、人の体をスムーズに動かせるようにします。言いかえると、筋覚によって空間の知覚もされています。
例えば、あと2歩右に歩き、さらに右手を伸ばせば、コップを手に取れるかというテーマに対して、無意識のうちに視覚だけでなく、脳と筋肉の受容器も働いて「距離」をこのくらいかと測っているのでしょう。この「距離」を掴む基準は大地に対して垂直に立ち、歩くことです。

頭が、地球の重力に対してどっちに向いているかを掴む感覚器官として、耳の中に三半規管というのがあります。脊椎動物なら全てが持っている原初的な器官です。
X・Y・Zの3軸の輪っかの骨の中をリンパ液が重力に従って流れ、水平方向と垂直方向の2つの耳石が動くことにより、頭の向きを掴みます。

建築の力学は今も相変わらずニュートン力学

建築の力学は今も相変わらずニュートン力学であり、大地はどこまでも水平に広がり、万物は重力によって大地に垂直に落ちるのですが、人という動物の体もそのようにできているので、それでいいのではないかと確信できる話ですね。

ムリクリ曲面のデザイン(例えば新しい国立競技場の屋根を思い浮かべてください。)は、人が生活する空間には適していないと思います。コンピュータによる3次の構造計算によってあらゆる形も計算できるようになりましたが、建築は彫刻とは違います。彫刻はその形によって、ある種の感情を呼び雄個さないと芸術になりませんが、建築は芸術の端っこぐらいでちょうどよいです。

大きな空間を作るには、大地に平行な梁では重力にあがないきれないとか、雨を流すのに平らな屋根ではまずいとかで、建築技術は発達してきました。デズニ―映画のなかで、地球上の物体でない人工物としてムリクリ曲面が使われるのは、普段見られない空間の表現としてあっても良いと思いますが、人が現実に楽しく生きていく空間は、人の動物としての感覚で掴みやすい方が良いです。

日本の杮葺の曲面屋根も、X・Y・Z軸の2次部材から作られています。ムリクリ曲面は、計算はできても作るのは大変難しくなり、コストもかかります。

「しっかり噛む」ことは、お相撲さんの力を出す事に重要だと知っていましたが、もっとも噛む力が強いのはライフル射撃の選手だそうです。的を射抜く際のバランス感覚や姿勢保持、集中力を高めることに通じていると。

TV「ためしてガッテン」では、歯の噛み合わせがわるいと姿勢が曲がり、真っすぐ歩けなくなると言い、お婆さんに入れ歯を外して歩いてもらったら、、、、ホント、まっすぐ歩けませんでした。

口は、顔の前面にあって脳にも近く、個の生存をかけた喰うことに直結しています。下唇の感覚の受容体の密度は指先と同じということからも、人の密接距離おいての知覚として重要なのでしょう。

建築家としての経験の中では、紙の厚みは指先ではさむより噛んでみた方が分ることに有効ぐらいしか想い出しません。密接しないための工夫は建築家の仕事としてありますが、密接距離の中にいる人々のコミュニケートは私の守備範囲外です。(笑:

遠方受容器としての皮膚について

夏の鵜飼見物で、船に乗ると皮膚の感覚が鋭くなります。暗闇の中、かがり火だけが明りですので、川表をなめてくる風の強さが、乗っている船の進みぐあいを教えてくれます。昼間は30度を超えていたのですが、痛いような冷たさです。かがり火が近づいてくるのは、明りだけでなく風の暖かさからも感じることができます。

皮膚は風(気流)を感じ、冷温も空気から感じ取れるので、鼻が化学物質の密度を勘案して遠方受容器というなら、皮膚も空気を媒介として、遠方受容器と言えましょう。北の窓から隙間風が入ってきて寒いとか、暖炉が燃えて暖かいとかという意識下においては大変わかりやすい感覚です。

建築で困るのは、皮膚の感覚は順応しやすいこと、意識の外で感じつつも意識下になったとたんクレームとなる事です。音も空気が媒介ですが、壁でコントロールできます。しかし、皮膚は空気そのものを曖昧に感知しますので、クレームに対して建築家は空気そのものをコントロールしないといけませんが、「距離」という目盛は使えず、苦慮しています。

天井からの吹き出しによる空気の「対流」使って空気調和をしていました。その空気の流れがクレームになるので、床吹き出しとか、家具からのパーソナル吹き出しとか空気の対流の規模を小さくすることでクレームに対応しようとしてきました。

近年、距離で制御できる「輻射」によって、部屋全体を冷暖房しようというシステムがようやく出て来ました。天井が高すぎたり、多くの負荷がある場合にはまだ使えませんが、そのうちに装置的に軽いシステムが出来て、気軽に使えるようになるかもしれません。

暖房は冬の陽だまりのぽかぽか感で、冷房はトンネルの中のひんやり感です。ただし、換気がないと中毒をおこしますので、いかばかりかの「対流」は生じます。住宅の空気調和については、私のHPのhttps://www.pontak.jp/design-office-tak-site-house/<住宅>に書いています。

遠方受容器としての筋肉について

ライトの帝国ホテルは、犬山の明治村で見れます。触覚的に異様な空間は、高さの違う床、低い天井、囲いこまれた階段、そこここにある小さな段差など筋感覚的な空間でもあります。

視覚的人間である私たちは、段差のそれぞれの地点で写真をとり、ビスタ(vista)の変化が素晴らしいとライトをほめそやしますが、そしてもちろんビスタもありましょうが、この空間の特異性はその筋覚、触覚から受けるものです。

敷居はまたぐものであり、畳のヘリは踏んではいけなかったのですが、バリアフリーが声高に叫ばれ、フローリングは畳とゾロに。公共の空間から段差がなくなりました。エスカレーター、エレベーターは筋感覚的な楽しさを空間から奪ってしまいました。

