- 建築家からみたインダストリアルデザイン 20120724記
- 今月の笑い話
- 大量生産品のデザイン
- NEVER LEAVE WELL ENOUGH ALONE 1951年発行
- 「美しいデザインは機能にそったもので、商品のコスト高をきたすものでない。」
- 20世紀はアメリカの世紀です。そのアメリカの躍動、自信が生々しく読み取れ、楽しい。
- ローエはインダストリアルデザインが消費される時代の寵児となり、
- 「私はとうとう完全なものを発見した。それは「女性」だった。」
- 「ローエなんて、ただのパッケージデザイン屋。」と、嘲笑する向きもありますが、
- 「住宅はすむための機械。」と言い放ち、サボァ邸で20世紀現代建築の祖と言われるコルビジェは、
- 建築のインターナショナルスタイルはアメリカでも1950年代ですので、ローエは20年早いですし、ポストモダンとなると1980年代ですから50年早かったことになります。
- ①デザイナー ②技術者 ③原価管理者 の3者がそろって
- 口紅から機関車まで レイモンドローウィ著 藤山愛一郎訳 1953年発行
- パネルディスカッションは「建築は土地に縛られた一品生産であり、車などのインダストリアルな大量生産ものとは違う。」のでなく、
- ローエのチームには建築技術者、家具汁器デザイン、サインデザイン、物流技術者もすでに集めており、スパーマーケットチェーンのティピカルデザインをしていました。
- 商業建築は「新しさ」が求められます。インダストリアルデザインに従います。
- 「今、新しいのは何か?」です。
- 生活を革新するようだが、今だ、世にないモノの場合はどうするのでしょうか?
- デザイナーが、プロデューサーが「作りたいものを作る。」しか結局はありません。
- 企業内デザインナーの欠点は、技術者の力に屈し、作りやすいモノ=安いモノをデザインしがちであることです。
- アイパッドの寿命は2年ですが、建築は50年は持たせないといけないし、
- この私の「教育が悪い。」に対してですが、
- 建築の材料は、プレハブ住宅でなくても、工業化、コンポーネント化が進んでいます。建築の現場からは、職人が消えています。
- 今や金額で表すと設備の方が多いです。快適な環境を作るためには、設備のシミュレートをし、技術者になり変って建築家が客に説明できなくてはいけません。デザイナーというより、ローエのようなプロデュサーの役割ですね。
- 「私たち日本人は床・壁・天井の3次元を木軸構造の長い歴史の中で親しんでいること。」
- あとがき 2024/1/24記
建築家からみたインダストリアルデザイン 20120724記
今月の笑い話

イギリスで、アップル社がアイパッドの意匠権を侵害したとギャラクシーのサムスン社を訴えたが、イギリスの裁判官は訴えそのものを認めなかった。
「アイパッドの方が、ギャラクシーに比べ、完璧・精緻に造形されている。確かに後からギャラクシーは販売されているが、これではとても真似たものとは言えない。」
サムスン社としては、部品としてはアップル社にも売り込みたいし、実際取引もあるので、面倒な裁判を世界中でアップル社とするのはさけたいでしょうが、この裁判官の言はサムスン社のインダストリアルデザイナーとしては、笑えないですね。
かってのウインドウズ/インテルもそうでしたが、世界で最初に売りだし市場を素早く占拠するのがこの世界での儲ける秘訣です。一番売れたものが規準となり、事実上の標準となります。
しかしながら、スマホにおいて、アップルのソフト・ハード一体戦略に対し、サムスン社がグーグルのOSを使い、ギャラクシーがアイホンを抜いたところで、「私が規準を作った。」と、大人の態度を取ることもできなくなったのでしょう。ハードの中には特許がギッチリ詰まっておりその訴えならわかりやすいですが、
アップル社が著作権の中の意匠権を先端の工業製品に持ち出した事、それに対し裁判官が「土俵に載せないにように判断した。」ことが、今回のテーマとなりました。
大量生産品のデザイン

産業革命による大量生産という工業の発達が、20世紀になってようやくデザインに至り、それまでの様式装飾からテイクオフしました。
生活にかかわる全ての物が、それまでの匠・マイスター・職人による工芸品から、インダストリアルデザインによる物となっていきました。
今は企業名があるだけで、その中に所属するインダストリアルデザイナーはアノニマスなものとなっていますが、1929年から50年間、アメリカ人のレイモンド・ローエは、あらゆるインダストリアルデザインに取り組みこの職能を確立しました。
彼を知ることがインダストリアルデザインを知ることですので、彼の書の説明から始めます。
NEVER LEAVE WELL ENOUGH ALONE 1951年発行

