都市比較「香港、東京、シンガポール、ソウル、北京、台北」2015年

住宅

日本にいると、日本のマンション広告しか見ませんが、世界にアパート(都市に集住する建築)はいくらでもあります。
この建築雑誌の特集は、アジアにこだわり、政府系の住宅団地の紹介であるのが画期的でした。
日本は、比べて、とてつもなく住まいに貧しいことがわかります。面積比較だけでよいです。
中国はベッドに椅子の文化ですので、家具でプランを作りますが、日本は6畳が基本であり、家具配置を考えない3LDK70㎡ではとても4人家族は住めません。早々に、お父さんは3階建ての木造住宅を建てるように動きます。

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都市比較「香港、東京、シンガポール、ソウル、北京、台北」2015年5月7日FB記 
City comparison
City comparison “Hong Kong, Tokyo, Singapore, Seoul, Beijing, Taipei” Tokyo was once an Asia’s top runner. While Tokyo had stagnated in the 1990s, 5 dragons of Asia had risen up. In industrial society from the agricultural society, enough to become more financial and information society, the city has attracted residents. The global trading wants not only the competitions of the countries but also vigorously the competition between cities.

東京はアジアのトップランナーであった。1990年代からの四半世紀、東京が停滞している間に、アジアに5匹の龍が立ち昇ってきた。 農業社会から工業社会に、さらに金融・情報社会となるほどに、都市は住民を集めてきた。今の時代、グローバルな商圏は、国の競争というより都市間の競争を激しくしている。

Any policymaker considered in the same housing policy, He created a new urban landscape. ① For the people to gather rapidly into the city, He build high-rise housings of a certain quality around the city suburbs. ② The first concept of quality is to pursue the ideal residence of the nuclear family. ③ By new home-ownership system, a high-rise housing unit become the people’s property.

どの都市の為政者たちも、同じ住宅政策にたち、あらたな都市景観を作り上げてきた。 ①急激な都市への人口の集中に対して、都市近郊に一定の品質をもつ高層住宅を多量に建設した。 ②品質の第一のコンセプトは、核家族住宅の理想の姿を追求することである。 ③新たな持ち家制度を作ることにより、それらは一般庶民の所有となり、彼等はひとかどの不動産所有者となった。

They have also changed the form of the city’s community along with the urban landscape.

これらは都市景観と共に街のコミュニティの形も変えてしまった。

それぞれの都市の郊外につなげる地下鉄を同スケールでならべると、都市の密度、成熟度がみえる。
Comparing the typical apartment plan of each the cities that have been published in “ArchitecturalMagazine”, I will describe the backwardness of the Japanese apartment below the Tokyo as a representative.

「建築雑誌」に掲載されたそれぞれの都市の代表的なアパートのプランを比較して、東京を代表として日本のアパートの後進性を以下に考えてみる。

1:面積比較 a high-rise housing unit area
Hong Kong 59㎡<Tokyo 73㎡<Singapore 76㎡ <Seoul 84㎡< Beijing 88㎡<Taipei 94㎡

北京は、一人っ子政策の為に寝室は2つしかないので他の都市と同じく3LDKと仮定すると、100㎡を越えて一番大きくなる。

「面積が小さいほど、貧しい都市なのだ。」と捉え、「東京は貧しいなぁ」という感想が真っ先に浮かぶのであろうが、ここで順にあげていく理由は違う。その後で、また総括をしてみよう。

理由の1.農民として生産手段である土地を私有する感覚が強く、長い日本では、まとまった建設地を安く手当てできない。
民間の分譲マンションの値段は、建設費でなく土地代で決まるので、戸数を増やすためには面積は小さいままで、上に積み上げやすいプランとなる。
城下町は木造平屋建てで埋め尽くされ、城下町のある沖積平野の郊外には田圃が広がっており、山を崩すか、もしくは埋立てにしか土地がないというのが単純な表の理由だが、「自分の土地だ、勝手に何を作っても何が悪い。」という感覚がこの150年の間に積みあがってしまった事が真の原因である。
この間違った資本主義の考えが、公共の概念を壊し、都市計画を立ちゆかなくし、高層住宅団地を作ることも阻むこととなった。今や高層住宅は、工場の跡地に再開発として単独で建てるしかなくない。大阪千里、東京高島平、名古屋高蔵寺など、鉄道で簡単に都心につながる大団地は、1960年代に作られて以降、作られていない。

理由の2.日本の高層住宅の部屋の大きさは、60年前に、畳の枚数+押入れで決められた。6畳とか4畳半である。布団を押入れから出し入れして生活するスタイルは、とっくになくなり、住戸プランの中にもはっきり家具の姿が書かれているのだが、家具が作りだす生活スタイルを身につけていないほとんどの日本人は、部屋の大きさに合わせて小さく家具を入れている。
中国人3000年の生活は家具(椅子とベッド)で作られおり、西洋人と同じ感覚で部屋の大きさを求め、そこに西洋スタイルのバスルーム、ダイニングキッチン、リビングセットを加えるので、最低限の住戸ユニット面積は日本より大きくならざるを得ない。(ただし、香港は土地がないのでどうしようないようだ。)

2:住戸のプロポーション比較 Proportion of a high-rise housing unit
東京の住戸プランは「京都の町屋」のように縦に長いが、他の国の住戸は横に広がっている。

Tokyo‘sunit is long in the vertical, the other cities are spread sideways.

