デジイチは生で撮って、現像するんだよ。」と、オジサン 。

私の絵、カメラ

Developing and Compressing raw data.2012年10月24日FB記 
今日は、デジイチすなわちデジタル一眼レフを初めて買って、facebookへの投稿に使おうという方にお節介します。
いまさらデジタルと断らなくても店で並んでいるのはデジタルばかりですが、昔のフィルムを使うカメラをあえて「銀塩カメラ」と呼び、デジタルカメラと比較して「生で撮って、現像するんだよ。」というオジサンの言葉の解説をします。
私の投稿写真をみて「俺の方がウマイゾ。」という方には、後半の1~6章まで飛ばしていただき、表をダウンロードしていただければ少しは役に立つのではと思います。

第一章 光は電磁波であるが、粒子と捉えると分かりやすい。 第二章 照度は曖昧。 第三章 輝度で考える。 第四章 演色性こそ人中心 第五章 色温度 第六章 点光源と面光源 あとがき: 私はタブン(>_ 一生、カメラは趣味にならないと思っていました。
第一章~六章で用意したネタは、「インテリアの設計のノート」で使うつもりで作ったものでした。タイトルは「輝度で設計する。」です。 私はカメラも絵を描くこともプロではないですが、プロのカメラマン、プロのレンダラー(完成予想図を書く人をいう)に、こんな風にしたいと指示し、建物として実現させることを30年仕事としてきました。
その前の10年は指示するための修行として自分でカメラも絵もいじっています。建築という商品は、お客様の前に持っていくことはできません。仕事の領域の一部であれば、それは趣味にはなりませんね。
しかし、定年を迎え組織の設計を離れてカメラをもう一度もつと、ホッホッ(^◇^)結構楽しい。プロを雇うお金もないし。。。ということで、カメラの撮影について自分なりにまとめてみました。

第一章 光は電磁波であるが、粒子と捉えると分かりやすい。

パースのレンダラーさんが八ヶ岳で撮影した私の車。彼はいつも生で撮影です。
パースのレンダラーさんが。八ヶ岳で撮影した私の車。彼はいつも生で撮影です。青と緑に彼の意思が入っています。

撮影したデジタルな画像は、通常jpgという拡張子をもった1/8 ~ 16程度に圧縮されたデータで取り出され、facebookに簡単にデータを写真として投稿できます。オートにしておけばデジイチでもコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)とおなじように何も考えなくても、さらに綺麗に撮れます。

しかし、紙焼きプリントが欲しいとなると自分でデータを触る機会ができますね。日本のパソコンにはあらかじめ写真加工ができる簡易ソフトが入っていますし、コンデジでも、カメラの中で面白加工ができましたので試された方も多いでしょう。でも、この加工は「生で撮って、現像。」とは違います。この写真はお友達に撮影・現像をしていただき、その800幅のjpgデータを私がまた、トリミングしたものです。

私がD40で撮影
私がニコンD40で撮影

圧縮をかけず、生(raw)で撮ってデータを加工することはデジイチならではの機能です。
デジイチの中で加工もできますが、rawをいじる場合はパソコンにデータを移しましょう。デジイチを購入されたならば、まずはオートでとり、そのままマニュアルで少しだけかえて挑戦してみてください。デジタルの一番いいところは電池が続けば無限に撮り続けられる事です。「銀塩カメラ」と違いタダです。かって私はリバーサルフィルムを愛用していましたが、必ず露出を変えて2~3枚撮るようにしていました。1週間後現像からフィルムが戻ってこないことには失敗かどうかもわかりませんでした。そう、プロと素人の差が歴然でした。

デジイチを買うとCDがついてきてそのメーカー独自の加工ソフトお試し版が入っています。さぁ、これがわからないのですよね。このノートの最後にはわかっていただきたいとガンバッテ続けます。ちなみに私は40年ニコンですが、ニコンのソフトは使っていません。アップル系で30年の実績をもつフォトショップ(Photoshop)の大衆版を使っています。