2002年に、THE JOHNS HOPKINS UNIVERSITY PRESS より再発行されているのを今回知り、アマゾンで購入しました。
表紙の写真には「驚異のデザインだ。この卵こそ、完璧な機能を形にしたものである。」と裏表紙に説明があります。そして、1929年36歳にして、初めて勇躍インデストリアルデザインに取り組んだ謄写機と、今のアイパッド以上に生活において革新的であり、かつ売れまくった電気冷蔵庫が載っています。冷蔵庫などは以後70年コンプレッサーを背中に抱き続け、その後のデザインの革新はないといえましょう
「美しいデザインは機能にそったもので、商品のコスト高をきたすものでない。」
と言い続けたローエですが、自然界での何億年もの進化にはかなわない。ということで、原題を日本語に訳すと「まあ、いいかなというところでほっておかないといけない。だから、もっと良くしようとしないとね。」と殊勝な言葉になっています。
この卵の形の理屈は「メタファーというデザイン操作」がその後はやりますが、その端緒となったものでもあります。
序文で自ら書いているように、「英語もろくすっぽできない26歳のフランス青年が生計の途を立てようとアメリカにわたり、偶然にも新しい職能を立ち上げ、いかに成功したかのの物語」が中身です。タイトルとは大違いの内容です。書き方によれば鼻もちならない自慢話の連続なんでしょうが、このお話が実に面白く、今も再販されていて本人が否定したデザイナーの「教科書」になっています。
20世紀はアメリカの世紀です。そのアメリカの躍動、自信が生々しく読み取れ、楽しい。
アメリカに文化の高い?フランスからやってきたローエが、マヨネーズなる人工調味料にケチをつけつつ、サンドイッチの包み紙にスケッチをする様は痛快です。
1914年~1918年の第一次世界大戦が終わり、1919年にローエは軍服姿でやってきましたが、アメリカ庶民の車として1914年から大量生産されたT型フォードが毎年デザインを変え売り上げを伸ばしたGMに生産中止に追い込まれたのは1927年でした。
1910年~1930年のアールデコ様式は、1925年にパリで行われた「現代小食美術・産業国際博覧会」が頂点でした。

1929年にNYの株価が暴落、世界恐慌になりましたが、1933年にニューディール政策が行われアメリカの国内保護主義が、ヨーロッパでの第一次世界大戦の疲弊から立ち直る間もなく1939年に突入した第二次世界大戦をも、ローエを押し上げるように働きました。 戦闘機の流線形は、そんなスピードを出さない汽車、車、掃除機まで広がり、「新しい商品イメージ」として流線形、クロムメッキのデザインが消費されました。
ローエはインダストリアルデザインが消費される時代の寵児となり、

大戦後は「豊かなアメリカの形を作る」伝道師として日本にも来ています。TV「奥様は魔女」で見たあの豊かさですね。まだ月給が1万円にとどかないころ、150万円のデザイン料でタバコのピースをデザインしています。
「私はとうとう完全なものを発見した。それは「女性」だった。」
とデザイン論を語る章に左の大きな写真があります。ローエが55歳の1948年に、再婚した相手です。

「ゴシック建築の純粋さの宝石のようなノルマンディの小さな教会。ステンドグラスの窓の美しさの下に淀む暗闇の袖廊から、痩せた白髪の紳士が現われて、オルガンを弾き始めた。神と彼と私とだけであった。全てが絶対美の高雅さの表現だった。私はとうとう目標に達した。と思ったが、何か私の目標とは違う。」
の後で、「腰の線や絹のような髪の毛、桜色の唇という決定的な形を取り始めた。」と続き、先の結論です。笑えませんか?
私なんぞは、建築教育の一年目に裸婦のスケッチがあるのはなぜなんだろう?ビーナスは美しく美の基準とはわかるが、工学にいるかいな?と思っていました。
これほど、堂々と電気技師になる学校を出たローエが言い切れるのは、アメリカに来ての最初の仕事はデパートのディスプレイであり、36歳までの10年はボーグなどの挿絵家として成功していたからなんですよね。
「ローエなんて、ただのパッケージデザイン屋。」と、嘲笑する向きもありますが、

