副題:名古屋城木造天守は「歴史的建造物」なのか?主題:「建築雑誌」2020年11月号特集11<建築文化遺産―未来へのまなざし>について

名古屋城天守木造化に反対

日本建築学会 会誌編集員会 御中
高橋和生 正会員 NO.9224342 
2006~2007年日本建築学会東海地区代議員
デザインオフィス タック代表

私は、名古屋市長・河村たかしが選挙公約とした「現在のコンクリート天守を壊して、木造で天守を復元する事業」に2015年6月の当初から反対してきました。旗印は「400年前に遡って復元された木造天守は危険な違法建築であり、建てられない。」と「現天守は戦後復興市民のシンボルだ。」です。

2年前2018年。司法に、私たちは「名古屋市は基本設計業務が終わっていないのに、基本設計料8億4千万円を、2018年3月、竹中工務店へ全額支払った。この支払は不当だ。」と訴えたのですが、この2020年11月5日に判決が降り全面敗訴でした。「文化庁の了解が取れていない名古屋市の木造天守案は、法令上の諸条件の調査及び関係官庁と打ち合わせをして設計建物の法適合の確認を取れ>と建築士法、告示15号に定めれられた基本設計業務を果たしていない」との私たちの指摘は認められませんでした。

上告するのに頭を抱えていたところ、2020年建築雑誌11月号、巻頭に<名古屋城天守の復元の問題では、現代建築であるにも関わらず、バリアフリーの軽視をはじめ、あたかも「歴史的建造物」であるように誤読され、>とあり、運動の助けとなるかと期待して読んだのですが、論考の中に名古屋城問題はなく、論考を読み進んでも、誤読とは何を誤読したのか?誰が、誤読したのか?主語と目的語は最後までわかりませんでした。そして、ますます頭を抱えることになりました。

私は、昭和50年3月に卒業した名古屋工業大学内藤昌研究室の端で、先生の復元的研究「復元 安土城」を見ており、建築史、都市史の学徒であると68歳の今も自認しています。

昭和49年内藤先生の後ろにいるのが私、高橋和生です。先生の左は油浅助手です。

私の混乱の原因は、海野さん、松田さん、石川さん、小林さん、矢野さんが「歴史的建造物」の語句をそれぞれ用いられているのですが、これが指す「建造物」そのものが獏としてよくわからないのでした。
また、巻頭に、文化庁の基準「復元的整備」による復元された現代建築、首里城(鉄筋コンクリート造5棟、木造1棟)がノートルダム大聖堂と同列で「文化遺産」と書かれている事も、私は間違いだと思います。2020年建築雑誌11月号では、名古屋城木造天守は「歴史的建造物」でないと言っておきながら、首里城になると「文化遺産」であり、「歴史的建造物」となると私は読みとりました。

文化庁が、現代において、史跡の上に作るレプリカ木造天守を「歴史的建造物」としているので、日ごろ文化庁サイドに立つ海野さんの文言が、建築雑誌の論文としておかしくなっていると思いました。 海野さんの著作には、「法隆寺、東大寺など歴史的建造物が多い奈良」という表現があります。従来は「古建築」とか、古くから残されている「文化遺産」の表現だったのですが、「歴史的建造物」に法隆寺を加えて、文化庁は「歴史的」という語句に価値を付け加えたいのでしょう。

 人文社会学の松田さんの論考では法隆寺は歴史的建造物で「よい」のでしょうが、他の田代さん、小林さん、矢野さんの「歴史的建造物」の論考事例から見るに、巻頭文は市井の人向けに書いている新聞記者と同様の認識であり、文化庁の文化行政「世界遺産」「日本遺産」の意を受けて、史跡の上のレプリカを「建築文化遺産」とあえて紛らわしているのではないかと思いました。日本建築学会の「建築雑誌」としてはこれでは説明不足であり、不適切だと思いました。

