リビングルームとは?
What is the living room ? リビングルームとは? 2012年4月29日FB記
マンションのモデルルーム85㎡3LDKのリビング・ダイニングでは、テレビもおいてなく、輸入物の小ぶりのソファー(ラブチェアといわれるもの)が置かれています。
リビングダイニングのダイニングテーブルの上には、不釣り合いの大ぶりのワイングラスとナプキンがおかれ、リッチなイメージを演出しています。食器棚も大きな冷蔵庫もキッチンには入らず、この場所に置かざるをえないでしょうに。もともと、広さがリビングダイニングとしてたりないのをムリクリ豪華に見せようとしていておかしな家具配置になっています。
大塚家具のショールームでは、リビングスペースに大きなダイニングテーブルを置き、テレビをみつつ食事し、また食後もゆったりくつろげるよう椅子は肘付きとし、座面を柔らかくするという提案をしています。これがホントのここでの生活の姿なんでしょうね。
2007年、私が生活していたアメリカ、ミシシッピー州では、サブプライムローン問題さなかの建売住宅でも、あのデッカイ一人座りの椅子がオヤジの椅子としてテレビに向かって一番いいところにあり、ナンチャッテ暖炉がデーンとありました。ピアノにオーディオ、バーセットもいれて、最低20帖は必要です。この家具配置を日本のマンション3LDKにあてはめ、展開すると、140㎡はいります。
1960年代。テレビ番組「奥さまは魔女」をみて私はアメリカの家の中を初めて知りました。
それを見る我が家の白黒テレビは、テレビ画面の中にあるようなリビングルームではなく、親の寝室6帖間にありました。また、父の宝物のFMステレオセットは座敷の床の間においてありました。
家の中で板の間は、土間をかさ上げし床を張りステンレス流し台をおいたキッチンと、ちゃぶ台にかえてデコラのダイニングテーブルおいたダイニングと、私たち兄弟の2段ベッドを廊下をひろげておいた子供部屋だけでした。
家の基本は和室で構成されており、家の中で扉はトイレだけで、建具は全て引き戸でした。洋間は、ちょっとお金持ちの家の玄関の横にある応接間、兼おとうさんの書斎であるのが普通の時代でした。
団塊の世代は団地世代ともいわれます。日本中にコンクリートの箱が建ち、2DK,3DKが西山の論文「食寝分離」を元に作られました。寝室は4畳半、6畳の畳敷きが基本であり、押入れをつけることによって伝統的な和室利用形である多用途を期待されましたが、これが間違いの元でした。畳の上にタンスや机を置いてしまうんですね。
Bewitched Will Ferrell and Nicole Kidman star in Columbia Pictures’ romantic comedy Bewitched. Photo by: John Bramley © 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
住宅金融公庫貸付基準の「11帖あれば、その洋室はリビングダイニングと呼んでよい。」ということから日本のリビングルームはスタートしましたが、どうでしょうか。今もマンション不動産屋さんはその呪縛から出ていないようです。
キッチンがDK(流し台の近くで食事する)から独立キッチンになり、汚れ作業は見えないところで行うことで、いったんは食事の場の格式がアップしましたが、裏側にいたくないという主婦の力が強く、ダイニングリビングに顔を向けるカウンタータイプに戻っています。
その間も、リビングルームは大きなテレビを家族で見る空間という以外に機能は設定はされず、リビングルームの中心であったテレビの方が、ゲームと一緒に子供部屋に持ち込まれてしまいました。
家族の絆は世界中どこでも、そろっての食事です。座って、ちゃぶ台の食事は楽しかった。
狭い、日本の貧しさを指摘しているのでなく、
マンションモデルルームでのインテリアコーディネイトに、マンション販売の不動産屋さんに異を唱えているのです。家族の絆は世界中どこでも、そろっての食事です。座って、ちゃぶ台の食事は楽しかった。子供も小さい時は椅子にすわれないのでちゃぶ台の方が使い勝手がいいですね。(*^_^*)アメリカのダイニングテーブルも日本のちゃぶ台も家族の絆づくりの大切な仕立てです。
売れるマンションの為にムリクリ、テレビもおけないようなモデルルームを作って、消費者のいだく高級イメージにおもねること=不動産屋さんの考え は間違いであり、その広さならではの生活提案をインテリアコーディネーターならすべきだと思います。
では、改めて、アメリカのリビングルームとは?そして、日本が取り入れるには?