コンデジで撮影
コンデジで撮影。紅葉のD40の絵とフェイスブックに載せるぴセル数は同じでも悪い。推奨は1,080 x 1,350ピクセル

1000万画素と画素数を誇るコンデジやスマホもごく普通になったのに、私はあえて600万画素のニコンD40にしました。安いから(●^o^●)でも、奇麗。

小さなCCD(撮影素子)に大きな画素数より、大きなCCDに小さな画素数の方が素子のツブツブ1つずつ、光として見える波長0.39~0.77μmの電磁波をノイズもなくキチンと捉える事が出来るからです。CCDが光を電圧としてとらえなおし、カラーフィルターで光の3原色に分解し画像処理がされるのですが、CCD以降もデカイ面積の方が信号処理が楽です。

ですので、jpgとしては、同じデータ量であってもコンデジよりデジイチの方が綺麗になります。前の紅葉はデジイチ、この鰻はコンデジで撮っています。違いますね。

ニコンD40のCCDは、ハーフサイズです。銀塩カメラの35mmフィルムの面積でハーフということです。ですので、55mmでなく35mmのレンズが標準レンズとなります。せっかく持っていた広角レンズはD40では広角にならず、また望遠レンズは1、5倍の焦点距離となり手ぶれが凄く使えません。

第一のポイントは、CCDが銀塩カメラのフイルムに相当する。

35mmフィルムを使うカメラは普及品の”小型”カメラで、66版、4の5(インチ)とフイルムが大きくなるほど高級カメラでした。データを入れたメモリーカードをカメラからとり出しカメラ店に持って行って紙焼きプリントしますので、フイルムを現像に出す感覚からメモリーカードをフィルムと勘違いしてしまいますが、IT時代はjpg画像データが成果物といえましょう。

「銀塩カメラ」とは、フィルムにバケガク的に光を受け止め、塩化銀の感光材で白黒を反転してフィルムに固定することから名づけられました。これを「現像」と言いました。成果物は紙に焼かれたプリントです。成果物は現像されたフィルムの大きさに近いほど当然綺麗です。

第二のポイントは、どんな大きさで、どのような成果物を求めるのか?

それを考えて、デジタルデータの大きさを決めよう。

携帯電話で写真を送る場合は「データが大きすぎます。縮小してください。」というのがありましたね。しかし、facebookへの投稿では、重いデータもfacebookの方で勝手に軽くしています。データ量をツブツブ(新聞の写真の感覚で表現しました)の数でいうと、その幅はスマホなら400ピクセル程度、パソコンでは800ピクセル程度です。ですので、私は余裕を見て1500ぐらいで撮っています。そして、jpgの圧縮率は1/4に下げています。jpgのデータを使って少しは加工をしたいからです。

第3のポイントは、デジタルデータの大きさには画像サイズと圧縮率の掛け算で決まる。

デジタルデータの大きさには画像サイズと圧縮率の掛け算で決まる。

1500×1000の画像で圧縮率が1/4ですと、一枚のデータ量は1MB行きません。1GBのメモリーカードですと1000枚まで貯めておけます。フィルムなら30本分ですので、もう管理できないレベルです。次に、A4サイズのプリントに引き延ばしてみてどうか?ですが、インクによる印刷機と印画紙の性能の方が光のデータより重要なので、仮に1.5万円のインクジェットプリンターと高級印画紙として、1枚当たり2MBもあれば十分と思っています。

人の目と脳が美しさを決めます。カメラはそれをおっかけている機械です。

プロが6×6でポジフィルムに撮影し、2MBのJPEG加工したもの。
プロが6×6でポジフィルムに撮影し、2MBのJPEG加工したもの。

美とは人が決めるものです。その哲学はさておき、工学的に言うと人の可視範囲は180度を超えています。標準レンズでは40度しかなく100度をこえると魚眼レンズといって、像がまぁーるくなります。人の目はそれでいてどこにもピントを合わせられます。注視ポイントは1度の視野角しかないのですが、瞳から口、胸から首、そして手と視る対象(この場合は女性(>_ をクルクル駆け回り一枚の絵として脳で像を作ります。でも、記憶はそのようにして得た画像ですので写真のように隅から隅まで同質にとどめることはできません。

肖像は熟達の人の手による絵でしか再現できず、歴史上金持ちの顔しか残っていませんが、カメラは誰でも気軽にできるようにしました。カメラの最大の利点です。

ならば手軽に記録できる事が最重要ですので、重いかさばったデジイチよりスマホが良いとなりますが、どうでしょうか。facebookには、露出や・ピントの合っていない写真だけでなく、オイシイと書いてあるがマズソウにしか見えない写真。撮影対象がむさいオジサンさんであることはいたしがたないにしても、それを荒れた画像で見る者をさらに不快にしている写真もみうけられます。