一方、高密度な人の空間はますます多層にならざるをえません。ライトのグッゲンハイム美術館のようにスロープを上手に空間に生かすぐらいしかないのでしょうか。車椅子ですと、15分の1の勾配以下にしたいので場所を喰いますが。

ビスタの変化を訴える空間のプリゼンテ―ションには、あたかも「空間の中を移動している。」ような動画がCGで簡単に作れるようになって大変楽になりましたが、所詮CGでは足に筋肉感覚を与える事は出来ません。やはり、建築は一品生産であり「作ってみないと分からない。」という命題は永遠です。

ビスタと筋覚的な体験との関係は、庭作りに今も生きています。

桂離宮7haはベルサイユ72haより随分狭いですが、筋覚的な仕掛けをしこみ、豊かな庭園を作っています。不規則に配置された飛び石をたどりながら、自分の足元を見ざるを得なく、足元に不安がないところで目線をあげると、広がったビスタが待ち受けています。首の筋肉も総動員して、右か左か、登りか下りか。一歩進むと、美しいビスタは崩れ、新たなビスタへの期待が膨らみます。

ベルサイユの庭は、ルイ14世が建て物から見下ろすビスタが最優先であり、庭の散策路も植え込みの列植により、ビスタが透視図的に演出されています。

ドイツ人のブルーノタウトに言われなくても、日本庭園のほうが素晴らしい。

それだけ、古来より狭い空間なじんできた日本文化ともいえます。今回のテーマ「距離」も日本の文化、慣習を頭に置かないといけませんが、それにしても、狭いことが貧しいことには繋がない十分な広さを桂は持っていますので、羨ましいですね。

名古屋の住宅地の矮小な日本庭園は、とにかく狭すぎます。京都の町屋には、坪庭という光と風の抜け道の装置がありますが、名古屋には京都のような町屋文化はありません。これには私のHPの<造園と都市論>にも別の観点から書いています。

第三章 人間の距離、そして建築へ。

ホールは言う。人は空間を移動してゆくとき、あらゆる感覚受容器からのメッセージを頼りに彼の視覚世界を安定化、統合化していく。幻覚に陥らないように脳がフィードバックを制御して、総合としての視覚世界を人は持っている。

視覚世界では、「距離」が社会的関係(コミュニケーション)の関数であり、「距離」を掴むことによって、自らの文化をしり、豊かな社会が築かれる。

文化人類学者のホールの本に従って、これから人間の距離を順に見ていき、私の「距離」、建築家的に言いかえると空間の「寸法」論を付加していきます。

しかし、私の40年はコミュニケーションへの仕掛けという意味では「距離」を決めていません。コミュニケーションの反語であるプライバシーをどのような感じで確保するか。壁、ガラス、家具の「寸法」決めることが仕事でした。左図のひかれた線を見てください。線と線との「間」がコミュニケーションに必要な空間なのですが、私が決めるのは区切る線です。

プライバシーを、個人から集団のまとめと置き換えて大空間の壁の寸法も決めてきました。コミュニケーションとプライバシーは、「地と図」のようなものですので、ホールの本をベースにしつつもなんとか建築につなげればと書いていきます。

住宅の図面だけでなく、マンションの販売カタログでも写真の中に人はいません。この図面は家具配置があるだけ、まだ生活の臭いがして良い方ですね。

この住宅はTVドラマでのセットですが、どんな建築も、そこに生き生きと生活する人の器であり背景なのです。建築家はその生活場面を想定してはいますが、その後その通りかどうかは・・・・私はカッコ良い空間だけを見せればよいという類の建築家ではありませんが、やはり、図面に人は入れません。

ホールは人の顔と顔の距離の4段階をさらに2つに割って、8つにして説明しています。

密接距離―近接 < 6inch (15センチ)

 身体的接触が必ずある距離ですので、嗅覚と放射熱の感覚が優先され、遠方受容器の使用は狭いです。大人の目には像を結ばず輪郭だけとなり、寄り目の赤ちゃんの視る像は極めて拡大された異常なディテールとなります。ささやき声を出すと、かえって距離を広げることになりしょう。

愛撫、格闘、慰め、保護の距離であり、「寸法」を定める私の出番はありませんね。映画で「砂の女」というのが昔ありました。このカメラワークによって日本人は近接でのコミュ二ケーションが上手いのでは?と誤解を生みましたが、映像で臭い・皮膚感覚を表現するのは、その距離での映像のストックが脳にない以上無理でしょう。いや、赤ちゃん時代のストックならあるのか。すると、この距離をとることは、大人を赤ちゃん感覚でコミュニケートさせると言いかえることもできましょうか。

 ハグという挨拶方法は、私は苦手です。挨拶で相手の臭いの距離には入りたくありません。社交ダンスを始めた時は、臭いと手の汗が気になりました。やってみれば、筋覚のリズムあわせに夢中になり、これらを忘れます。ダンスは美しく見えますが、実は激しい運動以外の何物でもないです。

6inch(15センチ) < 密接距離―遠方<18inch(45センチ)

 この距離でも、相手の臭いとか温かみは感じられるでしょう。地中海の連中のオーデコロンは4フィート離れてもわかりますが、日本ではそんな人はいませんね。頭、腿、腰は触れあうことはないが、手を伸ばせば、たやすく相手の手に触れたり、握ったりすることができます。視野の明瞭な15度の範囲で顔の半分が拡大してみえます。虹彩とか毛穴だとか捉えられますが、頭の輪郭、肩は視野の周辺部となり、顔は歪んで見えています。
会話はささやきとなり、ロジカルな情報交換というより、皮膚の内側で聞き手にある感じを思い起こさせるような内容になりましょう。