答えは「大人の世界」です。子供はそこにはいないのです。ちょっと古い日本でいうと、リビングは座敷です。
今の和室は泊り客のための予備室か仏間になってしまいました。マンションでは座敷構えをとらず、バリアフリーのネッコロガレル畳敷きの和室は、それだけであり、フローリングの延長とでしか使われません。子供部屋も5帖ほどしかないので、リビングは子供中心の遊び場と化しています。アメリカでは赤ちゃんのときから子供部屋が用意されており、子供の散らかす遊び場は子供部屋に限定されています。和室はリビングにつながる押し入れがあることでだけがその価値となっています。
いわゆる高級マンションとして売り出された広いリビングルームでも、「心地よい」とされる大きなガラスが占めていて、壁面収納家具をならべる壁がありません。「高級というのは?」と、買う方でよくよく考えておかないと使い勝手の悪い高い買い物をすることになります。
洋間での生活には家具選定が大変重要なのです。
押入れをもつことによって多用途に使い方が展開する和室と違い、洋室は家具を置くことによって部屋の使い勝手を固定してしまいます。
しかし、わずか50年程の日本のリビングルームの歴史では、西洋のように家具を使う生活が、習慣として感覚的に一般の方に身についているはずもありません。
どうしても、その家具を売りたいと願う家具屋さんまかせになるところがありますね。
父親の復権から家族の姿を問い直さないと、日本でのリビングルームの姿の定着はないでしょう。いや、ムリクリのリビングルームもしくはリビングダイニングは、もともと必要がないのかもしれません。
大人が遊び憩う空間として「居間」を今日的に見直せば「台所で遊ぶ。」のも、一つの案です。
マンションのモデルルームでの定型に引っ張られる必要はないと「お節介」します。
大人が遊び憩う空間として「居間」を今日的に見直せば「台所で遊ぶ。」のも、一つの案です。
そこで魚をおろし、肉を焼く。そして椅子は機能的なオフィス家具とする。台所、居間の収納スペースはたっぷり取り、お客様の目を意識して扉をつける。が、わたしの食魔亭です。
これは、私たちのようなシニアの二人暮らしだからできるのではなく、若い家族にも「一つの解」であると「お節介」します。「居間に収納スペースを設けよう。」とか、「キッチンのオープン化」とか、「事務椅子(ソファーでない)でのテレビ、ステレオ視聴」など、既存のマンションの間取りでは難しいですが、中古マンションのリニューアルとか戸建ての家では可能だと思います。
3LDKで110㎡は最低必要ですが。。。。(;一_一)
以上、デザインオフィス タックのプロフィールの写真の解説でした。
ダイニングルームとは?