笑顔をとっておけば、どんな顔(私の顔(>_ デモ、見て不機嫌にはなりません。これ、第三のポイントの本質です。

facebookは、写真を綺麗に載せたいという人への配慮がすくないこともありましょう。多数の写真投稿とか、写真の画面レイアウトが投稿者で決められないとか既成のブログより間違いなく弱いです。一方、写真に映っている人の顔にtugづけを勧めてきます。カメラの最大の利点をつかんでいますね。 

デジイチを買おうとされているかたに、facebook用の私の技を二つ。

画像にはタテヨコ比(アスペクト比)があります。35mmフィルムのタテは24mmで、3:2です。TVに映画にすべては横長になっています。人の目は水平に2つついているからですね。ですが、撮影素子のツブツブは正方形であり、デジタルを扱うのには修正をかけなくてすむ正方形が楽なのです。従ってfacebookにアップされる写真は正方形なんです。(^_-)-☆

デジイチならではの被写体
デジイチならではの被写体

技の一、お気に入り写真はトリミングで正方形にして投稿します。横長のままの投稿では、正方形にされるその中心を指定しています。技の二は人の顔が写っていなくても中心としたいところにyomeの名前をタグ付けすることです。

スマホでも動画となるとアスペクト比の加工ができないので、スマホの縦長のままアップされます。

20240115追加:能登地震での動画は真ん中に長方形の映像があり、両側は黒で消されていました。SNSの動画は当事者のですので迫力あり、下手な加工はしない方が良いですが、フェイスブックの動画の推奨サイズは1,080 x 1,920ビクセルです。
正方形が表示に楽なのは今もそうであり、広告に残してありますが、今はアスペクト比 1.91:1 ~ 9:16 で画像1枚投稿をするときれいに表示されるとあります。12年前とは変えていますね。最大の横幅は2,048ピクセル なので、それ以上のデータ量で撮影してあっても、ネット上では意味がないとなります。スマホでみるのでは、やはり今も幅350ピクセルで十分です。
12年前にこの文を書いたときが、フェイスブックがパソコンからスマフォ用に掲示内容を変えていた時でした。

加工作業を始めるにあたって、簡単で効果が高いのはトリミングです。

facebookで一番つまらないのは「何を訴えたいのだろう。」と、投稿した写真をみてもその意図がわからない写真です。長々と文章で訴えるより一枚の写真と短いコメントでの説明がSNSだと思って、日々つとめています。(^^♪そして、たまにこのような長文です。読まれる方は極めて少ないでしょうが、こういうブログ用のページが用意してあるのもfbの良いところと思います。(20240115追記:このノート機能はなくなりました。インスタグラムを傘下に置き、FBはツイッターに近くなっています)もうすこし、News Feedでの露出を大きくしてほしいですが。

一般にはピント、露出があっているところ、また画像の中央にあるのが記録に残したい「ねぇ、見て、見て~!」の物なんでしょう。タテヨコがねじられたまま無造作に投稿された感じの写真は見たくないですね。

山口百恵で有名になった写真家篠山紀信は「これだと思う位置からさらに半歩寄れ。」と言っています。

200万画素 ソニー サイバーショット DDSC-F505k(1999年)
200万画素 ソニー サイバーショット DDSC-F505k(1999年) 125,000円 5倍ズーム

ズームレンズは寄る代わりになり、年寄りには楽です。(ボケに注意!)

そして、撮影後落ち着いてからパソコンでトリミングをし、訴えたいものにさらに近づきましょう。

また、タテヨコのねじれも今はデータ処理で簡単に治せるようになりました。

カメラが工学的にとらえた光を人の感性で美しく補正しないといけません。

露出(絞りとシャッタースピード)とピント(ピントの合っている奥行きの範囲を被写界深度という)でもって、人の極めて優秀な目の能力に負けているのはわかっていながら、作者の哲学美でもって、カメラの捉えた光を強調もしくは切り捨てをおこなうことで、自然に決して目では見えていない写真独自の美しさをあらわすのです。記録としての写真が芸術となる一瞬です。いえ、私の写真ではないですよ。一般論です。