 満員の地下鉄や、エレベーターの中では、望まなくてもこの距離に他人が入ってきますが、「あなたとは親密ではありません。」と、サインを送らないと痴漢になってしまいますね。出来るだけ動かなく体を硬直させ、体のどこか一部が他人に触れたときは出来れば引っ込める。手は脇におろし、目はあらぬ方向を見やって、感覚のうえでは45センチ以上の個体距離を保っているようにしないといけません。

45センチは、個人としての防御領域しめし自分と他者を分かつ、いいかえれば互いに相手を個として認め、コミュニケーションを作りだすことのできる最小の距離です。

肘の距離 キュービット(cubit)

ホールは触れていませんが、肘の距離はフィートよりはるか昔、紀元前6000年のメソポタミアからある単位です。
肘はラテン語でcubitumと言い、単位として、イギリスではell、フランスではaune、イタリアではbraccio、ポルトガルではcovado、トルコではpic、ロシアではaruchine、デンマークではalenと、それぞれの国の文化の中に残っていました。「相手を容易に捕まえられる、愛の始まりの距離」ですから、人体寸法から導かれるのは世界共通でわかりやすいです。そして、この2倍の距離がヤードになったのでしょう。
今は、人体の足からのフィートが主流です。フィートの3倍がヤードと規定されています。日本の尺は、唐からの渡来もので、肘の距離からの単位はないですが、指金は長辺が1尺5寸5分(47cm)、短辺が7寸5分(22.7cm)ですので、大工さんは肘の距離を自在に操っていたのでしょう。

この文の中では、私もフィートをそのまま使っています。フィートを尺に単純に置き換えると、日本建築の「寸法」にそのままあてはまり便利なのです。今は国からメートルで設計せよと言われて、実際行っているのですが、日本で建築の仕事をする以上、今も尺の単位から逃れることはできません。

尺が303.03mm(10mの33分の1)であり、フィートが304.80mmと極めて近いのは、靴をはいた足で、かかととつま先を交互に重ねて、距離を測っていたのでしょうか。中国渡来の歩(ほ)という測量単位が日本でもありましたが、太閤検地のころから、6尺=1間と決められ、日本の長い「距離」も尺が基本となりました。

里も、もともとは歩いた時間から由来する単位でしたが、明治になって、尺を基本にして、江戸の1町(京都の1街区は40丈≒121m。)=60間×6(尺/間)=360尺≒109mであるので1里を36町、1尺=(10/33)mと定めて、1里=12960尺×(10/33)(m/尺)=(43.2/11)km= 約3927.2727mとなりました

アラブ人の密接距離

トルコはトラブゾンという田舎町で、この赤シャツのお兄ちゃんに私は言いよられました。(笑:

「付いてこい。お茶を御馳走する。」と、トルコ語で言われたとおもったのでついていったのですが、そう、お茶はこのチャイハナで確かに御馳走になったのですが、、、お茶しながら、こんな感じで、一生懸命トルコ語で話しかけてくるのです。

左手は私の太ももに置かれ、下から私を覗き見るのです。相手の目を見てあげないと、とは思いましたが、トルコ語を私が分からないので、ジェスチャーがどんどんエスカレートして、密接距離に入ってしまいました。ウーム、ホモか?こいつオカシイのか?と、一瞬身を固くました。しかし、確かに街では男同士で腕を組み、ソフトクリームをなめて歩いていましたので、肘の距離より内側に入らないと男同士でもこのあたりでは友人とはならないのだと、必死に頭で理解しようとしました。でも、ダメですね。肌は拒否していました。

ホールは、アラブ人とアメリカ人は全く社会距離が違うので、摩擦が起きて当然だと14ページにわたって書いていますが、私も実感しました。日本人とも違います。戦争の遠因として、互いの言葉がわからない、互いの習慣がわからないというのは、宗教と共にあると実感しました。

ホールは日本人についても7ページを割いています。アメリカ人>イギリス人>フランス人>日本人>アラブ人と人間の社会距離は縮むのは、歴史的に距離を保てない密集状態で共同生活を送ってきたからと説明しています。

しかし、アメリカでも貧しければ、あのエルビスプレスリーの生家のように、家族は重なり合って住まざるを得なかったのです。綿花畑での労働者は、19世紀のロンドンの下町、江戸の長屋と同じような密度でした。きっと、過酷な砂漠の民のテント生活は、これらより一段と密度濃かったのでしょう。砂漠のテント生活はホールも体験したことがないのか書かれていないので、推測するしかありません。

1.5feet=18inch (45センチ) < 個体距離―近接 < 2.5feet (76センチ)

皮膚感覚でなく、筋感覚に近い。即ち、部分的には自分の手足で他の人に何か仕掛けることができる距離。武道で言う「間合い」に入った危険な距離です。片方が手を伸ばせばすぐに相手にさわれます。西洋では「私は安全です。」と握手をするために、この距離に必ず踏み込みます。

相手の表情がゆがんで見えることはもうなく、顔の半分は極めて明瞭に見え、引っ込む耳、飛び出す鼻と対象の立体性が掴め、まつ毛も毛穴もハッキリ見えます。この距離の中で、互いにどんな位置に立っているかによって、彼等の関係や、互いに抱き合う感情もわかります。

日本では握手はあまりしませんが、頭をぶつけないように遠めでお辞儀をしても、初対面の名刺交換となると、近づいてこの距離です。名刺交換で近づき、そのまま距離を維持してコミュニケートすることは初対面ではありません。