What is a dining kitchen? ダイニングキッチン(DK)とは? 2013年4月22
キッチンは<住まいづくり>の中で中心なのは間違いがないのですが、どうにも、ガス、電気、水、換気など素人では操れないような機能がついてきますので、ナンカ怪しげな「システムキッチン」のメーカーをどこにするでしか世の奥様には選択肢はなくなっています。
「食洗機の大きさと取り付け場所」とか「IHヒーターとガスのガラストップ」という雑誌の比較記事ぐらいしかキッチンの知識を得られていないようです。
今回の「ダイニングキッチンとは?」は、中学の技術家庭科の教科書「美しい生活」につながることを密かに目指しています。
私の子供の頃には、台所とは土間で、おかまで飯を炊く竈があり、手押しポンプで井戸水を汲み、人砥ぎ流し台の排水は小川に流している姿がまだありました。
日本の懐かしいこの台所からオープンキッチンへは、たった50年の変化なのです。
欧州では昔から台所でも居間でも寝室でも土足であり、家具を使って生活をしてきました。日本では台所では土足ですが畳の部屋にあがるには靴を脱ぎ、大きな家具を置くことなく押入れから物を出し入れして生活してきました。
日本のダイニングキッチンの成長には、椅子と机による生活スタイル全般の変化が必要だったのです。これを素人が自分で気づくには、最低3回の普請道楽が要りましょう。是非、コンサルタントにご相談下さいませ。
よって、以下の「ダイニングキッチンとは?」は、長いです。
食魔亭、花の宴。
今日も今日とて、私は新たなお客様(その昔、あこがれの美少女)に、食魔亭の機能をいともなめらかに説明いたします。
私「ええ、1DKです。全部で90㎡しかないアパートなので、20畳のDKとしてこのように大きなテーブルをドンと置き、なんでもかんでもこの周りでやってしまう生活をしているのですよ。」
昔美少女「でも、こっちは8畳かな。書斎コーナーとつながっている大きな部屋じゃないの。これはリビングみたいなものでショ?」
私「腰を痛めてから、ソファーを捨てたので、・・ナイし、大型のTVもオーディセットもナイ(あえて見せていないのですが)のでLDKとは言いませんでしたが、書斎コーナーをやめてソファをそのようにセットすれば、28畳のLDKとも言えましょうね。仏壇も隠れてあるし。(笑 」
昔美少女「これで、DK(ダイニングキッチン)というの? 違うのじゃない。」
私「そうですね。オープンキッチンという言葉もありました。もう30年前ですが「家庭画報」という雑誌が、我らが名古屋の誇るイケメン建築家、宮脇檀さんのダイニングキッチンを、オープンなキッチン<皆でワイワイ楽しめるキッチン付きのダイニング>であるからとOpen Kitchenと命名し、一時流行りましたね。
Dining KitchenもOpen Kitchenも生活を憧れのアメリカに近づけたいという日本人ならでの和製英語です。
その後、ハウスメーカーやマンションディベロッパーが「私はメシを作る召使いではないわ。」という奥様の気分にのっかり、たんなる「対面式キッチン」を「オープンキッチン」などと名付けましたので、宮脇さんも言わなくなりました。」
昔美少女「オープンキッチンって、おしゃれなイタメシ屋さんなんかで、ガラス越しにキッチンの中が見えるのをいうのかと思っていたわ。あれって、全然オープンじゃない。お鮨屋さんのカウンターなら、ホントのオープンキッチンだけど。」
私「いや、厨房は機能的に食事室に対しオープンにできないのですよ。鮨屋さんも、煮焚きは裏でやっていて、切って、握って、盛り付けだけでしょ。
大容量のバーナーを使う西洋・中華料理では、大量の空気を取り入れ、炭酸ガスと水蒸気をまた大量に排出しないといけません。厨房に空調という機能をつけるのはどだい無理なんで、厨房を空調の効いた食事室と一緒の空間には出来ません。
また、保健所からも「衛生上わけなさい。」と言われます。厨房の中の消火設備も消防法でしっかり規定されていまし、厨房の床を水洗い習慣も残っています。おしゃれなオープンキッチンのイタメシ屋を設計するのは、大変難しいのですよ。
住宅でも程度の差はあれ、オープンキッチンが難しいのは変りなく、私のお勧めは、基本、独立したキッチンです。美しく食卓を飾り、生活を楽しみませんか。ですね。
3LDKも150㎡もあれば、調理台・配膳台兼用のテーブルを床高90センチの高さに設けて、座面の高いハイチェアを添える形もできましょう。