理由の1.通風と採光は人の住まいの最低条件と、どこの都市でも法で定められているのだが、日本では居室だけでよい。

Ventilation and Lighting from the outside for all rooms are determined by the law in cities other than Tokyo.

他の都市では台所・風呂などの水回りにも採光・通風を法で求めているので、連なったどの部屋にも窓が必要となる。凸凹と外壁率が高くしないと効率よく窓が取れなく、結果住戸プランは横に広がる事になる。

理由の2.同じ総床面積で住戸数を稼ぐには、間口が狭く、縦に長い住戸プランの方が効率良い。

日本ではこの長屋の発想から、二部屋を並た間を7m前後とする細長い住戸プランが標準とされ、それを基に間口を増やすことによって、より豊かなプラン、即ち、お値段の高いプランが展開されるとされてしまった。

3:バルコニー比較 Balcony
バルコニーがあるのは日本だけと読みとれよう。

Only Tokyo has a large balcony on the south side.

理由の1.中緯度の日本の家屋では、夏の強い日差しを避け、冬の暖かな光を部屋内に取り入れるために、3~4尺の長い庇が作られた。また、この庇は勾配屋根から落ちる雨から外壁を守る役目もある。

日本家屋1000年のこの伝統は、100年前にガラス入りの木製建具を手に入れて、南側の庭に面して畳でなく木製床を貼った「縁側」という一種のリビングルームを作った。
英語でいうなら、veranda, porch, balcony, opencorridor などか。半屋外空間が庭と共にあることの伝統を高層アパートに積み上げ、南に広いバルコニーとなった。

理由の2.東京は洗濯物干し場が必要なのだ。
高層の住宅でバルコニーに洗濯物を干すのは落下の危険がありやめようと当初はされたが、主婦の根強い「太陽光での乾き、殺菌」の要望から、30階建てであっても復活した。洗濯物を乾かすには、北側でも風通しよくあれば良いのだが、南側で「気持ちよく干したい」という願いである。乾燥つきの洗濯機・ユニットバスもあるが、雨の日対策が原則のようだ。

他の都市では、夫婦共働きでなければ豊かな生活ができないことからも、自動洗濯機が広まったのだろう。私たちは渦巻で洗うところから洗濯機の発達を見ているが、後進国の特徴として洗濯、すすぎ、搾り、乾燥の自動洗濯機にいきなり行ってしまう。車もコンピュータも量産で稼ぐ物は、グローバル商圏のなかで技術移転により、後進国にあっという間に広がる。それが、アジアの昇竜たちの特徴であり、この私の高層住宅メモにもいえる。

風呂場の洗い場・洗面脱衣と洗濯機置き場の組み合わせは、日本独特のプランである。

洗濯機はただちに技術革新の波に乗るが、バスの外で体を洗うという行為は日本の文化であり、バルコニーと同様に変化しにくいものと言えよう。このところは後進性とは言えない。もっとも、私は毎日シャワーだけでよいのでユニットバスから洗い場をはずしたが。

4:柱の太さ比較 Tokyo’s Pillars are thick noticeably.

プランを見た時に真っ先に気づくところだ。地震の為(Because of the earthquake)に東京は柱を太くしなければならないのはその通りだが、バルコニー比較での視点を、「開口部と壁」Wall and the size of the window に置き変えてプランを見ると別な理由が見えてくる。

理由の1. 木軸構造の日本家屋の開口部は、柱と梁の間全てを床から天井まで全て開けるのが原則であり、塗り壁の中に窓を設けることは少ない。伝統的な中国の家屋も木造であるが、都市城壁と同じく、住宅においてもレンガの外壁を用いて、内側に中庭をとる。

建築材料・工法の違いからでなく、夏の湿気を嫌うのと乾燥地での寒さ対策の違い、城下町の武家屋敷と北京の四会院の集住密度の違い、危険な都市に対しての防御の考えの違いなど、それぞれの伝統が作りだした結果がこのような高層住宅プランに引き継がれた。

台北のマンションの窓には、今も鉄格子がついている。京都の町屋の木格子は内から外が見え、外から内が見えない。防犯が都市景観にも寄与しているが、東京のマンションの外廊下に面する小窓のアルミ格子は、気味悪くどうにもいただけない。

理由の2.クーラーの屋外機、漬物の壺、洗濯などのサービスバルコニーしか必要としない東京以外の都市では、その壁を利用して高層マンションの構造としている。

High-rise housings of other than Tokyo are supported by the wall, not the pillar.