立食パーティでは、グラス片手にこの距離を保ちつつ「では、失礼。」と言って次の人に歩み寄る方もおられますが、日本人だけのパーティではぎこちないですね。距離は同じでも握手と名刺交換では向かい合う型が違います。アメリカ人もカード(名刺)交換はしますが、最初でなく、「そうそう、これは私の連絡先。」という感じで、最後が多いでしょうか。

隣どうしで密接距離に入らないように、私たちはその装置として椅子の選択をしています。

私は、45センチ、60センチ、80センチの3種の幅で椅子を類別してきました。

日本の飛行機のエコノミー席は幅43センチでした。太った人のお尻でも入ります。骨盤の大きさは同じなんですよね。それに、肩幅も45センチあれば隣の人とぶつかることはないで、折りたたみ椅子は45センチ幅で計算して、ぎっちり並べたものでした。

ワードロープの奥行きが55センチいるのは、上着の腕の膨らみからですが、実際的には腕を動かせるようにしないといけないので、最小の椅子のピッチは60センチと覚えておくのが正しいです。劇場の椅子もこのサイズになってきました。3人座りのソファーも60センチ幅ですしね。

応接室になると、80センチ幅を基準としています。飛行機のビジネスクラスの椅子の幅もそうですね。

ゆとりをもって、お隣と腕の交錯がない距離です。日本では「起きて半畳」の90センチ幅必要とされていましたが、袴が広がって、刀を脇に置いたからでしょうか。

今の半畳は80センチと小さくなってしまいましたので、余裕の80センチ幅は日本でも有効です。そして、男子の小便器のピッチは70センチ以上です。
両腕を垂らしたあの姿を思い起こせば、、、、レストランの席もこの間にあります。

2.5feet (76センチ) < 個体距離―遠方 < 4feet (1メーター20センチ)

互いに腕を伸ばせば、触れることができる距離。この距離より離れれば他人に「手を触れる」ことはできないので、4フィートは個体と社会をわかつ重要な距離となります。

頭部は正常な大きさで知覚されますが、中心窩1度では鼻先や片方の目の大きさの範囲を覆うだけなので、凝視のために相手の顔面のアチコチに視線を移すことになります。

歯の汚れ、小じわ、服のシミ、眠気も眼もとから読みとれます。

180度の周辺視では、手と座った体の全体が含まれますが、指の本数まではわかりません。体温を感じることはないですが、たまに香水に圧倒されることはありましょう。物理的支配の限界ですので、匂いで他を支配するのでしょうか。

4feet (1メーター20センチ) < 社会距離―近接 < 7feet (2メーター13センチ)

個人的ではない用件はこの距離で行われます。一緒に働く人々のコミュニケーションの距離です。私が空間の「寸法」を決める時は、この距離の倍数を用いています。

6フィート即ち6尺、1間の1.8mが、日本伝統の寸法です。

60度の視野の中に、4フィートなら頭から上体まで、7フィートなら体全体が納まります。声は通常の大きさで出されます。

ただし、座っている人に対して、立ったままこの距離に入ると威圧することになるので、座っている人は対抗上立ちあがるか、自分を下とみなしていてそのまま座ったままかです。対等にコミュニケーションを行うためには「さぁ、おかけください。」との言葉かけが重要です。

まともな会議ができるのは10人まで。とは、
全員がこの7フィートの距離のうちにあることからです。3.6m×3.6m、8畳間の空間です。

大きなオフィスの設計では、机・椅子のレイアウトまではめったに建築家は設計しませんが、家具寸法は決められていますし、天井につく、照明・空調のピッチを建築として決めないといけないので、モデュールとして「寸法」を選んでいます

モデュール

モデュールとは、20世紀の偉大な建築家コルビジェが人体寸法から、等比級数を選び出し、建築を工業生産品として組み上げる単位として提案したものです。

日本ではこの50年の間に、建物の柱間は6mから7.2mに広がってきました。建築がコンクリート造から鉄骨造になってきたことも要因の一つですが、日本人の中に机・椅子の文化が根付いてきて、空間が本来の大きさになってきたと考えています。

大部屋で設計されたオフィスの中に小間仕切りする時、7.2mは、2と3の両方で割れる事が便利な数字です。4で割ると、1.8m即ち1間=6尺となります。

日本の一間とは、英語の1 spanと同じで、元は木造における柱の間を示すものです。古代は大材を用いて1間が3mというのもありましたが、江戸時代に1間が6尺となり、幕府が贅沢を禁じる意味で「町屋は2間(12尺)までしか、梁を飛ばすことはまかりならぬ。」とされ、2間=3.6mが日本の座敷の柱間の標準となりました。

 茶室は6.3尺の京間の畳わりで設計しますが、これは、1間=6.5尺とし、柱の幅を半分ひいたものです。安土城天主では、1間=7尺でした。

7feet (2メーター13センチ) < 社会距離―遠方 < 12 feet (3メーター 65センチ)

この距離でコミュニケートするには、相手に視線を向け、聞く方はそれを受け止めないといけません。60度の視角に姿全体が入るし、明瞭な視覚の範囲に両目と口が入るので顔全体をみる為に目ん玉キョロキョロの必要性もなく楽に向かい合える距離であればこそ、相手から視線をはずすと「避けている。」信号になります。

逆にこの距離を利用して、話は聞こえているが私は関係ないというそぶりも可能です。話している二人に対して半身になったり、極端には背を向ければよいのです。

家庭のリビングにおいても、この付かず離れずの距離がとれないと家族の中での大人としての行動に制約ができることになります。

日本では半世紀前に、住宅公庫の融資条件から11畳以上がLDKと呼ぶ与件とされましたが、せめてDKでこの距離が取れる11畳とし、そこに台所も加えれば16畳は空間がないと、LDKとして家族のコミュニティのバランスは取れないとなります。