私がTVで初めて見たアメリカのキッチン「奥様は魔女」の形は、今も「ボデイオブプルーフ」に続いていますね。デザインの色合いは違えど、アメリカンスタイルは今も健在です。ダイニング(食事室)はキッチンとは別に部屋としてちゃんとあります。」
昔美少女「高橋クンは、いろいろなキッチン、プロ用も設計してきたので、こう、作れたのね。」
私「ええ、まぁ。何より、これからの20年、老夫婦だけの生活をどのように、、、ですね。コンセプトと私たちは言っていますが、キッチンのレイアウトを絵にしつつも同時に生活スタイルをお客様と思索し、いくつかの案をシミュレートしていかないと90㎡の住まい全体は決まりません。私のイメージは一瞬で浮かびますが<決めちゃう>手続きには時間をかけます。ハイ、私の生涯で最も手ごわいお客様でした。」
2DK、3DKという間取りへの符号でもって、住宅公団が団地募集をしてから、DKすなわちダイニングキッチンが一般的になりました。1960年代(昭和30年代)です。
町の不動産屋さんのガラス戸には「6畳・4畳半・水洗トイレ・流し台・ガ・電・水完備」と、紙が貼られていた時代です。キューポラのある町の中学生、吉永小百合には、整然と並ぶ白いコンクリートの箱も、DKというアメリカ的な符号も、ステンレス流し・デコラ貼りテーブルと同様に光り輝いて見えました。都会のなにかしら洗練された生活をイメージさせたのです。
サラリーマンの彼から「公団にあたったら、結婚しよう。」とプロポーズされ専業主婦となり、そして、子供の成長にあわせて一戸建てに転居することが彼女の夢でした。今では想像できないでしょうが、たった一世代前のことです。
私の父も母のために、畳敷きの平屋建てでしたが台所だけ改修しました。土間に床を貼り、ステンレストップの流し台を置き、デコラ張りのテーブルを持ちこんだのです。洗濯機、TV,冷蔵庫と、3種の神器をお隣より早くそろえられたのが父の自慢でした。
これは、政府が戦後唯一進めた国民への住宅政策「持ち家制度」でもありました。
今、郊外団地を空家にし、町中の借家を崩壊させ、幹線道路の南側にだけ矮小なマンションを立ち並ぶという醜い街の姿はここから始まっています。
戦争により420万戸の住宅が不足しているので、まずは絶対数の確保が第一であり、戦争に負けたので<和風>というものは全て悔い改め、なんでもかんでもアメリカは良い、真似しようという時代でした。東大の若き研究者、鈴木成文は「最小限住宅」として13坪(44㎡)の2DKプランを作り、住宅公団に採用されました。
その指導原理は、京大の西山夘三先生の「食寝分離」理論です。食べるところと寝るとこころが一緒なのは乞食・浮浪者の家であって、人間らしく住むには分けなくてはいけない。それでもって、13坪の中で、親と子の寝室を分けよとなれば、エエィ!台所を少し大きくして、そこで食事をしてしまおう。という鈴木さんの苦肉のアイデアでした。
私は西山先生の御本「住居論」は今も捨てきらずに持っています。枕になるほどの大書です。戦前からの農村住宅、工員住宅の研究を積み上げたもので、マルクス主義の香りをほのかに立てつつ、お殿様は黒書院という8畳の間で、寝る・喰う、なんでも行っていたことも十分踏まえて、戦後の住宅政策に数々の提言をされていますが、残念ながら「最小限住宅」が最優先され、アメリカのダイニングキッチンとは全く違うものをDKと称して日本中に広めることになりました。
お風呂も、一穴の便器も2DKにはセットでついていること。2室とは4畳半と押入れのついた6畳の和室が襖で仕切られてあって、ベッドも子供の勉強机も前提になく、畳にふとん敷きで寝ることであること。
これらは、この後3LDK 80㎡となっても、家具配置を(意図的に?)忘れたマンションプランの呼称と部屋面積の最低基準として、住宅金融公庫からの融資基準に残りました。そして、今も引きずっています。2DKの符号こそアチラ風ですが、良くも悪くも純国産の設計仕様なのです。
私は、昭和28年に作られた東大の実験住宅で昭和55年から新婚生活を始め、その後この類の住宅を4回引っ越しています。お蔭さまで身をもってこの「食寝分離」と家具配置とのジレンマを体感できました。詳しくはHPの住宅に家具配置を載せていますので、そちらに。
1970年代に入り、日活のスター、白川和子が「団地妻の昼さがり」を演じる頃になると、DKの流し台、ステンレス深絞り(サンウェーブ賛)の輝きも落ちて来ます。