左が古くて、これを右に変えたのでした。これはミルクからバターを分離する機械ですが、パッケージを「機能美」としてデザインする才に、「女性」が、深くかかわっていると感じました。
古い方も、ノブとか歯車にしっかりデザインがされていますが、見たくもない腸をなめらかな皮膚で覆うかの如くパッケージすることで、汚れにくく、掃除しやすく、内部を汚染することもないという機能があります。少しのクロムめっきに、品の良いロゴもその高級感とそれがそれであるというサインとしての機能があります。 コーラの瓶も、あのくびれが持ちやすさに寄与するということ以上に、「女性」の美しさがと直接的に間違いなくかかわっていますね。
「住宅はすむための機械。」と言い放ち、サボァ邸で20世紀現代建築の祖と言われるコルビジェは、
1935年に初めてアメリカに行き、NYの魔天楼をみて「伽藍が白かったとき」を発表しています。
1930年にアールヌーボ様式でクライスラービル319m、1931年にエンパイアステートビル443mができていました。
その前に、ドイツのバウハウスを率いたグロピウスは1933年にアメリカにわたり、鉄とガラスの建築家ミースもナチスに追われ、1934年にアメリカに渡っています。
アメリカにおける現代建築の標語
“Form follows Function” 形態は機能に従う。
“Less is More” 少ないということは多いこと
“God is in the Details” 神は詳細に宿る
によって、私たちは機能主義を学校で教えられていましたが、建築のデザインによる現代へのテイクオフ(=インターナショナルスタイル)より前に、ローエは日常生活の「つまようじから機関車までデザイン」することにより、大衆により使いやすく、安く、美しい工業製品のデザインをしていました。
建築のインターナショナルスタイルはアメリカでも1950年代ですので、ローエは20年早いですし、ポストモダンとなると1980年代ですから50年早かったことになります。
建築が古代からの呼び名に溺れ、偉ぶって建築家教育がキチンとできていなかったのです。ともに現代の新しい材料を用い、工業化、大衆化のものづくりの流れに乗っていましたのに。
神殿・宮殿という限られた建築用途から、駅舎・アパート・店舗・事務所・工場・倉庫など用途は大きく展開しており、それらへのデザイン様式を探さなくてはいけなかったのですがそれらを「建築Archtecture」でなく「建物Building」と呼び、なおざりにしていました。
一個あたりに金額のかかる建築デザインより、大量生産で安価なインダストリアルデザインの方が早いのは、ちょっと考えればあたりまえですわね。
1935年に、冷蔵庫で成功したローエは「自分がデザイナーであり続けるのなら、もう仕事は増やせない。でも、仕事を増やしたい。より多くの製品をデザインしたいので、責任をもてるデザイナーを事務所として増やそう。」と決心しました。摩天楼の2フロアを借り、メーカーへの出向者を含めて150人のスタッフがいると書かれています。
①デザイナー ②技術者 ③原価管理者 の3者がそろって
インダストリアルデザインはできるもの。さらには④販売方法 ⑤宣伝 ⑥物流まで、客の企業の要望にそって、デザインする。と宣言し、企業の技術者と一体となって、ライバルの製品を研究しました。デザイナーの理想も技術的な裏付けがなくては形となりません。そして、大量に売れるためには安く作れないといけないし、宣伝をかけて一度に売りだす以上、先に売れる数を予測してつくっておかないといけません。
現代のアイパッドもギャラクシーも、全く同じです。ローエは3者を束ねるプロデュサーとして働き、ローエ事務所の宣伝のためにこの本を書き、世界を回りました。
1987年、私は35歳にしてどうやら独り立ちをして、形をどう客に説明しようかと悩むころ、日産自動車のBe-1開発チームをまねき、建築設計集団400人の前でパネルディスカッションする算段を任されました。そのとき、初めて武蔵野美術大学産業デザイン学科を出た柏木博さんを知り、ローエを読みました。モチロン、日本語です。
口紅から機関車まで レイモンドローウィ著 藤山愛一郎訳 1953年発行
そして、1981年に 鹿島出版より再発行。下の表紙は再発行の物です。

政治家になる前のあの有名な藤山さんです。
逐語訳されておりごまかしがありません。今日のIT関係者はすぐに英語をカタカナで済ましてしまいますが、漢語の素養でしっかり漢字仮名交じり文の縦書きをされています。今の若い人には英語の原文に当たった方が楽かも知れませんが、私にはコチラが良いです。
原題の日本語訳では何の事だかわからないので、「幅広く工業製品をデザインしてきたぞ、女性がデザインのキ―」をもじって、「つまようじから」を「口紅から」に変えてタイトルとしています。素晴らしく印象的な訳ですね。
パネルディスカッションは「建築は土地に縛られた一品生産であり、車などのインダストリアルな大量生産ものとは違う。」のでなく、