半世紀もたったので基準を変えて欲しいとねがうのですが、ディベは「買う方は部屋数を気にしているから。」と、買うレベルの予算規模から売値→総面積を出し、個々の部屋を大きくすることはしていません。80㎡で3LDKは、ベッドある寝室ではどだいプラン作りは無理なんですが。

オフィスでは、社長の前で説明する部長の距離です。さらに、横に知らんぷりの秘書がいるという感じですね。声もスピードは変わらないですが、高くなります。社長は話がしにくいので、きっと部長に近づいてくるでしょう。

この距離の会議室となれば20人程度が入れるものとなり、実際に、役員会とかこの大きさの会議室のニーズは高いです。
マイクなどの補助機械を使うことをお勧めしますが、実装はないですね。もとより、議長がいないと会議はなりたたず、言いたい事を一方的に述べるだけの儀礼的な場となります。

インターネットを使った会議も頻繁に行われるようになりましたが、これはマイクで話し声を拾わなくてはいけないし、話す人の顔をアップにしたりすることによって、こちら側の同じ空間内の人との会話より、TV画面の向こう側の人との会話の方がなめらかにできたという笑い話があります。

12 feet (3メーター 65センチ) < 公衆距離―近接 < 25 feet (7メーター 60センチ)

 声は大きく、文体も通常の話言葉でなく変えないといけません。視覚1度で顔全体を捉えるので、笑い顔、怒り顔の区別はつきますが、いわゆる目の表情は読みとれません。水平12度では同時に2人以上をとらえるので1対1のコミュケーションは、呼びかけない限り成立しません。

25 feet (7メーター 60センチ) < 公衆距離―遠方

意図的に30フィート離れて話す人がいるそうです。それは、アメリカ大統領だそうで、常にその発言を公的なものと取られるようにするためだそうです。

これは、演技が必要な距離です。普通の声でのニュアンスや顔の表情は捉えらないので、増幅しないといけません。

TV画面で顔がアップになっているのにアメリカ大統領が演技をするのは公的な発言であるとの証なんですね。

言葉は短く、身ぶりや姿勢にコミュケーションの手段が移っていきます。話しかけた相手からの返答は期待できず、最後まで知り合いになれない人々への一方通行のコミュニケーションです

オーバーアクションの演劇でも有効は15mまでであり、30mとなると視覚では飛んだり跳ねたりしか捉えられず、また、歌に、もしくは歌うようなセリフの方に、視覚より聴覚に頼るようになります。

東京小石川の300人劇場に、若い時随分通っていました。動機は単に住まいが近かったからですが、俳優の方の演技を学ぶ、いや学ぶというより訓練という言葉の方がピッタリの稽古をみることによって、のめり込みました。

彼らが新宿の紀伊国屋800席で同じ芝居を行うのもみましたが、演技が乱れて面白くなかったです。声はマイクを使うので聞きとれますが、身ぶりに困っていたようです。

舞台の中央に立つにも、4~5歩余分に歩かないといけません。歌舞伎でもオペラでも肉声となると、30m以内にして、反響を良くしないといけません。1000席が限界でしょう。

一体感を生み出す空間

武道館のライブコンサートのように、音も映像も電気信号に頼る大空間がありますが、では、その時何を第一に考えて建築(会場設営)は設計されるのでしょうか?
古来よりある教会と同じく、その場にいる人々の一体感です。
唯一人の呼びかけがどこにいても見えるように、床面に傾斜をとり、その人に照明をあてます。

人々全てを包み込むような大空間、それは床面積でなく人数分の気積によります。群れた人々はその数に見合うだけの空気がないと、押し込められた感じがします。これは、ホールの研究の外であることはもちろんですが、何か方程式があるかと聞かれても知りません。

オーケストラを入れた場合は10㎥/人と計算しています。これは音楽の拡散から経験的に言われている数字ですが、日本では30年ぐらい前からです。

吹き抜けを作ると空調に困ります。大空間全体を空調しても人がいないところはもったいないですからね。このカルフォニアのガラスの教会は、自然の風を通すことだけで空調をしています。低いところから風を入れ、熱で暖まった空気を上から抜くのです。

日本の伝統建築には吹き抜けはなく、吹き抜けは日本橋三越以来、もっぱら商業施設での客の呼び込みようとして導入されまでしたが、メーカーの大きな開発センターでは上下階をイメージとして結ぶ空間としてこの10年一般化してきました。冷暖房でなく、部分的な換気をメインに空調をしています。

ホールが日本の空間を説明しようとアメリカとそれと比べて描いたイラストがあります。

これは、筋覚についての章で「家具が邪魔と思われる空間は狭く感じる。家具の間を動いてみて得る筋覚によって感じる。」との説明に使ったものですが、なにせ1966年のNYでの文章ですので、後ろに持ってきました。

日本の絵は、旅館の座敷で真ん中に座卓が置かれた物のようです。ホールは、日本は家具を真ん中に置き、アメリカは壁に沿わして真ん中を開ける。

同じ面積でも日本人はアメリカの部屋を広く感じると述べていますが、それは日本の座敷は壁でなく、襖・障子であり、解き放てば壁が壁でなくなりますし、和室には、押入れという大きな収納スペースがあり、座卓をどかして同じ部屋に布団をひいて寝ます。50年前までは、日本は家具を置かず座って生活していました。

じゃ、今は違うと?