台所と食堂という二つの部屋が一つですむ経済性だけでなく、手を伸ばせば食べ終わった食器をすぐ流しに突っ込んだり、湧いたままのやかんも椅子に座ったまま取れてしまうという安易さも当初は受けました。これが「動線」を短くするということなのだ。アメリカ的合理主義だ。と思っていたのです。
でも、生活がちょっと豊かになると、普段は「おい」「ふろ」「めし」「ねる」としか言わない夫が、夜遅く帰ってくるなり文句を言い始めました。汚れもののあふれた流しの脇で飯を喰わせるとは何事か。なんで子供のおもちゃが、調味料が、ダイニングテーブルの上に置きぱっなしなんだ。でかいケツをこちらに向けたまま飯を作りやがって、少しは愛想をみせろよ。etc. 企業戦士、会社に住んで家に通勤するといわれた高度成長時代の事です。
負けずに、女房たちも言い返します。家族と話をするのにイチイチ振り返るのは首が痛いのよ。私だって、私が洗わないかぎり、朝のフライパンに卵のついたのが眼の前でさらしものになっているのは嫌だわ。PTAのお友達が訪ねてきて、昼下がりにおしゃべりをしようにも流しをモロに見られるは困りものよ。つっこめば自動で食器が綺麗になればいいのにねぇ、アメリカ製であるらしいけど。はぁあ~、とため息一つ etc.
豊かになった階層に、民間の分譲マンションは公団とは違いますぞ。とばかり、システムキッチンを売り込みました。独立したキッチンとそれに付随したダイニング、またはリビングとダイニングの組み合わせです。
キッチンは二層シンクとなり、調理台のトップも大理石風。お湯のすぐ出る瞬間湯沸かし器、冷蔵庫、オーブン付きの電子レンジはすぐに必需品となりました。日本の食器に合わず、壊れやすいものでしたが食器洗い機もアメリカから直輸入されました。
やがて、広くなったはずのキッチンの配膳台は松下電器の電化製品、ジューサー、モチッコ、スライサー、泡たて機、ごますり機、電気カツオブシ削り、パン焼き機etc.で埋め尽くされ、機能的?工場のようになっていきました。
台所仕事を楽にし、家族の健康を支える毎日の調理がな~んかややこしいことに。でも、一番嫌なのは、私だけ、楽しく食事がいただけてないわ。ハテ?
日本料理は一皿一皿運ばなくても良いのですが、主婦は何度も食事中キッチンに立たないといけません。決して立ち上がろうとしない夫に腹を立てることに。「少しは手伝ってヨ。」そして、なにより子供を含めての家族の団らんを途切らすことを嫌って、車のついたワゴンがダイニングテーブルの横にベッタリおかれるようになりました。
システムキッチンを導入しても「美しい生活」はやはり出来ないのでしょうか。
私は1980年代(昭和50年代)の80㎡のマンションを、1992年に購入しました。
バブルの頃に4回目の引っ越しです。中古でも高かったので改装費は400万円しか用意できませんでした。まずは、ベッドを。他の家具は基本的に今までのものを使う前提でした。
そして、キッチンは壁に向かって流し台があり、ダイニング・リビングには開かれたプランでしたが、台所への採光をあきらめて南には閉じました。リビングとしてのソファの落ち着きも欲しかったのですが、キッチンの収納を増やしたかったのが大きいです。
そのままのプランですと、リビングに食器棚が飛び出てきて家具にお金をさらにかけ、それでいて、リビングのインテリアが落ち着かなくなります。あと、和室で座ってダイニングはまだ、保持していますね。リビングに壁面収納をもつことなく、広々感を感じたいまとめ方でした。
そう、「おい」「めし」「ねる」と、まだ威張って女房に言えた、元気の良かった頃の私でした。
その後、転勤にともない都合4回引っ越しして、やっと今の住まいに、2010年でした。その間に賃貸マンションでは、いわゆる「対面キッチンカウンター」というのも体験しました。女房は南向きの流しに「明るい。」と最初の一瞬は喜びましたが、一度クローズドキッチンの大きな収納、散らかし放題の安直さを味わってしまっていたので、ロールブラインドでカウンター上部を隠しダイニングからキッチンを見えないようにしたり、食器棚を購入したりと何かとモノイリでした。
今は対面キッチンカウンターがまことしやかに売り込まれて、住宅の主流となっています。せめてお皿を洗う時ぐらいは家族の顔が見えるようにでしょうが、しかし、ガスレンジは壁際に持ってこないと、、、ワインクーラーはどこにしまうのか、、、、ハテサテ?