熊さんの作品
熊さんの作品

銀塩カメラでは、フィルムをその都度交換していました。

「赤に強いサクラが好き。」「俺は緑の綺麗なフジ。」のようなフィルムに相当するデジカメのCCDおよび画像処理にもメーカーにより個性があります。

「ポジは絶対ASA60のコダクロームだな。」増感を撮影したあとからでもフィルムの現像段階で出来るのがデジタルと決定的にちがう銀塩カメラの良いところですが、あえて「インテリアか、全般照明の段取り大変なので、ここは多少画質が荒れてもASA400にしよう。」などなどは、デジイチではできません。

「ようやく色の再現もフィルムに近くなった。」とか「どだい、粒子の細かさはバケガク対応のフィルムにデジタルが勝てるはずがない。」とか言われるかたもいます。私もソニーの初期デジカメに飛びつき購入しました。15万円。(-“-)紅葉の赤が撮れず「デジカメなんて、なんだぁ~」とうっちゃっていましが、この十年の進化は素晴らしいです。また、なによりフィルムが世の中から消えてしまいました。

とにもかくにも、銀塩カメラの時のフィルムのようにCCDを使い分けるこはできないのですよね。「デジイチの現像」はかっての種々のフイルムが持っていたなだらかな個性(=写しこまれたものを全般的に支配するフィルムの特徴)を出すものだと思っています。やっと始めのテーマに戻りました。CCDは変えられないのです。そこで「生で撮って現像する」ことが必要になりました。

生で撮って、現像で自分ならではの哲学美を演出する。

ここまでが前段です。今回私が用意したネタにようやくたどり着きました。人の目と脳の生理的仕組み、光の性質、それらをデジタルデータとして捉える事について、極めて平易に書かれた本をここで紹介しておきます。

梅津信幸 視覚とCGをめぐる冒険

しかし、これだけでは自分独自の哲学美は表現できません。かと言って、私が美についてウンヌンを述べるわけではありません。「生でとって現像する。」そのソフトを操るために、光の工学的数値と人の感覚を結ぶ指標をこれから抜き書きします。

この本に書かれていない事は、動画での表現が最終目的であり、動きを早くすることが最優先され、それでドラマチックに表現する事です。テレビゲームの世界ですので、省いてもよいとしたのでしょう。

元来、高校の教科書レベルの話ですので、皆さんにも理解できると思います。

第一章 光は電磁波であるが、粒子と捉えると分かりやすい。に入ります。

20世紀まで、光は波か粒子かと議論していました。アインシュタインの量子力学によって両方の性質を持つと無事おさまったわけですが、日常の事はニュートン力学だけで、説明がつきます。大地は平らでどこまでも続き、海の端で水は滝となって落ちる。(@_@;)そんなわけはないか。

ここでの数式は光は粒子であり、瞬時にどこまでも直進するものとしています。

光の量はル―メン(lumen:記号はlm)を単位としています。日本語では「光束」と言っています。光の粒は連続して放射され、直線群となっていて、その直線の束で光の量をとらえようということです。

国際単位系(SI)の単位として、1946年国際度量衡委員会(CIPM)は新しい光度の単位・カンデラの導入を決議し、ルーメンもカンデラ(光度)による定義に改められた。

「全ての方向に対して1カンデラの光度を持つ標準の点光源が1ステラジアンの立体角内に放出する光束」と定義される。

ステラジアンというのがまたわからないわですね。二次元なら、半径rの倍の直径のΠ(3.1415・・・)倍が円周となって、円周の部分長さでそ部分の円の中での占める角度がわかる。それを3次元として四方八方に球状に放射されたとき、光は球の半径rに従った相似形で広がっていくので、光を受ける球の面積aをその半径の関数にして単位とすれば、相似形のどの球でも同じ光の量となる。a/r の2乗が、立体角である。わかったかな?

