都市史

城下町

亀山 城下町 6万石 with 関宿

東海道53次で名はあるのですが、亀山インターで降りることはなく、初めて訪ねました。国道一号線、名阪道路、JR関西線と、四日市から鈴鹿川をさかのぼっていく道は、古代の壬申の乱からありました。亀山盆地から鈴鹿の関を北に近江に出るのが江戸時代の京...
城下町

松坂 城下町 勢州18万石 with 安土城

家康が59歳の時、10男として生まれた徳川頼宣(1602~78)は、1619年(元和5年)18歳のとき、駿府から紀伊国・伊勢国の計55万5千石への転封を秀忠に命じられました。その内、伊勢国は、松坂領・田丸領・白子領の18万石であり、松坂城の...
城下町

津 城下町 27万石(伊賀上野も含む)副題:藤堂高虎の功績

藤堂高虎(1556~1630)は、慶長13年(1608年)に、家康から津(伊勢国の安濃郡・一志郡)と伊賀国を与えられ、家康の指示に従い、大坂豊臣包囲網として津城、伊賀城を作りました。高虎は大阪の陣の後さらに伊勢国の鈴鹿郡・安芸郡・三重郡を加...
城下町

寺内町・貝塚は、環濠城塞都市であった。with 城下町・岸和田

欧州、中国の都市を見るに、すべてが「環濠城塞都市」でした。欧州と同様に城壁を持つ中国では、CITYを「城市」と訳しました。城壁を持たない日本は「都市」と訳しました。塩野七生の「コンスタンチノーブルの陥落」は、1453年の東ローマ帝国の首都コ...
城下町

犬山 城下町 3万5千石 with 歴史地理学

3万五千石の犬山藩はなく、尾張藩の筆頭家老の成瀬家の城下町として、犬山は今に続きます。昭和50年代の街並み保全運動 から、地方都市における古い街並みの観光地化の流れの中で、犬山は国宝の天守を城下から仰ぎ見る街並みを作り出し、飛騨高田と並ぶ観...
名古屋 都市史

「継体大王と尾張の目子媛」1994年 小学館刊 の紹介

「春日井市政50周年記念 古代史シンポジウム 」とサブタイトルのついた本に、図書館であたり、その内容を高橋和生が30年後に紹介するという、A4版30枚の論文です。●はじめに  愛知県陶磁器センターにある県の考古学の成果を示す展示には、名古屋...
都市の論理

農民が考える「都市の論理」

天保飢饉の絵です。農村の貧民は餓死しますが、江戸の武士・町人は餓死しません。天明の飢饉に懲りて幕府は備蓄米を用意しており、ここで配給しました。結果、大坂から米がなくなり、大塩平八郎の乱がおきました。 農民の目線で「都市」を考えてみます。藤田...
継体天皇

今城塚古墳

2024年3月5日、継体天皇の古墳、今城塚古墳を訪ねました。その記録です。私が生まれた本巣郡に、舟木山古墳があることを知ったのは10年前です。その奥の山間には根尾谷があり、「継体天皇のお手植えの薄墨桜」があり、そこで山を西に超えると継体天皇...
城下町

刈屋 城下町 2万石 with 福山10万石 

刈谷と言えば、JR駅前に大きな本社工場を持つ、豊田自動織機、デンソー、アイシン、豊田紡織を思い浮かべましょう。刈谷には亀城公園と名付けられた公園が衣浦湾に面してあり、亀城という城の跡なのだとは理解していても、城壁、櫓はもちろん、石垣すらなく...
宗教は、反・民主主義、反・法治主義

フランスに学ぶ 

血を流して「自由」と「平等」を求めたフランス。 2022年1月11日FB記「名古屋には民主主義がない。法治主義がない。」と、当時、私は嘆き悲しんでいまして、ならば、「自由、平等、博愛」のフランスをお手軽に知ろうと、図書館で篠沢秀夫著2002...