そう、これは「私作る人、あなた食べる人」を変えない限り、メイドでもおかない限り、永遠に解決しない事ではあります。しかし、システムキッチンのシステムにも問題がありました。壁はコンクリートにビニル壁紙貼っただけで、低い天井の中心には大型の蛍光灯がデンと付けられ部屋全体を照らすというマンションのダイニング・リビングのインテリアデザインとシステムキッチンのデザインがあっていない事も、実に大きな問題なのです。台所からはみ出てきた食器棚を壁にくっつけて置くにしてもコンセントが周りにみあたりません。
システムキッチンとは、その本場、欧州では、1LKなどのアパートでリビングと一緒でもおかしくないように考えられたものでした。
本棚も飾り棚も一体的にシステムを組むことができるもので、家具のように美しくあるだけでなく、モジュールに従いどのメーカーのものでも住み手に合わせてシステム化されるものでした。それが、日本ではメーカー毎にシステムはクローズされており、キッチン屋さんの既製システムではリビング家具に合わせられるレベルのものを作っていません。
いや、リビング家具そのものの伝統が日本になく、本物がないのです。大人になってから、アチラモノだからとか、皮貼りだからとかで購入するだけで、リビングとは?をダイニングキッチンとは?の前によくよく考えないといけないのですが、その場の直感だけで家具を購入してしまうので、いざ家の中に置いてみて「なんで、こんなに大きいの。」になってしまっています。
欧州の方は足が長く、お尻も大きいのです。アチラモノには、よほど注意しないといけません。ついでに一つ、皮貼りは欧州では耐久性を求めたときの仕上げであり、デザインの豊かなものには使われていません。
欧州では子供のころから当たり前に体にしみ込んでいる事が日本では経験できていないのです。フランスの小学校の家庭科では料理だけでなく「美しい生活」もキチンとあるのですが、日本では、そのような教育の必要性にも気付いていません。
また、デベロッパー側にも「マンションの家具はご自身でお選びください。モデルルームの家具屋さんを紹介します。」と言わざるを得ない理由があります。豊かな空間にするために、すてきな家具をおこうにも、家具をおけるスペースをダイニング・リビングルーム(たったの11畳!)として用意できていない事を隠さないといけません。モデルルームでは、オプションだらけに改装して、スペースの絶対的狭さをごまかしています。
この写真のモデルルームもつり戸棚をあえて外して、「対面キッチンカウンター」をオープンキッチンに見せていますが、ワイングラスはどこにしまうのでしょうか。アメリカでは、調理台・配膳台兼用のテーブルとして使われるところにディナーセットをおいています。メイドを雇うような方は75㎡3LDKのこの住戸を購入しないでしょうにね。
奥のリビングのソファーは2人しか座れませんし、壁をタイルと棚で飾っていますが、TVは置けていません。これが、狭いマンションを豊かに見せるインテリアコーディネーターの腕なのです。リビングルームにワザワザ収納スペースを作って、狭くして売るなんていうことは、彼らには全く考えの外なのです。
しかしながら、彼らディベロッパーに、マンションの価格評価は<駅近、環境、坪イクラ>とでしか買い手は見ていないと思わせている、買い手自身=あ・な・た、が「美しい生活」への一番の問題なのです。日本の「住まい方」がとても貧しい事、「美しく住もう。」と自らは考えず、<人任せにする>事がいけない事なのです。いくら「美しく住みたい。」と言って頼んでも、そんなの誰もやってはくれません。「美しさ」を決めるのはあなたです。
さぁ、美しい生活をしてみませんか。オープンキッチンの法則をおさらいしましょう。
法則の1:「あなた作る人、私食べる人」では、運用できません。メイドのいる方、女房はメイドよ。と言う方も排除です。
パーティが大好き。ホストが椅子に座って水割りを飲む前で、ゲストがIHヒーターの火加減をし、塩コショウを振るぐらいが良い。