  1. ここに私の考える名古屋城問題を引き合いにして、「提案」2017年3月25日、国交省は「歴史的建築物」、国宝、重要文化財に至らないレベルであるが、今に残っており今後も残すべき建築物を「歴史的建築物」と定義し、その建築物を「建築基準法の適用除外」にする道筋を作りました。対象建築はまずは「登録有形文化財」であり、文化財に至らない「重要伝統的建造物群保存地区」の景観を保持する建築物です。「歴史的建造物」ではありません。「築」と「造」が違います。この解説を「建築雑誌」の2ページを使い、建築学会で是非紹介いただきたい、これが提案です。
    1. 指摘の1:名古屋城問題は「歴史的建造物」に根幹があります。「その復元においては、建築基準法、消防法、バリアフリー法は無視してよい。」を、今もって名古屋市は市民に説明できていません。
      1. 11月5日の判決文に戻ります。「木造天守復元は価値がある。名古屋市が成果品(330枚、「基本設計説明書」の表紙と目次、復元原案32枚以外は全て黒塗り)を検査して、基本設計業務が果たされたと認めたのだから、成果品に基本設計図のタイトルがなくても、黒塗りの基本設計説明書の中にあるのであろう。契約で市が求めたものが欠品されていても、名古屋市の行政の裁量の範囲である。」でした。
    2. 指摘の2:  提案の2:首里城を「建築雑誌」で是非とも特集してください。
      1. 建築基準法3条一項4号 第1号に掲げる建築物(国宝・重要文化財)又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁が建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの。
    3. 指摘の3:海野さんの「歴史的建造物」の定義については、かつて読んだ彼の著書の中で「奈良には、法隆寺・東大寺など、歴史的建造物が多くある。」と書かれており、私は「第一級の国宝なのだから、歴史建造物(Historic Building)とし「的」を入れなくても良いのではないか。」と思っていました。
    4. 指摘の4:1975年から「重要伝統的建造物保存地区」いわゆる「町並み保存」が始まったのです が、事例としてある明日香村、宿根木、直島は、プロの参画があってのことであり
    5. 指摘の5:1970年頃から「文化遺産」が使われて、文化遺産研究(heritage studies)という学問領域があるとは、松田さんの論考で初めて知りました。
    6. 指摘の6:田代さんの論考は文化財保護法と観光を、政府の公文書から解きほぐし、限られた文字数の中で世界遺産のオーセンティシテイに紙面をさき、結語の「文化財保護法は、日本独自の建築文化遺産保存の歴史に依拠したものであるが、政府の政策はグローバルな流れに影響をうけてきた。国際社会の中で日本の位置づけを認識しつつ、保存優先から軸足を移すのでなく、軸足を置いたまま保存のための活用をするために観光をうまく利用する方策を求められている。」は鋭い。
    7. 指摘の7:国交省の「歴史的風致形成建造物制度」では、「歴史的建造物」の語句が2008年の通称:歴史まちづくり法以来使われてきた。
    8. 指摘の8:小林さんの結語は「実践をしていただくことが後世の歴史的建造物を継承していくことになる。」ですが、腰原さんと同じく、お二人は「国宝、重要文化財」の指定を受けた文化財建造物の修繕・改修について書かれています。
    9. 35ページに矢野さんは「人づくりが重要だ」とまとめ①歴史・文化に対する本質的価値を判断し、整理する知識とセンスを持つ②潜在的な価値を判断し、価値を引き出す活用計画ができる③新たな文化的、経済的、機能的価値を生み出す能力を有する④市民と共同する力をもつ⑤コーデイネータ―としての調整能力をもつ⑥時代を読み解く能力をもつ⑦常に社会性をもつと、7つの未来への課題をあげました。

国交省は、橋、鳥居、石垣などを含まない「建築物」であり、工作物も含む「建造物」でないというだけでなく、この通達は文化庁の「史跡の上に建てて良い歴史的建造物の復元に関する基準」を意識しています。その証拠は通達前文の「国宝や重要文化財等をのぞき、建築基準法に定める技術基準はすべての建築物に適用」です。すなわち、文化庁が<史実に忠実な「歴史的建造物の復元」は、建築基準法3条1項4号によって法適用除外される。>としている事への国交省からの警告です。