いいえ、すっかり西洋式になった日本の分譲マンションの間取りをみてみると、相変わらず日本の家具の置き方はダイニングだけでなく、リビングにおいても、中央にテーブルを置くスタイルです。

西洋スタイルは壁がないと生活できないのですが、マンションには大きなテラス窓、コーナーガラス、出窓がついていてこのアメリカのような家具の置き方はできません。私はいつも「壁が要りますよ。」と、ディベロッパーに言うのですが、家具の少ない、テレビも置いていない、生活感のないモデルルームをみせ、大きな窓の角部屋から先に売るのだそうです。ホールの示す日本の座敷は床の間も備え、豊かな空間でしたが、今のマンションは実に貧しいです。

日本でも、大きなテラス窓に対応して、大きな壁面を用意することは住宅の面積が大きければ可能ですが、南の庭に向かうリビングでは、テラス窓を背にしたソファーを置かないと西洋のようなプランになりませんし、実際はそのような家具の置き方をしています。ドイツのアパートでは日本と反対に南の窓は嫌われていますので、これは全く気候風土から来る文化の違いです。

日本建築の天井高さ

バブル時代、東京に外人専用賃貸マンションを作りました。150~200㎡の大型の平面です。住戸数を減らせば150㎡の住戸プランは簡単にできます。家賃は面積当たりで決めますから、日本人向けのマンションとかわりありません。しかも南にこだわらなく設計できるのでとても良いプランができました。平面計画はNYから参考図を送ってもらい、台所の器具などはドイツ製でした。

それが、外人には凄い不評で、しぶしぶ「これしかないのか。」で、どうにか借りられました。
天井高さが2m50~60cmであったのが、不評の原因でした。東京都心の高い地代ですので、土地の持つ容積率いっぱいの建物を考えます。そして、建物の高さは日影規制で決まりますので、日本と同じ天井高さとしたのがいけなかったのでした。

ホールのイラストでは、日本人は手が届かに届かないところで天井高さを決めているように見えますが、それほどひどいことはないですね。彼は日本の旅館に泊まった時、頭を鴨居にうったのでしょう。

日本の建築はすべからく、6尺が内法(うちのり)高さですので、敷居と鴨居をひくと、176センチ(5尺8寸)が鴨居の高さになります。写真は名古屋城の復元がなった本丸御殿ですが、天井高さは4mもありますが、鴨居の176センチは替わりません。

日本人の平均身長は江戸時代より20センチは伸びましたが、日本の伝統的な木造建築の生産システム「木割」の材料寸法はかわりません。今も3尺×6尺の寸法が生きていて、その上は8尺(2m40cm)となり、2mの扉を作ろうとすると40cm捨てないといけません。はい、捨てないのです。

ツーバイフォーの木造住宅なら、木材はアメリカ基準ですので、扉の高さ2mは普通です。
御殿は特殊です。普通の伝統木造建築の天井高さは8尺、2m40cmぐらいです。2尺の小壁もしくは欄間があるのが通常でしょう。

床が畳でなくフローリングで椅子式になったので、椅子の座面の高さ40cmを2m40cmに加え天井の高さが2m80cmになればよいのですが、リビングルームの中途半端な大きさと同じで、マンションの天井高さは高くても2m60cmです。

2000㎡の大きなオフィスでも天井の高さはそのままです。天井を高くすると、設備にも影響して、建設費が高くなるからです。部屋が広いほど天井が低く感じられて、窮屈なのはわかっていてもオフィスの天井は高くなりません。

郊外のショピングセンターの天井高さは4mをようやく超えるようになりました。
商品の陳列高さは1m40cmぐらいに押さえて、見通しを良くすることが買い回り空間に必要であり、売上に結びつくとアメリカのショピングセンターの事例から認められた結果ですが、もうひとつ、積み上げても4層ぐらいであり、建物高さより売り場平面の大きさが必要とされる施設だからです。

積み上げないといけない都心のオフィスでは天井を高くすることはないでしょう。

ホールは、この後に、アメリカ人とイギリス人・フランス人・日本人・アラブ人とを比較して、人が人であるための人を包み込む泡のような距離をそれぞれにおいて掲げ、ひいてはそれぞれの文化の違いをのべ、密集せざるを得ない都市の現状を非難して、目に見えない文化の相互理解をしなければならない。と、結んでいますが、私は次の章で車の視点から「距離」感を述べ、人の距離を広げてみます。

第4章 車からの視点、そして「まちづくり」へ

ミュンヘンのレンタカー屋では、日本で予約したフォードでなく、BMW3が借りられました。フォードが出払っていたのがラッキー!:)
左ハンドルですので、キープライトにもすぐ慣れ、4車線の環状線から無事アルプスに向かうアウトバーンに入れました。ゾウゾク、期待感いっぱいです。

まっすぐに、平らな2車線の道が続きます。環状線までは運転に必死でしたが、アウトバーンに車は少なく、皆さん、キープライトで行儀よく走っています。140km/時ぐらいです。エヘン、こちとらBMWですからね。フォルクスワーゲンのおんぼろ1400ccが3台連なる後ろをついていくのも良くはないと左に寄せ、追い越しの為に170km/時まで上げました。そのまましばらく走っているとバックミラーに光るものが。ドンドン迫ってきます。軍艦のようなヤツ。あわててキープライト。140kmに慣れた後、急な170km/時に視野が狭くなっていると自覚しました。

ドォーンとベンツSクラスが抜いていきました。200km/時は出ているでしょうか。さすが5000cc。と、すぐにまた、次のフォルクスワーゲンの群れに私は追いついてしまいました。左にでようかと、、、、、おや?こんどのはちっこいのが後ろから来たぞ。これについていってみるか。行かせてすぐ後ろにつきました。

アクセルをさらに踏むと、、、、、思わず前のめり、猫背になります。ハンドルを両手で握りしめて、視線は前方のナンバープレートに釘付けでした。視野が極端に狭く感じました。いけない。直ぐにキープライトです。