何かが共通しているとの視点でインダストリアルデザインを読み、日産自動車のBe-1開発チームに向かいました。
その成果が今までローエの本から抜き書きしてきたことであり、その後の私の建築に対する取り組みの柱となっています。 この20年後に、私がトヨタ自動車グループのデザイン部隊40人に「建築デザイン」を講演することになった時は不思議な因縁を感じました。まぁ、恩返しができたかなと思っています。
ローエのチームには建築技術者、家具汁器デザイン、サインデザイン、物流技術者もすでに集めており、スパーマーケットチェーンのティピカルデザインをしていました。
私は、1970年のベンチュリーによる「複合と対立」を学校で読み、「これからはポストモダンだ!建築物を幾何学形態のXYZの3次元に組み、スキンをかぶせるインターナショナルスタイルは古い。世に向かって意味を発する形を○・△・□で表現するのだ。」と、力んでいた自分が恥ずかしかったです。

そんなのは、客の利便を考えて機能的にデザインすればこうなるのだと、建築家でないローエはすでにやっていたのでした。「機能的」の捉え方が、建築とインダストリアルでは違っていたのです。知りませんでした。大変、ショックでした。
今にして思えば、ベンチュリーは「ラスベガスの建築」で、商業施設を建築である説き、そのシンボル性こそこれからのデザインと書いたとき、当然、博学の彼のことですのでローエを知っていたと思うのです。ローエのような建築家でない人による建物は建築でないというAIA(アメリカ建築家協会)のおごりが、ローエを俎上に載せなかったのでしょう。
商業建築は「新しさ」が求められます。インダストリアルデザインに従います。

消費者は旬を求めてきますので、アイパッドとギャラクシーを比較した時、その機能の比較もさることながら、車が2年毎のマイナーチェンジを、ゴルフのドライバーが春と秋にモデルチェンジをするかごとく、新鮮さを求めます。
「今、新しいのは何か?」です。
裁判官は「ギャラクシーのデザインはアイパッドのデザインに追い付いていない。」ですが、タブレットらしさはその小口デザインにあり、アイパッドの平面より小さくするなら、その厚みはさらに薄く、プラスチックでなくアイパッドのようにアルミにしないと、、、でも、高くなっちゃいますね。これなら、意匠権の侵害と言われましょうか。
ローエのように形態とサインを少し上手にいじれば「新しいイメージ」が買われるのです。商業デザインは消費されるものです。
サムソンのデザイナーはアップルのアイパッドが眼の前にあるのですから、デザインのターゲットは明瞭でした。やはり裁判官が正しいと思います。
生活を革新するようだが、今だ、世にないモノの場合はどうするのでしょうか?
ソファにゴロンとなり、アップルのスチーブ・ジョブズがアイパッドを操作してみて。「これがイイ。これからのパソコンはこうなる。生活が変わる。」とプリゼしたのをご覧になりました?今の世、投資も凄いので前宣伝も大がかりですが、事前の市場調査なんていうものはいくらやっても、「売れる。」という確証は得られません。
デザイナーが、プロデューサーが「作りたいものを作る。」しか結局はありません。
「売れる車が良い車」だ、そうです。売ってみないとワカラナイ世界でのデザイナーの責任はどうなんているのでしょうか?
ローエの影響で日本でも、戦後すぐに「GKデザイン」というデザイン事務所ができました。JRの注文で今も機関車をデザインしている老舗です。1980年より分社化を進め,製品デザインの企画デザインを行うGKインダストリアルデザイン、環境デザイン等を行うGK設計、オートバイやスポーツ・レジャー製品等のデザインなどを扱うGKダイナミックス、パッケージ・デザインやCI等を行うGKグラフィックスなど,数社に分れています。
しかし、このようなフリーランスはまれで、多くのインダストリアルデザインナーは企業の中で、デザインナーとして、技術者に注文をし、原価管理をまとめ、企業トップを説得して世に作品を出しています。
戦後の通産省のGマークがグッドデザイン賞として、毎年引き継がれていますので、こちらをみれば良く見えますので、HPをみてください。 デザインより仕事はもうプロデューサーの力ですね。建築の世界の「根回し」の企画プリゼテクニックと同じです。大きな企業の中でローエのごとく動かないといけません。
企業内デザインナーの欠点は、技術者の力に屈し、作りやすいモノ=安いモノをデザインしがちであることです。
売れなくて、初めて経営者は気づくのです。従って、デザインの責任は経営者が負います。
私もメーカー内のデザイナーでしたので、技術者のいう「壊れにくい。」「メンテがしやすい。」「そんなの、無理だ。」の声が強いのはよくわかります。
アイパッドの寿命は2年ですが、建築は50年は持たせないといけないし、
「新しいもの」だけでなく「伝統美」も求められます。そしてなにより、人を包む環境は人体寸法・暑い寒いの感覚などITのような革新的な状況にないことが、今60歳になりますが、それまでの経験が生かされる世界だと安堵しています。
この私の「教育が悪い。」に対してですが、
私の母校では、国立大学の民営化により、建築・デザイン工学科と一体的に教育をし始めたようですが、デザインの方の就職が難しいようです。
建築の材料は、プレハブ住宅でなくても、工業化、コンポーネント化が進んでいます。建築の現場からは、職人が消えています。
それらを、原価管理してアセンブルしないといけません。アメリカにおける建設業の実態は、もうこれしか残っていません。