単位なんて分からなくてもよいです。光源から遠ざかれば光の量は拡散して落ちるし、光源の強さ(光度)が強ければ光の量は同じ距離からみると大きいという、実に経験的にわかっている当たり前のことなんです。光るものと受照面(人の目でも、カメラのCCDでも)との距離と、光の強さの関係がわかればここではそれで良しです。

すこし具体的にいうと、点光源を白熱球とLEDで比較して「LEDの方が明るい。眩しいくらいだ。」と言われるとき、「白熱球よりLEDの光の方が直進性が高いから」と説明するのは間違いではないですが、同じ量の光粒子の飛びだしたとして、「LEDは白熱球より立体角がちいさく、拡散しないから。光源が小さい。」と言うと照明が少し分かっている風に見えます。

夜景は夕方に撮るべし。太陽が消えては写真にならない。

夜景をとろうとすると、(昼間は太陽光が他の光を打ち消してくれますが)照明への感性をもっていないといけません。フラッシュは5mぐらいしか効き目がないので、夜の照明の雰囲気を撮ろうとするときは、太陽の残光がある夕景を狙うようにしています。一瞬ですので難しいですが、うまくとれるとまた嬉しい。(^u^)

プロがシノゴで撮影した夕景。この一枚のために何枚も撮っています。ポジを私がスキャン。
プロがシノゴで撮影した夕景。この一枚のために何枚も撮っています。ポジを私がスキャンしました。

第二章 照度は曖昧。

照度は日常の明るさの単位として使いますね。ルクス(lux、略記号:lx)です。

国際単位系 (SI) における照度の単位であり、SI組立単位「ルーメン毎平方メートル」(lm/m2)に与えられた固有の名称であり、日本の計量単位令では「1平方メートルの面が1ルーメンの光束で照らされるときの照度」と定義されている。

そう、定義は実に明快であり、カメラは正確に反応しますが、これが人を尺度とすると実に曖昧になり、カメラでのデータを人の尺度に合わせようとすると大変なことになります。

上の表にあるように、人の目の順応は大変なもので「満月なので、今晩はあかるいなぁ。」「こちらは、木の日影になるので暗いよ。」と人は言います。そこで、カメラがオートで勝手に決めてくれる「適正露出」が最頻のお勧めなんです。でもね、人の哲学美に「適正」はなく、その人それぞれ。(^◇^)

この写真は敬愛するお友達の写真ですが、車のガラスに映り込むテレビ塔なんて、オートのプログラム「夜景」の外でしょう。

レンダラーの作品

第三章 輝度で考える。

光の強さ(光度)が、受光体(人の目、カメラのCCD)にとって全てなんです。

一般には明るさというと照度で語り、その説明に光束をもちだしていますので教科書の順番どおり輝度(光度)を3番目にしましたが、輝度が空間を作っているのです。私たちに空間を、物を、感じさせているのです。

それ自身が光るもの、光を受けて反射するもの、その反射をまた反射するもの、反射の反射の反射をまた反射するもの、、、、そして、ある物は光を吸収し反射はわずかなものとなる。

明るさを人の視覚に直接対応して説明するには輝度でなければならないのですが、工学的に輝度を計測するのが難しく、輝度を想定しての空間デザインはさらに難しく、デジタルカメラが出現するまで、長く経験則だけで語られてきました。全体の照度に人の目はすぐに慣れてしまう、輝度対比がデザインに重要なんだということで、対比の激しいところをエッジとしてとらえる特殊なカメラをわざわざ店舗照明の分析に使ったこともありました。

空間にある物の輝度の対比が私たちに訴えてくるものなのです。歴史上すべからく、優れた美術家とは「光を捕まえる。」のがうまい人の事を言いますね。

輝度をはかる計測機の理屈

これは、輝度をはかる計測機の理屈なんですが、デジタルカメラが光をとらえるのと実に同じ理屈なんです。いいかえれば、輝度計測器で私たちは哲学美を表現しようとしているのです。デジタルの進化は美術史上画期的なカメラを作りだし、大衆がそれぞれ自分の哲学美を容易に表現できるようにしました。私の40年に渡る経験・感から作りあげた空間も、新人はたちどころに工学的に分析できます。

フン ( ̄へ  ̄ 凸 分析だけで、創れるものではない。((+_+))デモ、マネハハヤイ。

しっかり真似しましょう。さすれば、プロ並みの写真が撮れます。まずはオートプログラムを使いこなしましょう。

横軸に光の波長、すなわち色をとり、縦軸に相対的強さを示すこのグラフです。この表は白色光といっても、太陽とLEDでは色の成分が違うことを示したものです。

三河湾のカフェ

ついに光を工学的に捉える事が出来た。(😊)/バンザイ 

そんな簡単に行くわけない

そんな簡単に行くわけないですネ。そう、お気づきなったようにこれはCCD一面の光の集計であって、ビロードの黒い帽子をかぶった少女がブラスを吹く写真で言うと、真っ黒から真っ白まであるのですが、画面の中の階調、輝度対比を示すことはできません。全体的に真っ暗や真っ白にして写真をダメにすることがないようにとか、「ドラマチックな表現にしたい。」ので輝度対比を激しくするとか、「安寧な風を感じさせるよう。」に輝度を均一にしようというぐらいにしか使えません。