1900ccでも、さすがBMW3は高速安定性が高いです。路面の音も静かでハンドルもどっしり。ドイツでは道路と運転マナーの良さがあるので、車は車の値段なりのスピードで走れるのを思い知りました。視野が狭くなったのは、車の性能に身をゆだねる事が出来ず、目ん玉キョロキョロの余裕が私になかったからでしょう。ベンツSさんなどは、話しながら運転していました。揺れ・振動・音が運転手を脅すようなことはBMW3以上にないのでしょうね。シャーシーも長く重いです。

ちっこいのは、ポルシェでした。ハイ、彼にはそれらは運転への脅しでなく、運転の悦楽なんでしょう。 

「古城街道」と日本語で書かれたのぼりが道の両側に立っています。ゴールデンウイークでしたから日本からのツアー客も多いのでしょう。片側1車線の田舎道を行きます。アレ?110との標識です。しばらく畑の中を走ると、トラクターがのっそり出てきました。30km/時に急減速です。じっくり、対向車が来ないのをみて抜きます。と、今度の標識は70。アレ?町の案内標識と同時でした。そして、町に入るところで標識は40に。町をゆっくり出ると、また70。そして110に戻るのでした。

まさか、最高速度制限が110km/時とは。一般国道ですから日本なら60kmというところですので、当初は気づきませんでした。

ドイツでは町のあり方がはっきりしていました。古城街道ということもあり、今も町の周囲を囲む城壁が健在でした。日本の町は、のっぺり、まったりのスプロールのし放題で、城壁なんてあるわけもなく、町を結ぶ地方幹線では、町に近づくと判で押したような安物建築と毒々しいサインが目につきます。パタパタはためくのぼりが目の周辺視にうるさいです。車で早く過ぎさる客に対しての必死のアピールですが、歩く人には、そして町の景観としても、なんともおぞましい日本の町です。

人の距離は長くなると、歩く時間を単位としていました。その最少単位は1町です。
80mを1分で歩きます。秀吉が京都の町の一町=120mを2つに割ってから、日本の特に西日本では、80m×40mが町の一区画となりました。街中の建築では、この敷地サイズが建築の大きさを決めています。昔、日本建築学会の資料集成作成の為に、日本全国の百貨店のプランを集めましたが見事にこのサイズに中に集まっていました。

これが、ラスベガスですと200m。マンハッタンでは70m×300m。上海の坊ですと400m。いずれも机上で決められた植民地的な町の割り付けが発端です。人が多く住むようなって、町の間に道路ができ、町が小割になっていく共通の歴史を持っています。

人は走ってもせいぜい時速10kmですが、西欧では馬車が道を広げ、石畳の道を町の中に作ってきました。馬車の走る道は限られていましたが、産業革命の物流は馬車と船と言えましょう。鉄道はそのあとです。

そして、自動車の発明。20世紀のモータリセ―ションは利便性を高めるはずが、その多さがやがて町を混乱に陥れ都市機能をマヒさせました。車の為に道路をいくら作っても間にあわず、道路を作れば作るほど車は増えます。

いまや、車は人の為の「まちづくり」の敵にされています。

都市の経済発展の為に、ひたすら、道路の舗装率を高め、拡張を行い、バイパスを作り、ガードレールを作りましたが、これらは車の為であり、人の町中の快適性を考えていませんでした。車は歩行者を脅かす存在です。道路の端に身を縮め、とおる車に騒音と排気ガスをあびせられ、広げられた道路を大急ぎで通り抜けなければなりません。歩道橋をアチコチに作り、「道路はさっさと渡りましょう。」なんて標語は、「安全」の為でなく、人を車に隷属させるものです。

ゆっくり町を散歩し、道路で立ち話できる環境を取り戻さないと、郊外に人は逃げ出し、町中はスラム化します。
さりとて、車は無くてはならないものであります。車のスピードを意識した建築設計をしないと、建築家として現代をデザインできません。

図は、ドイツのまちづくりで、車の為に道路を広げようとしたものです。
建物も由緒ある石づくりとなると、これは壊したほうがよい建て物、表面だけ残して道路に対して下げて立て直す建物と調整と再構築に時間がかかりますが、400年からかけて、徐々に作ってきた町並ですので、10年ぐらいの期間は短いものとして行っています。

名古屋の町をみてみましょう。

名古屋も400年前に植民地のように作られた町でした。中心部の赤い町人地は108m角です。矢印のところに今の松坂屋、伊藤呉服店がありました。馬車はなく、大八車と籠が乗りものです。牛車の行きかう京都の大路の幅が30m、小路の幅が12mでしたので、名古屋でも道路幅は6~12mありました。火事が多かったので、延焼防止に火避け地として広小路などは、後年に100mもの幅をとりました。
これが、近代名古屋においては、そのまま活用されることとなり、路面電車が町中をめぐり、車がそのあとを追い、やがて車が路面電車を追い出しました。

大正の「大名古屋構想」により、名古屋の道路は広かったのです。

今にしてドイツのように路面電車を復活したいと願っても、片側3車線の幹線が市内をつないでおり、歩行者も場面が変われば車を運転しますのでなかなか難しいでしょうが、路面電車は電気エネルギーでエコですし、バスのような揺れも振動もなく、低い床が年寄りにも優しいです。地下鉄は地下で延々と歩かなくてはいけないし、停車駅の間が長いです。
名古屋駅の方に高層ビルが寄っていますが、桜通りと広小路通りで、名古屋駅と千種駅とを路面電車の環状線で復活させると都心の全体的な発展に役立つと思います。