以上のどれかにひっかかれば、そちらの方が安全確実、配当もつくというものです。ゆめゆめ、気分でオープンキッチンに挑戦してはイケマセン。覚悟が要ります。
法則の2:何もかも見えぱっなしのキッチンだから、調理しながらまたはした直後、または食事が終わった時に、すぐサッと調理器具なり素材なりをしまう習慣を持っている人がいないと、別に夫でも子供でもいいのですよ。このキッチンは成立しません。
簡単にはいいますが、イッパイ飲んでいるとこれは難しいです。その時は家族うちなら目をつぶって、、、というのもアリです。アリですが、これが毎日続くといけません。酔っぱのご夫妻にもお勧めできません。
汚れること必至のキッチンを何とかしていつもきれいにしておこうとして努力する人がいなければ、あのうとましい2DKのキッチンを大きくしただけになります。なお始末が悪い。
法則の3:完全なオープンでなく、半分だけオープンも可能ですが、対面キッチンと違って流し台前をスルーで両方向から行き来できるようにしないといけません。半分だけオープンとは、客が来た時だけ引き込み戸を閉めて独立型、もしくは対面キッチン出来るオープンキッチンということです。
法則の4:調理台と食卓を同じ高さにする。
椅子を全部ハイチェアにするのか、調理台の一部を食卓の高さにするのかどちらかですが、私はダイニングテーブルの高さを欧州並みに床高さ75㎝として、椅子はオイルダンパーで簡単に座面が上げ下げできる事務椅子としました。平均的な日本女性はハイヒールでもはかない限り、座ると足先がブラブラです。
身長1m55㎝の女房は、花瓶に高いツル口の水栓から水を入れるのにちょうどよく、また、パンをこねる力仕事にもこの75㎝のテーブル高さはちょうどよい。キッチントップの高さは力仕事が減り今や90㎝も時代ですが、キチンに力仕事は今も残っています。私が魚を出刃でさばくのも良いですが、刺身庖丁を握るときは、腰を折り曲げつらいです。我慢、我慢。
法則の5:換気は最重要です。500㎥/hの大容量の換気扇がないと、ガスでの煮焚き、魚焼きはできません。
新鮮空気を冬に部屋が寒くならないように取り入れるようにして、オープンの邪魔をしないようにフードを設けるとしたら、やはり壁際にコンロは持っていかざるを得ません。センターキッチンでの排気ガスの出ないIHヒーターとキッチンの火は使い分けています。戸建てなら、焼き肉屋さんのように排気をコンロの周りから床下に抜くことも、まっすぐ屋根の上に抜くことも可能ですが、アパートではダクトを考えるとこうならざるを得ません。
法則の6:いくらIHヒーターといえども換気扇はいります。
小さく天井に穴をあけました。フードは邪魔なので、天井の仕上げに工夫をしました。IHヒーターで肉を焼いた翌日は中性洗剤で天井を拭き掃除します。油汚れの取りやすい住友3Mの塩ビシートとしました。これは天井まわし縁と共に、我がオープンキッチンのスペースを誇示する実に豪華な仕上げなのです。だれも気付きませんが。
この仕上げに職人さんたちは随分泣きました。ええ、私たちが引っ越ししてからもやりなおし工事です。天井下地の平滑さを出すのは実に難しいことと改めて学びました。自分んちですのでやりきりましたが、お金をもらってのお仕事では怖くて設計できません。
法則の7:インテリアデザインを完璧に行わないといけません。お金ではないですよ。テイストの統一です。
オープンキッチンとはダイニングキッチンではない、台所で食事をしているのではなく、ダイニングの一角で調理しているような感じを持たせないといけません。
メインの流し・コンロはお誕生席から6m離し、且つ薄暗く(手元灯を密かに棚下に入れています)、調理の様子は自らの背中で見えないようにしています。お客様に近いセンターキッチンは、ハロゲンランプのスポット照明で明るく照らします。手前に光があれば、気が行けば、その奥は見えていても見えない人の脳の働きを利用します。