満月に団子をささげる。の写真を撮ろうとすると、人の目には両方が見えても、カメラでは両方をとらえれません。輝度の差が激しすぎるのです。団子へライトをあてて、団子の輝度をあげてやる調節しないといけない。(>_

ここが「現像のキモ。」です。

レンダラーの作品

デジタルカメラで写真とそのスペクトル分析表をみながら、「青空に少し緑を入れると、よりスカッとするぞ。」と、作為を持って、デジタルと経験を積み重ねて「現像をする。」なのです。

後から自在に加工出来るようになった。ので、

「デジイチは生で撮って、現像するんだよ。」と、オジサン 。銀塩カメラのときも、プロはカラーフィルターをレンズの前につけて感覚的に行っていましたが、後から自在に現像出来るようになったデジイチは画期的ですね。
お友達からの借用写真がページの中で増えてきていますが、お友達の「現像力」には美術家と同様に得意分野があります。コチラの方には私から「空名人」と謹んで送り名させていただきました。

レンダラーの作品

輝度と光度を一緒のように書いてきましたが、実は光度は発光する物の面積を考えない星や電灯の明るさを表すのに対し、輝度はディスプレイなどの発光する面積を気にして明るさの強さを表す時に利用されるものです。光度の単位は カンデラ cd であり、輝度は カンデラ毎平方メートル cd/㎡ という単位で示します。

告白します。私は、分析表をもとに現像することまではしていません。(>_

その時のフンイキと言うか、まっ、いい加減です。行き当たりばったり偶然の神を頼っています。 

しかし、光を操る魅力は十分感じています。仕事なんですね。とくにインテリアのデザインは輝度のコントロールを仕上げ材料と距離と照明器具で行うことと言ってよいでしょう。人を包む環境はその中の3次元の寸法で一義的に決まり、その心地よいデザインには光が全てといってもよいでしょう。音と触覚と臭いもありますが、空間づくりへの効果は光に比べればとても小さいです。

実は、コンピューターのシミュレーションが進化して、設計者の感覚をコンピュータグラフィックで検証することも可能になってきています。舞台とか物販の照明計画にはすでに使われています。

部隊照明

ついでに、もうひとつ「グレア」と呼ばれ西洋では輝度対比の激しいのを嫌いますが、日本語の「眩しさ」となると、日本人は平気なんですよね。茶色のまなこがその理由だそうですが、裸の蛍光灯は眩しいだけでなく、私は貧しさを感じるので嫌いです。

第四章 演色性こそ人中心

照明器具の光が、照らすものを正しい色として示すことができるかどうか、太陽光を規準に指数で示します。

照明のスぺクトル分析をして、赤・緑・青の光の3原色を取り出し、あらかじめ決められた規準と比較します。比較するには人の目と脳なんですね。

さらに極め付きは「白人女性の肌の色がもっとも綺麗に見える照明は?」で、今も最新の照明器具LEDの開発が進められています。日本では当然「黄色人女性の肌を基準」にしているのですが、東芝に続きパナソニックも最も演色性の高い白熱ランプの製造をやめてしまいました。安くて綺麗な光を出す照明器具が日本から消えるのは大変残念です。日本の多くの人はやたら明るい事だけを求めているという事実を示しているともいえましょう。

多少高価になりますが、今の照明器具の中で演色性が多様に用意されているのはハロゲンランプです。

ニコンは白人女性を基準にしているのかな。(;一_一)私はポートレートを撮らない(モデルになってくれる子がイナイ。雇う金もネェ。)ので、この写真はニコンのページから拝借してきました。

第五章 色温度

単位はケルビンです。光の色を表す正式な単位です。3000が白熱で、4000が蛍光、5000が太陽、青空からの天空光が10000。これだけも違うのだと覚えておきましょう。