この警告には名古屋城天守木造化事業も含まれます。「年間400万人、一時に2500人を入れて儲かるから建設費は借金で可能だ」という危険な木造天守を「法適用除外」などにしてはいけません。遺跡の上に建てる新築のレプリカ、巨大な木造建築には、不特定多数の客の為の「法同等の安全」を図らないといけません。国交省と文化庁だけでないですが、役人はタテ割り組織に隠れて自己保全を最優先し、直接やり取りしないので、このような紛らわしいことが起きます。

法の立て付けは、名古屋城木造天守の確認申請は地方自治体特定行政庁の名古屋市が受付けておろしますので、国庫省からはあえて「木造天守は危険である。」ことを名古屋市民に知らせません。名古屋市は警官を兼ねた泥棒みたいなものです。役人たちは自己保全をして、市民に文化庁からの指導内容を伝えませんし、文化庁も名古屋市民に「名古屋市には、文化庁はこういっている。」と説明しません。それぞれが縦割り組織を隠れ蓑にしています。

政府は「観光立国」と宣言し、平成20年(2008年)に通称:歴史まちづくり法を作ったのですが、文化財保護法に基づく保護がなされているものをのぞき、現状変更規制や支援措置がないので、所有者の変更や相続の際に取り壊されることが続き「歴史的風致形成建造物制度」の活用が進まない事から、2017年安倍内閣から国交省は叱咤を受けて「歴史的建築物と建築基準法について」が生れ、2019年には文化財保護法の改正がされました。

 今回の建築雑誌の巻頭では「文化遺産が転機を迎えた。文化財保護法の改正にともなって保存から活用に軸足を移す方針が強く打ち出された。」とありますが、その内容について具体的に追及されていません。改正の目玉は2つ、①文化財は地方の教育委員会の管轄でしたが、市長直轄の組織でもって観光等に利活用せよ。②地方で人材と資金を持て、まかせる。人材については国から助言をする用意がある。と、どちらも地方任せがポイントです。年間1000億円の予算しかない文化庁に木造天守復元の資金などはありません。

名古屋市には大学があり先生を中心に会議体がもてますが、木造の改修設計の知識をもつ設計事務所は少なく、また、少ない投入資金では事務所は儲からないので、制度活用は進みません。2016年に名古屋市有松がようやく「重要伝統的建造物群保存地区」になりましたが、河村市長の並々ならぬ努力と税金の投入が行われてのことでした。ものづくり基地として財力がある名古屋だからこその事であり、地方の小都市では大変です。

今回の「建築雑誌」の特集「建築文化遺産」の名づけは、「世界遺産」からの連想が明確ですが、いかにもフランス人らしい知恵「世界遺産」への日本の傾倒、その内実が書かれていません。平城京、首里城は共に「世界遺産」ですが、文化財保護法では「史跡」指定だけです。新築レプリカは文化財保護法では無指定ですので「世界遺産」の指定もされていません。
しかし、この特集では、首里城の新築レプリカを「建築文化遺産」としています。日本建築学会の「建築雑誌」ならば、文化庁の方針<「往時の体験ができる」新築レプリカは「史跡の本質的価値」であるので史跡の上に復元することを推奨する。>ことを示し、かつ新築レプリカが「建築文化遺産」となることを説明しないといけません。

「史跡の上に復元することはありだ。」と平城京の復元を、世界遺産の奈良宣言、考古学者の生きがいから「文化庁月報」で主張した矢野和彦課長は、この2020年10月に文化庁役人トップの次長に就任しました。彼へのインタビューは必ず必要です。

巻頭に「遺跡には復元建物が建てられている」と、遺跡の上の建設を日本建築学会はアッサリ容認していますが、日本建築学会としての議論があったのでしょうか。
名古屋城問題では16年前からある名古屋市石垣部会から「天守が老朽化し危険なら、壊して石垣だけの姿にすればよい。石垣こそ400年前からある「史跡」の価値そのものであり、天守復元よりもまず石垣保全を図らないといけない。燃えてなくなった歴史を示す今の姿「史跡」を文化財として保護するのが文化財保護法である。往時の姿への復元はその後の歴史を消し去り<史跡の本質的価値>をそこなわせるものである。」と、2017年5月名古屋市と竹中工務店との契約後すぐに指摘しています。
天守木造化事業は止まりました。竹中工務店による木造天守復元の提案では、石垣を取り壊し、コンクリート基礎を作ることが前提でした。