ご予算があれば、調理台のトップと壁を黄金色のタイルでそろえたり、収納の扉を壁と同材の米松にして一見壁に見せる・・・・etc. オトウサン、貴方に汚いものは見せませんという姿勢を濃厚に見せるインテリアにしましょう。
法則の8:見せないためには、収納は食器だけでなく、ありとあらゆるものをしまうだけの容量が要ります。
私はビッグテーブルを日々生活の中心としましたので、ふとん以外のなんでも入る奥行き60センチの壁面収納を設けました。予算に限りがあり、表面メラミン裏側ポリの安物仕上げですが、女房の身長にあわせ、持ちモノにあわせ、日本が誇る建築金物屋スガツネの極上テクニックを総動員しました。
分譲マンションのリビングのお粗末さは、収納が必要なのに隣の和室の押し入れに頼らざるを得ないプラン作りにあります。どんな高級な値段の高いマンションでも、建築の設計が家具まで及んでいない、分譲マンションとは実にレベルの低い設計なのです
リビングの収納では、本やCDだけでなく、掃除機もアイロン台も要りますし、読んだ新聞・雑誌を放り込む箱も要ります。
今やTVだけでなくパソコンも必需品です。これらのコンセント、無線環境の構築も目立たないように設けておかないといけません。
本来、家具の想定をしておかないと、壁へのスイッチ・コンセントも付けられないはずですが、普通はそこまで考えられていません。
法則の9:キッチンの詳細を、オープンキチンだからといって改めて語ることはないですが、ここでは私流のキッチン論を少し。
流し、調理台、コンロは合わせて2m10㎝でよい。流し台は長いほど使いやすいのでなく、散らかるスペースを増やすだけ。調理の動線を短くするためには、これを中心に冷蔵庫、配膳台、最低限の調理電気機材の置き場をL型もしくはI型に置く事です。
まな板、庖丁の類はアチラモノ流し台を用いるとしまうところがありません。浅い引き出しも既製システムキッチンには少ないですね。
しっかり容量をとったはずが、女房がこの頃フライパンを調理のあと引出しにしまわなくなりましたので、密かに数えてみたら7枚ものフライパンを持っていました。収納があるだけ、買ってしまうようです。アチャ!
最後に、引出しの取っ手は、カッコ悪くてもつけましょう。台ふきんを干す場所を設計するのを忘れていました。今考えるに、細くて長い取っ手は、夜、最後に台ふきんをかけておくのにちょうど良かったと。
まぁ、いつものことですが、完璧な設計はありませんのでヒラにご容赦を願いつつ終わります。
おまけ: リフォームで、ダイニングキッチンを美しくしようとお考えの方へ。
リフォーム業者の言う事も新築マンションのディベが言う事と大差がないというだけでなく、もっと罪深いものがあります。
20世紀に作られたマンションは、排水管、給水管に白ガス管を使っているかどうか調べましょう。
このマンションでの白ガス管の調査ですと、ネジ切りした接続部分は25年もすれば穴があきますね。
マンションの専用部は自分のお金で直さないといけませんが、世のリフォーム業者は目に見えるシステムキッチン、ユニットバスなどは美辞麗句で勧めてきますが、まず、床下の配管まではリフォームしてくれません。もっとひどく、キッチン流し台の下の排水接続をフレキシブル管でぞんざいにつなぎトラップ(排水の臭いを湧きあがらせないための工夫)を壊している場合があります。
キッチン屋さんは家具の箱モノの延長でしかなく、配管屋さんはまた別の工種であることからこうなります。
間仕切りもドアも床や壁の仕上げもリフォームしないとダイニングキッチンは作れませんので、信頼のできる大工さんもしくは建築士に相談しましょう。
リフォーム会社の看板に騙されてはいけません。
せっかく美しくリフォームしたのに、すぐあとに漏れた配管の取り換えのためにまたキッチンを取り壊すことになります。
21世紀のマンションは、排水管は塩ビ管であり、給湯管・給水管は架橋ポリエチレンという名の配管材料を用いて、カチッと接続していますので錆に対しては安心です。