宗教は世界を今も制している。

宗教

名古屋に民主主義、法治主義がないと嘆いていて、宗教にぶち当たった。名古屋モンロー主義は今もあり、「お上まかせ」で名古屋人は安心して生きて来た。尾張徳川以来の名古屋の風土として、吝嗇と共に残った。トヨタの企業体も従業員にとって「お上」なのだ。

ユダヤ教の国を「故地」に作りだし、かの地の戦争は止まりません。イスラム教とキリスト教の千年戦争は今も続いています。一方、日本人は生まれてはお宮参りに行き、教会で結婚式あげ、葬式は坊主にお願いするので、命のやり取りに繋がるような「宗教」は、存在しないように感じています。しかし、イザヤ・ペンダサンが「日本人とユダヤ人」に書いたように、国民を律する日本社会の独特の風土はあります。私はそれを「お上まかせ」と、くくりました。

名古屋城天守木造化反対、名城公園に建つ愛知国際アリーナは違法です。と、もう河村市長相手に8年市民運動をしていますが、議会もマスコミも動きません。当初は「一級建築士高橋は言う」と、木造天守の危険性、アリーナによる公園破壊の話題は多少はあったのですが、事態が硬直化してしまい、500億円予算を議会が認めているので「木造天守は決まった事」と中日新聞は市の発表のまま流します。皆さん、木造天守の漂流をただ眺めているだけです。

民主主義の多数決は、首長が誘導するものでなく、「今の天守の改修で良い。」という反対意見も取り上げるべきですが、NHKは河村市長のアップばかりです。裁判所に「高橋の意見書」を提出したのですが、裁判官が、証拠として「木造天守は違法であり、危険。」を取り上げない事には驚きました。三権分立などありません。「お上」は、地方自治体の首長として今も現役です。

大村知事が、河村市長の言動に悪乗りして、違法建築・愛知国際アリーナの工事が始まってしまいました。調べてみると、名古屋市役人は「愛知県の要求水準書」とおりとし、アリーナの違法性を判断することを放棄していました。確かに「愛知県の要求水準書」に違法であることはすべて書かれていました。議会で名城公園を潰してアリーナ(屋内観覧場)を作る事の是非を問う事はありませんでした。名古屋人には、公園の必要性がないのでしょう。しかし、都市公園法で国は公園を守っていますので、愛知国際アリーナは違法です。

「お上」とは、天皇であり朝廷から、殿様であり役人と身近に降りてきたのでした。そして、今も役人は「お上」意識を持って仕事をしています。係長が「私がアリーナを名城公園に必要な施設だと認めました。」と言います。そんな違法建築を認める権限も責任も係長にはないのですが、市役所内の先輩からの教えなのでしょう。市民を守る法律を知りません。河村市長の指示に沿うように、かつ、自分が責任を負わないように頭を使う事しか考えていないのです。

「宗教が世界を制している。」という高邁な主題から、本日、2023年11月4日ならではの、身近な話に落ちてきましたが、歴史を振り返りました。「フランスに学ぶ」と「カミを「神仏習合」に探す」です。

フランス(パリの革命)に学ぶ。2021年12月25日 と 2022年1月11日

フランスに学ぶ。2021年12月25日

名古屋に民主主義が無い。なら、「自由、平和、三権分立」を血を流して得たフランスから学ぼうと、私はアルバム「名古屋には馬車が無かった。」をまとめました。

フランス革命と馬車が走っていた150年間のでき事、19世紀パリの都市デザインでしたので、今回はその前を見ます。

19世紀前半の欧州 ウイーン体制の中で、7月革命 2月革命が起きる。
19世紀後半の欧州

で、気が付いたのは、
ドイツ、イタリアがイギリス・フランスに遅れて国家が出来た事です。

絶対王政、海外植民地の経営で国を富ましたイギリス・フランスに遅れたドイツ・イタリアの国家の形成の障害はなんであったのか?

宗教戦争でした。絵は、1572年パリであったサン・バルテルミの虐殺。プロテスタント2000人が殺されました。

プロテスタントを除外する力、プロテスタントを守る力が王家の国の統一への求心力と一緒になり国の統一を果たしたのでした。
イギリスのヘンリー8世の国教会1534年設立は有名ですが、フランスも同じ頃にカトリック教会の中世的縛りから離れるべく、宗教改革と反宗教改革の間でユグノー戦争(1562~1598)をしていました。中世の権力は世俗界と聖界の二元で維持されていたのですが、世俗界の王が司教座の上に立ったのです。

絶対王政を目指しフランス国を一つにまとめた、ブルボン王朝初代のアンリ4世の時代のバラバラのフランス領土の絵です。ドイツ・イタリアの統一に先立つ事、300年前ではフランスもこんな状態だったのです。

パリの市民は市民からなる市長と16区の代表を持ち、1588年5月12日街路にバリケードをつくり、フランス王アンリ3世に対決したのです。君主を選ぶ権利は人民にあり、君主が暴政を行うならば追放することができるとする「暴君放伐論」が唱えられたのです。

民主主義は、この時、パリの血に塗られたバリケードから生まれたのでした。この後200年へて、カトリックから自由になる人権宣言がパリのフランス革命からでましたが、フランス革命でなく16世紀末のパリでのバリケードから平民が主体の主張は生まれていたのでした。