奈良は元内務官僚の「天皇制の誇示」発意から、沖縄の琉球王国への誇りは「米軍基地への償い」から、国が建設資金を出し国交省の都市公園として管理されています。熊本城天守の修繕120億円も国交省が出しています。文化庁ではありません。

一方、重要伝統的建造物群保存地区での「歴史的建築物」の木造の改修設計に「建築文化遺産」のような輝きはありません。トタンの外壁を剥がしてケイ酸カルシウム板で下見板風にし、防火壁を天井裏まであげ、二方向避難の為に階段を作っても、あたかも昔からあったようにするのですから地味な仕事です。
「登録有形文化財」は、届け出制と指導・助言を基本としており、その町屋に住みつつ建築を維持するのは大変です。「緑色の「登録有形文化財」の看板を貼ってあげるから誇りを持て。」と言われても、先立つ物がなければ一般の見学も建築保全もできません。この制度設計には無理があります。文化庁は文化行政をするだけで、文化保持の金を政府から持たされていません。しかし、わずかでも誇りを持っていただけるように、年に1回は開放することをお願いし、市井の学会会員が手弁当で案内役を買って出ています。

日本建築学会の会員は減少の一途です。人口は減少し、生産は海外移転し、縮むゆく日本ですので、建築そのものにかつての活況がないので致し方ありません。が、建築産業がなくなる事はありません。日本建築学会には建築文化へのさらなる寄与が求められます。

 「建築雑誌」は、学会と一般会員をつなぐ唯一の手段です。高名な学者先生の論文はもちろん有益なのですが、同時に地に足をつけた会員の日頃の活動の話を入れず「建築文化遺産」と頭でっかちの言葉によって未来を語るのは片手落ちです。腰原さん、小林さんのお仕事、特に国宝旧富岡製糸場は私も見て大変素晴らしい仕事をされたと感じましたが、これは本物の文化財修理です。 制度設計だけをしても実際の「活用」は大変難しいです。私の提案は、国交省の役人が書くのではなく、役人から成功例を聞き出し、その当時者であった学会会員に是非書いてもらいたいです。

指摘の1:名古屋城問題は「歴史的建造物」に根幹があります。「その復元においては、建築基準法、消防法、バリアフリー法は無視してよい。」を、今もって名古屋市は市民に説明できていません。

名古屋市、文化庁のそれぞれの役人は、2015年から5年かけても、いまだに市長の公約「木造天守復元」の端緒にもつけず、サボタージュに入っています。

河村市長が2015年12月の市民説明会で「復元した木造天守は新品だが、100年後には国宝になる。ホンモノの歴史的建造物だ。文化庁もそういっている。人がぎょうさん来る。」と述べたので、コンペ要綱を調べたのでした。名古屋城木造天守のゼネコン設計施工のコンペ要綱に、文化庁からの「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」が入っており、これが私の「歴史的建造物」という語句の初見でした。

河村市長の言い方ですと、新品であっても「史実に忠実に復元」すれば、ホンモノの文化財になるようでしたが、違いました。 コンペ要綱では、「史跡等における(の上に建てて良い)歴史的建造物の復元に関する基準」に従い、今は遺跡の上に残っていなくても、空襲で燃えた国宝・名古屋城は「歴史的建造物」であり、文化庁のこの基準にそって「史実に忠実に復元」をすれば、文化財ではないですが、建築基準法3条1項4号により「法適用除外」がされ、木造6階建て延べ床5500㎡の違法建築・復元木造天守は、「法適用除外」という建築基準法の枠の中にあり、建てられるということでした。