●東京  東京湾の埋立地、倉庫・工場の跡地に立つ

外壁デザインは、四角い箱にバルコニーのあるなしでしかつけられないので、つまらない。

●香港  土地があるはずもなく、とんでもない高密度となっている

外壁が凸凹しているので、一棟だけみれば表情があるが、これだけ並ぶと海への壁としかみえない。日当たりとか、眺望とかで値段は違うのであろう。この群に人間らしいコミュニティはできようか。

●シンガポール  丘を削って団地を作り、新たに鉄道をひいた。

40年前に初めて訪れた時とは、まったく違う世界となってしまった。

●ソウル  ソウルの中央を流れている川、漢江の南側が1970年代から開発された。その中層の団地が築40年で壊され、超高層アパートに切り替わりつつある。韓国の人口6000万人の内半分の3000万人がソウル近郊に住む。

写真は漢江の北側にたつマンションを都心側からみる。川が見えなくなってしまった。

バルコニーは建設当初からガラス窓がはいり、サンルームのようだ。3LDKの為には90㎡が必要とされる。漬物の置き場、オンドルがわりの床暖房が朝鮮文化を今もつなげている。

●北京  北京市というと、面積が16,800k㎡、人口2,000万人と、とてつもなくでかく他の都市と比較しがたい。しかし、市区は面積735k㎡、人口900万人であるので、東京23区の人口900万人、623k㎡と変わりがない。

ただし、北京市の団地としては広域の北京市で計画され、鉄道も通している。東京でいうなら大宮や松戸、多摩ニュータウンも含めたのが北京市なのだろう。日本では広域の一元的な計画はありえなく、都市政策とからまらざるを得ない高層住宅の環境は、アジアの竜たちに抜かれてしまった。

このように目の前に同じようなアパートが立つことによって、眺望を消し、日照を得られないというのは日本ではありえないのか。日影規制による醜い建物が立ち並ぶ名古屋の目抜き通りをみるにつけ、日影規制は都市計画を滅ぼしたといえる。「日影規制は守っています。だから稼ぐ形にして何が悪い。」というディベの論理がまかり通っているのは、都市での集住文化の長い欧州と比べて明らかに遅れている。

●台北  山を削って団地を作っている。

他の都市が、都市国家もしくは共産国であり、国の都市計画による強制力が強いのに対し、台湾は日本と近いようだ。
この文はネットサーフィンによるもので、私はソウルも北京も台北も行っていませんので、行けたら? また書き直します。あしからず。

さて、総括: やはり「東京は貧しいなぁ。」ですかね。

日本でも、お金持ちはそれなりの平面プランの高層住宅を持ちますので、ここでは一般都市民の比較です。
日本では、国や地方自治体は確たる都市政策を持たず、民間ディベロッパーにお任せ状態であったのが、いつの間にかアジアの龍たちに追い抜かれていたという事、それが貧しいのです。国や地方自治体の知恵が龍たちに比べ貧しく、住宅公団は戸数が満たされ、空き屋が出てきた時点で消えましたので、公・民ともにディベも貧しいのです。

ほんの60年前の貧しい長屋住まいの生活慣習が一般庶民の住意識を形成しており、これを変えるにはお上からの教宣が必要です。遮音、断熱などは、補助金での誘導が出来ますが、マンション開発となると補助金でなく、明解な論理にもとづくコンセプトが必要です。
日本は香港やシンガポールのような矮小な国土ではありません。明治に定めた行政単位が今のメガロポリスには矮小なのです。大阪都構想、道州制構想というのは、住宅政策、都市政策にはどうしても必要な考えなのですが、都市インフラを論ずる前に公務員・議員の数がどうなるかなどと、どうしようもありません。

庶民を引っ張る志の高いお役人はいません。

また、大学・研究機関でも都市論を論じる事が40年前の私の学生時代に比べて、めっきり減ってしまいました。今回の「建築雑誌」でも、アジアの住宅を紹介するだけで、「東京の高層住宅はこうあるべき。」などとは、全くありません。空家率や、古いマンションのリホームが話題になっている時代に、「これからの住環境の品質は、どのようにあげるべきか。」などとは、確かに現実的でないのですが、大学・研究機関には理想を求めて、旗印をあげてもらいたいものです。

半世紀前の京大の西山先生の「住いの論理」は、「農村・工場都市から」でした。今の金融・情報化社会にそった新たな都市計画論が待たれます。

では、今の私に何ができるか?と、「建築雑誌」にあった住戸プランを読みとき、ネットサーフィンを行ってここに書きためました。

補足:それにつけても、名古屋市の黒田住宅都市局長など、どうしようもないですね。「アムステルダム市を見習い、名古屋駅に高速道路を直結する。」のが唯一の都市政策なのですから。まずは、「名古屋市は都市として、どうあるべきか。」を示し、昭和46年に定めた都市計画のゾーン図を見直し、、、、

私が副市長を任じられるぐらいでないとダメですね。(笑)

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