遠からず、日本もそうなるのではないかと心配しています。現場で納まりを考えてくれる人、匠・職人などはその仕事のキツイ・キタナイ・ケチクサイから若い人が減っています。前もって、全てを前もって段取り尽くす設計の役割がますます重要になりましょうか。超高層マンションなどをみていると、ホントに工業化が進んでいると実感できます。
従来の建築技術者とは構造を指しましたが
今や金額で表すと設備の方が多いです。快適な環境を作るためには、設備のシミュレートをし、技術者になり変って建築家が客に説明できなくてはいけません。デザイナーというより、ローエのようなプロデュサーの役割ですね。
建築の先端のデザインとして、3次元の形がコンピューターで容易に作れるようになりましたが、基本はXYZの直行する3軸です。安さと、工期の速さを求めれば、こうなります。

「私たち日本人は床・壁・天井の3次元を木軸構造の長い歴史の中で親しんでいること。」
が環境デザインにおける機能=使い勝手として、なにより優先されます。
インダストリアルデザインが建築デザインに「我田引水」されてきましたので、もう終わります。建築家は「こう見た。」し、極めて「影響を受けた。」という4半世紀も前のお話でした。
あとがき 2024/1/24記
2012年に書いたものですが、レイモンド・ローエを引き合いに出して、私の設計方法論となっています。
母校の名工大が、文科省と交渉して、建築学科を建築・デザイン学科として、インダストリアルデザイン部分で学生数を増やすとなり、そのためにトヨタ自動車のカーデザイナーが教師として名工大に入るとなったのでした。一方、清水建設はトヨタグループの車開発部門の設計施工をトータルに受けており、私も、いくつか設計を行っており、カーデザイナーとデザイン論をかわす機会もあったのでした。
極めつけは、私の設計したトヨタ車体開発センターがグッドデザイン賞2003年を得たことでした。
車屋さんも欲しい賞であり、グッドデザイン賞の視点から、私が建築設計にどう取り組んだのかを、車のデザイン屋40人(トヨタ自動車、トヨタ車体、ダイハツ工業、関東自動車、日野自動車)を前にして、1時間半の講演をすることになったのでした。
このー建築家が見たインダストリアルデザインーは、2003年に講演で話すために考えた一つのネタでした。トヨタ車体開発センターの設計プロセスはBCS賞でパワーポイントにまとめていたのでそれがベースですが、車のデザインに寄った話も混ぜようとしたのでした。
その時の笑い話を一つ。
「高橋さん、開発センターの設計には300人ぐらいでおこなったのですか?」と、会場からの質問です。
私と主任と担当の3人ですとは言えません。構造設計・設備設計・設計の外注を含めても、設計図つくりには、30人にも行かないなぁ~、と頭を巡らし、
「いいえ、大量生産の車と、土地にしがみつく一品生産の建築では、その生産システムが違います。カーテンウオール屋、金物屋、鉄骨ファブ、設備メーカー、、、を入れれば、確かに図面を書いている人は300人なのかもしれません。しかし、彼らの図面は設計図とは言わず、施工図、工作図、製品図と言います。」そう答えました。