2004年に愛媛県が大洲城天守を遺跡の上に復元してから2018年の名古屋城本丸御殿復元まで、昭和34年に作成したこの法文を拡大解釈し「法適用除外」の建物を文化庁は幾つも認めてきていたのでした。熊本城飯田丸5階櫓、一本足の角石だけで残って有名ですが、これもこの文化庁の基準による新築であり、伝統木軸工法の上物は当初は残りましたが、石垣が壊れてしまい壊されました。現代建築としては杭を打つべきでしたが、杭は史跡破壊となるので打たなかったのでしょう。

名古屋市住宅都市局建築指導部建築指導課に文化庁との手続きを聞くと「文化庁審議会で復元・木造天守が描かれた<史跡の現状変更>が認められれば、「史跡」すなわち 文化財保護法下にあるものとなり<法の適用除外>となる。」でした。

●コンペの審査委員名簿 

■2015年12月に、名古屋市は国交省が新たに6月に定めた「技術提案・交渉方式」という、ゼネコンに設計施工一式で委託するコンペを行いました。コンペ要綱には、審査委員に選定された有識者の意見も反映され、「史実に忠実な復元」であると同時に「法同等の安全」も図れとあり、竹中工務店の提案したハイテク木造仕様、金額505億円以下、2020年夏オリンピックまでに木造天守竣工の工程が、安藤・ハザマの、より金額は安いが「法同等の安全は管理で行って欲しい」より優位だ、と審査員に認められました。

■2016年6月、名古屋市は竹中工務店の案を市民2万人に送りアンケートをとったところ、7500人から回答があり、2020年夏オリンピックまでに竣工は2割、耐震改修が良いが2割、いずれは木造天守復元だが急がなくて良いが4割でした。議会から「急ぐなくて良い。市長は税金を投入しない、儲かるから借金で行うというが、50年かけての返済など信じられない。」と反発があり、4月の市長選前の2017年3月に、2022年末に木造天守竣工と2年延ばして、天守木造化予算は議会を通りました。
■2017年5月、河村市長の3選が決まり、市長公約の「木造天守復元」の契約が竹中工務店となされ、木造天守復元推進のための名古屋市天守閣部会の構成員が、コンペの審査員から、お一人を除き、横滑りで集められました。

16年前からある名古屋市石垣部会は、木造天守竣工を優先し、石垣保全を後回しにする木造天守復元案に猛反発をし、名古屋市天守閣部会の座長・瀬口さんが「石垣部会は安全を考えていない。」と発言をして大問題となり、天守閣部会は基礎構造を不問として、上部の木造部分だけの検討を竹中工務店と進めました。

文化庁からは「2012年の名古屋城史跡保存活用計画では、天守閣は耐震改修であった。木造復元とするなら、まず、名古屋城史跡保存活用計画を練り直せ。」とあり、2018年3月に「耐震改修より、壊して木造天守復元の方が、<史跡の本質的価値>を高める。」と、新たな保存活用計画を文化庁に提出しました。

2018年2月末、河村市長は「ホンモノでなければ作らない方が良い」と、竹中工務店の目に見えるハイテク防災設備を身障者用EV.と共に拒否しました。根拠は「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準:平成27年3月30日」です。

●2016年3月竹中工務店のハイテク木造の提案。HPに公開されているが、市はハイテクを説明せず。

木造部の構造は、目に見えない所で床にCLTを埋め、壁に制震ダンパーを設け、時刻歴応答解析をします。構造計画の「法同等の安全」は元日本建築学会副会長の小野先生も部会におり確保されると私も思います。しかし、防災計画は、国宝・姫路城にならったスプリンクラー、屋内消火栓しかなく、提案にあった耐火ガラスの竪穴・防火区画、鉄骨の避難階段、機械排煙設備をやめたので、とても「法同等の安全」は確保できていません。

●2017年5月10日天守閣部会記録より。部会は9月、10月に議論して、ハイテク防災を拒否?