炭を熱すると温度が上がるにつれて色は赤→橙→黄→黄白→白と変化します。その絶対温度で示したものです。

太陽光は時間と共に変化しています。デジイチを購入すると、ビデオのように「ホワイトバランスの調整」があることに気がつきますね。

白が撮影者の狙った白かどうかを確かめる段取りです。まっ、オートにしておけば良いと思います。昔の「銀塩カメラ」にはなかったのでフィルターをつけて調整していました。青空は綺麗なのですが、写真にするにはキツイ光でした。

太陽の光が地球のエネルギーであり、全ての生物のリズムを作っていますので、人も太陽の色温度に敏感です。それを使って、時間感覚、心理感覚を演出できます。舞台照明はこの部分に特化した光です。

色温度

色温度の低いかがり火は照度も低く、色温度の高い昼間の太陽は照度も高いので、色温度が照度=明るさと結びついて人の脳には記憶されています。これは照明計画には大変重要なポイントです。色温度と照度をセットにして用いないといけません。ここをあえて外すと、大変刺激的になります。デスコの照明ですネ。ブスも刺激的な美人に変身。(@_@;)いや、アルコールの効果であったか。

第六章 点光源と面光源

面光源の代表は空です。太陽のささいな北からの光も、照明に比べれば圧倒的な量で光粒子は降りてきます。人の2万年の歴史のほとんどは太陽からの光だけでしたので、その平行光線の落ち着きに人は慣れ親しんでいます。

いわゆる「ブツ撮り」という場合は、アンブレラを使って照明の光を拡散して人工的に疑似平行光線を作ります。

物撮り

facebookにかぎらず、ブログでは食べ物の写真が多いですが、これも一種の「ブツ撮り」ですので、インテリアであっても、平行光線を探して照明から遠いところで撮るか、スポットの下なら、撮るもの全体がスポットの光で包まれているのが、まず和やかに安心の食材と思わせます。

物撮り

ここを間違えている人が多く、美味しく見えません。それから、水蒸気も入れるとか、脂を光らせようとか。。。。この道のプロの撮影の道具立ては凄いことになっていますが、そこまではネ。

点光源は、厚い壁にうがった小さな窓から入る一筋の太陽からはじまりました。「光は神」でした。

この輝度対比の激しさを、暗いところもしっかり映し出す力を、求めたのが映画の歴史だと思っています。ドラマチックですものね。西洋人は暗さに強いというか、明るさに弱いので明るい全般照明を求めません。だけに、部分照明を大変上手に使い夜の楽しい生活をエンジョイしています。うらやましく、マネのしたいところです。

「日本でもそうだろ。谷崎の陰翳礼讃があるではないか。」には、私は賛同しません。残念ながら谷崎の世界は日本の大衆社会にはありません。光の乏しい、貧しい社会からそんなに日本はたっていません。コンビニやパチンコのように明るいことが豊かなことと求めてきます。繰り返し、残念ですが。

今の映画はコンピューターグラフィックで簡単に暗闇の調整ができてしまします。そして「生で撮って、現像する。」においてもできます。ですが、したくないですね。

点光源をつかうと、面光源での反射の繰り返しで全体が薄くなるカゲと違い、その点光源による物のカゲがはっきりと2種類できます。陰と影です。英語でいうと shade とshadow 。

上の文章は影でなく、陰でした。・・・・・・・次「輝度で設計する。」に続く。

あとがき

私はタブン(>_ 一生、カメラは趣味にならないと思っていました。第1章~6章で用意したネタは、「インテリアの設計のノート」で使うつもりで作ったものでした。タイトルは「輝度で設計する。」です。

カラバッジョ

私はカメラも絵を描くこともプロではないですが、プロのカメラマン、プロのレンダラー(完成予想図を書く人をいう)に、こんな風にしたいと指示し、建物として実現させることを30年仕事としてきました。その前の10年は指示するための修行として自分でカメラも絵もいじっています。建築という商品は、お客様の前に持っていくことはできません。仕事の領域の一部であれば、それは趣味にはなりませんね。

しかし、定年を迎え組織の設計を離れてカメラをもう一度もつと、ホッホッ(^◇^)結構楽しい。プロを雇うお金もないし。。。ということで、カメラの撮影について自分なりにまとめてみました。

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