名古屋に民主主義が無いのは、民主主義を得るのに戦っていないので忘れています。

16世紀パリは19世紀のドイツ・イタリア都市国家と同様であり、中世を経てのパリ都市国家を抑えればフランスが抑えられる事になっていたのです。

農村を周りに持つ城壁をもつ都市が、都市国家を形成していたので、国を統一するとは、その地方の都市城壁を破り、都市のカギを得る事の連続だったのです。フランス、ドイツ、イタリア全そうです。

首都の市民に国が「パンとサーカスを与え」なく、首都で市民が国に文句を言い、バリケードを築くと、簡単にその国が亡びるのは、東ヨーロッパの状況で私は生で見聞しています。ロシアでも中国でも、フィリッピンでもアメリカでも同様でしょう。

パリの壮絶な歴史は城壁にあります。名古屋は家康により17世紀初頭に植民地都市のように忽然と城壁を持たないままに名古屋台地に作られたのですが、民主主義を得て来た市民の歴史を示すパリのような城壁はないままに、200年粗放に育ち、今や230万人と人口ではパリと同じです。

人口が同じでも、パリの都市史が背負ってきた血の匂いは名古屋にはありません。ですので、戦後アメリカからの憲法で民主主義を得て、権利獲得にパリのように400年に渡って血を流していない名古屋市民には民主主義は身についていないのです。

寺内町 と 堺 の自治都市

1588年5月12日街路にバリケードをつくり、フランス王アンリ3世に対決していたころ、日本でも、浄土真宗の寺を中心とした環濠城塞都市「寺内町」ができていました。寺内町の多くは領主より検断権を獲得し、住民による自治が行われていた。また領主から座特権の公認や公事、徳政、国質・所質などの免除を獲得し、住民の年貢負担も低く抑えられており、戦国時代ならではの自治都市が宗教の力を借りてでできていました。

王の対抗する法王のように、石山寺の顕如は10年間(1570年~1580年)信長と戦闘を続けましたが破れ、家康は浄土真宗を幕府統治の檀家寺として使いました。

フランス王はローマ教皇の力と対抗しつつも利用して王権を維持し、市民革命を経ても宗教は強く、国としてカトリックと決別するのは20世紀までかかりました。
家康のそれは天皇となるのでしょう。「日本教」を1500年に渡って形を変えて維持し、明治になると「カミ」として復活しました。
日本が国として宗教の自由をうたうのは、1946年の憲法14条からですが、天皇の戦争責任を曖昧にしたことにより、政治の宗教との決別は曖昧なままだと思います。

石山合戦図(写) 和歌山市立博物館蔵  上が北 中央の道が4本来ている島が御坊

ガスパル・ヴィレラは『耶蘇会士日本通信』の永禄4年(1561年)8月17日付け書簡に「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」、また1562年の報告書の中では、「他の諸国において動乱あるも、この町にはかつてなく敗者も勝者もこの町に在住すれば、皆平和に生活し、諸人相和し、他人に害を加えるものなし。町は甚だ堅固にして、西方は海を以て、また他の側は深き堀を以て囲まれ、常に水充満せり」と書いたことで「東洋のベニス」と海外から注目され、1598年のアブラハム・オルテリウスの日本地図の中にも、Sacay(堺)という名前が記され、Meaco(都=京都)とともに知られる主要都市でした。

1569年入京していた織田信長が2万貫の矢銭と服属を会合衆に要求、従わなければ焼き払うと脅したのでした。実際、1573年に信長は従わなかった上京を焼いています。幕府御料所の代官を務めてきた堺商人・今井宗久の代官職を安堵して自らの傘下に取り込むことで堺の支配を開始、翌元亀元年(1570年)4月頃には松井友閑を堺政所として派遣し、堺の直轄地化を進めました。1704年大和川が付け替えられ、港の機能を失います。

フランスに学ぶ。2022年1月11日

フェイスブックに12月25日に軽く書いてから、2週間でA4版104枚になりました。フランス史の本は図書館に多くありませんが、ウイキぺデイアが凄いです。フランス語のネタが英語に訳されており、その部分が日本語に訳されているので、英語に戻れば図版も豊富です。「パリの都市史」を書く力を私は持っていませんが、コピペをしたことにより、ここに「パリの都市史」はあります。

フランスに学ぶ

カミを「神仏習合」に探す。2023年1月1日 A4版153枚

私が70歳になったから、ガンになったから、書いたわけではありません。
私の伯父さんは「天皇陛下バンザイ」と言って死んでいったのでなく、多くの兵と同様に戦病死のようです。親父は赤紙を手にして「いよいよか、死ぬんだろうな。」とボンヤリ思っていただけだったそうです。命がなくなる恐怖が漫然とあっても、それを口にできない日本でした。

しかし、占領軍から民主主義憲法を頂いて戦後70年経ても、市民の声「天守を壊すな」を中日新聞は載せません。

私はドラゴンズファンですが、中日新聞が親会社では優勝できません。頑張らなくても、名古屋の「お上まかせ」により、選手の給料は出ます。名古屋モンロー主義は名古屋を停滞させています。 

カミを「神仏習合」に探す。

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