今回の建築雑誌の巻頭では「バリアフリーの軽視」だけを書いていますが、同時に「現代建築としての法同等の安全」をやめてしまいました。天守閣部会は市長の言葉を追認して、「基本計画(案)」をまとめ、名古屋市は2018年7月に文化庁に復元木造天守の「基本計画(案)」を持ち込みますが、文化庁は受取りませんでした。

■2020年6月、文化庁は「鉄筋コンクリート造天守等の老朽化について」の見解(別紙参照)を出しました。
 結語は「史跡の活用方策とバランスをとりながら、メンテナンスを行っていくことが望ましい。」です。

私は、名古屋市政クラブに持ち込んだのですが、どこの報道機関も記事に取り上げず、ネットだけで流れています。

名古屋市の意向を報道機関は優先しました。

その名古屋市の意向とは、、

■2020年9月25日、名古屋市は木造天守の基礎構造案をいくつかあげ、今後有識者と共に検討しなおし、石垣部会の了解を得て「基本構想案」として文化庁に持ち込むと新聞発表しました。新たな竣工日の目論見は2028年末です。

6月の文化庁の見解からは、耐震改修案を作成し、木造復元案と比べて、「木造天守の復元が良い」との市民の了解を得ない事には文化庁に持ち込めないと私は思いますが、「どうせ、木造天守はできないさ。」との役人、有識者の河村市長へのサボタージュですので、河村市長が退任するまではこれで良いとした、のだと私は理解しています。

以上、巻頭のある<あたかも「歴史的建造物」であるかのように誤読>にこだわり、名古屋城問題の私の知るところを略記しました。

 名古屋城本丸御殿は「歴史的建造物」として法適用除外で復元されています。それに比べて、木造天守では、誰が、何を、どのように誤読したのでしょうか。木造天守レプリカの史跡の上への新築は、危険な違法建築であり作れないだけだと思います。ましてや、木造天守の復元の為には登録有形文化財としての価値を十分に持つ現在のコンクリート天守を壊さないといけないのですから、復元はできないと考えます。 私たちの「木造天守反対運動」は、2018年3月に木造天守の基本設計業務が終了しなかったことで、もう終わっています。しかし、日本建築学会の会員が天守閣部会の構成員となり、木造天守復元の推進をし、50億円もの税金の無駄使いをしてしまいました。
 建築学会においては「建築文化遺産」「歴史的建造物」と観念的な言葉を振り回す前に、来年再興される熊本城天守、設計が始まった首里城(2026年竣工)、奈良県の「平城京テーマパーク」の運営などの実態調査および問題提起、解決策の報告が必要だと考えます。そして、市井の学会会員の地味な「歴史的建築物」への取り組みも取り上げて欲しいです。特集で使われた「歴史的建造物」の語句は対象範囲が広く、わかりにくいです。

訴文は「基本設計業務が果たされていないのに、設計料の支払いは不当だ。」であり、木造天守反対は、原告の名「名古屋城天守の有形文化財登録を求める会」にしかないのですが、裁判官から「木造天守復元は価値がある」と言われてしまい、上告文に困っています。
河村市長の「面白い」との思いつきからの天守木造化事業であり、これは名古屋市民の恥ですので、日本建築学会に助けを求めるようなことではありませんが、学会が安直に「史跡の上の復元」を教宣しないように願います。復元には多くの問題があります。
AIによるバーチャルリアリティ、巨大模型、博物館展示など、「史跡」の価値を知らしめる道具、装置は幾つもあります。

指摘の2:  提案の2:首里城を「建築雑誌」で是非とも特集してください。

建築雑誌11月号28ぺーじで海野さんは「首里城の焼失により復元建物の消失により復元建物が地域の核となっていたことが再認識され、復原に批判的であった人たちが考え直すきっかけとなりました。文化遺産をとりまく状況は日々変化し、岐路に立っている。」と、発言しています。焼失した建物がどのようにまた建てられていくのか。海野さんの言う「文化遺産」がどんなものか。掲載は来年の今頃になるのでしょうが、学会会員にも興味ある特集になると思います。