道路の広かったことに加え、ドイツではレンガ作りに石張りの古い建物が町に残っていますが、日本の建築は木と紙で出来ており、しばしば町全体が火事で焼けてしまうことが、都市景観・都市機能の中での建築の役割を、行政にも市民にも考えさせませんでした。コンクリート造の建物になって火事の類焼が減っても、「なら、壊して新たに。」という木造からの発想は変わりません。
20年毎に式年遷宮が行われる伊勢神宮から感じる新たな「気分」も、ありましょう。こうなると、もう日本民族の特質とも言えましょうか。

道路計画の線引きだけをしておけば、そのうちに建て替わる時に広くなるさというのが今の唯一都市計画です。白壁町の塀だけ守っても、14階建てのマンションはドンドン立ちます。
商業地域の広い道路幅の南側ばかりにマンションが立ち並び、工業地域に大きな商業施設が建つというのが名古屋のまちづくりです。ひどいものです。

町の中の車対策として、国のやってきた事といえば、建築での建物面積に応じて附置義務駐車台数を定めた事と、歩道を作り、一方通行の道を増やした事ぐらいです。
建築設計では駐車場を建物本来の用途とどのように組み合わせるかが安全・利便を考えての最重要課題ですが、駐車場建屋は建築ではないとして、駐車場屋が単独でも駐車場建屋を作れるようにした事がより町並みを悪くしています。

裏通りの車の道は、黒いアスファルト舗装をやめて、歩道と同じように歩石ブロックをひいてしまうのがよいでしょう。運転者に「歩道の中を走らせていただいている。」という感情を抱かせます。

時速30km制限でも、交差点で一旦停止をしないことによる事故が絶えません。そこで「交差点は全て左折。直進できない。」というルールを一方通行と組みあわせるのはどうでしょうか、広くグリッドの道を持つ名古屋らしいまちづくりができると思います。一方通行だけより、さらに目的地にたどり着きにくくなりますが、ドイツの町では実施しているところがあります。

パリの町を見てみましょう

パリもローマの植民地でしたので、直交する道路と広場でシテ島からはじまりましたが、王朝と教会の前の広場を頂点とする放射状の道路網を発達させてきました。江戸も東側の海を埋め立て直交する道路で町を広げようとしてきましたが、集まる人口に土地が足らず、街道沿いに渦巻き状に町を延伸させました。

名古屋と比べてパリの都市計画が進んでいるとは思いません。町を頭に描いて移動する時、パリっ子は通りの名前で描き、名古屋っ子は交差点の名前で描くだけの事です。車のスピードによって、名古屋の町中でも通りの名前で町を描くようになってはきていますが、歩行者の頭の中はグリッドです。

 日本建築の伝統もグリッドです。直線材の木材を使っての建築でしたのでそうするのが自然ですが、さらに、江戸時代に「畳割」という設計手法でプランをつくるようになり、方眼紙さえあれば、一マスを90センチとして、誰でも住宅プランを作れるようになりました。

私の頭のなかも常にグリッドです。地上に生きる生物として節理にあっていましょう。時々、パリっ子を思い出し、彼の地の建築家よろしく○と⊿を用いますが、□の中の○と⊿です。これについては、別稿「京都の揚屋」があります。

パリの話は、別のノート<a href=” https://www.facebook.com/notes/%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E5%92%8C%E7%94%9F/my-paris-and-my-the-19th-century-%E7%A7%81%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E7%A7%81%E3%81%AE19%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%83%BC%E5%B1%B1%E8%84%87%E5%AD%9D%E4%B9%8B%E8%91%97%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E7%B5%B5%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E6%84%9F%E6%83%B3%E6%96%87%E3%82%88%E3%82%8A%E3%83%BC/168164223319705”>私のパリ</a>にも書いています。

都市のイメージ

専制君主なき現代に、都市計画の勇断はされないでしょう。ここに、「都市のイメージ」とそのものズバリの本があります。ホールの「隠れた次元」と同じころ1960年に出版されました。
リンチは建築家ライトの弟子であり、パターンランゲージで有名なアレキザンダーの師匠です。

「ランドマーク」「都市のエッジ」「ノード」「地域」「パス」など、この本から出た言葉は今も現役です。車が都市を新たな姿に替えていることを認識しつつ、都市を人の手に戻そうと、都市の形の分析を視覚を中心におこなっています。建築単体だけでなく、広い街区をいかにみて、そして対象である建築の設計をするのにどうしたらよいかという、建築家にとって古典的な教科書です。

これについては紹介だけにとどめます。文化人類学者ホールの「人の距離」から「建築の寸法」とは違って、形=デザインに直接つながってきますので、今回のノートの主旨からはずれましょう。彼の弟子のアレキザンダーやヴェンチューリのポストモダンと共に読み解くものでしょうが、また、時間をみつけて。(笑:

おわりに

「人の距離」から「建築の寸法」を、ホールの心理学と私の経験を照らして書いてみようと思い立ち、ここまで書きましたが、建築の教育という事からすると、この話はありません。

 この大型本<a href=”http://pub.maruzen.co.jp/book…/kenchiku/kenchiku.html
”>[建築設計資料集成」</a>が全14冊、私の先生でもある高橋鷹志氏を委員長として、日本建築学会によって編集され、丸善から2001年に刊行されています。建物の用途別に必要な部屋の大きさから、建築プラン、その施設の設計手法まで詳細に書かれています。
学ぶものは「どうして、このプランになったのか?」とは深く考える間もなく先輩の形をトレースすることから始めます。それほど、建築は数多く、学ぶにいくら時間があっても足りません。
そして、これをお手軽なアンチョコ本というわけにはいかないところが、一品生産である建築の宿命なのです。

空間を感じ、利用するのは人です。新たな用途の施設の設計に立ち向かう時、人を原点として寸法を考える時に、E・T ホールの「人の距離」は重要な指針を与えてくれます。

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