「復元に批判」は、「建築雑誌」の記事ではなかったと思います。30年に渡って「建築雑誌」を読み流していますが首里城復元の記憶はないです。「復元」では平城宮の大極殿の設計を担当された方が「100年後の国宝を目指して復元した」と長文を書かれただけの記憶です。2004年に東大の宮上先生が大洲城を建築基準法3条1項4号で法適用除外として復元されたことが、当時の建築界ではずいぶんに話題になった記憶はあります。 
私は木造天守反対運動をしていましたので名古屋城木造天守と比較して、熊本城で地震に対して、首里城で火事に対して多くの質問を受けましたが、質問された方は、どちらもコンクリートで作られたこと(首里城正殿は木造)を知りませんでした。

首里城は琉球王国14世紀~19世紀の往時の姿の復元ですので、地域の核なのでしょうが、首里城や平城京を作る事に国民的な議論はなく、国民の多くが「できてからその存在に気づき、燃えたからさぁ~大変だ。」というのでは、「文化遺産は岐路に立っている。」は、海野さんのマッチポンプとなります。それより、荻野さん、田代さんの論考にあるように、熊本城も含めて「史跡を観光の為のテーマパークにするな。」が復元への批判であると思います。素人は復元されたもののオーセンティシティなどわかりません。しかし「建築雑誌」はプロ向けですので、ここにもこだわって特集を組んで欲しいです。

首里城の特集にあたって、今、私が気になる事を箇条書きしておきます。
気になる事の①
ノートルダム大聖堂と首里城の共通点は、「仮設電気からの漏電」が火事の原因である事です。「歴史的建造物の復元」ならば、そこをイベントの舞台にしてはいけません。宗教儀式で用いる火では火災を起こしていません。法隆寺金堂の火災も電気からでした。 

気になる事の②
萩生田文科大臣は「首里城の火災で焼失した建物は復元されたもので、国宝や重要文化財に指定されておらず、文化庁の「防火対策ガイドライン」の対象になっていない。復元建造物は、文化財の保存や活用にとって、重要な施設と考えており、しっかり防火対策を講じていきたい」と述べ、国民の誤解「スプリンクラーさえあれば燃えなかっただろうに、もったいない」に乗り、「復元においては、国宝、重要文化財の防火対策ガイドラインに基づき対策をせよ」と「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準:令和2年4月17日改訂」に書き加える愚を行いました。

文科省の大臣がこのような内規で、国交省の建築基準法、バリアフリー法、総務省消防庁の消防法を守らなくてよいとしたのは、首里城の観光に来られる方の命より、文化庁が 「史跡の上に歴史的建造物を復元」したい事の方を優先させたのでしょう。
国宝、重要文化財の法適用除外は、法に合わせると国宝、重要文化財の価値を著しく損なうからであり、その為に国交省と消防庁で防火対策ガイドラインを作成したのです。大臣の話は逆です。スプリンクラー設置事例は姫路城以外ありません。貯水槽、ポンプ、配管と大事になりますが、スプリンクラーは初期消火の設備であり、フラッシュオーバーに至った火事には無力です。

気になる事の③ 
文化庁は、2020年4月17日に「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」のタイトルはそのままで、2015年3月制定の内容「1:復元」はそのまま残して従来からあった「2:復元的整備」の内容を拡張しました。

「Ⅱ:復元的整備」とは、<史跡の「保存活用計画または整備基本計画」を定めてあれば、復元に不明確なところがあっても、また、利活用(観光とは文化庁は書かない)の観点から意匠・構造を変更しても、明記してあればよい。>です。 

今までも、「復元的整備」として首里城はコンクリート造ですし、名古屋城米蔵は鉄骨造であったのですが、名古屋市長・河村たかし の如く「文化庁が言っとる。史実に忠実な木造天守の復元だ。ホンモノだ。」では、観光客の命と健康、市民の財産、身障者の人権が守られないので、エレベーターがあっても、見た目は木造ですが実は耐火の鉄骨造でも「史跡の上に建てて良い。」としたのでした。
 文化庁は河村市長へのハシゴ<史実に忠実な復元>を外しました。文化庁の6月見解「鉄筋コンクリート造の天守等の老朽化について」と合わせ、河村市長の「木造天守復元(案)」は消えました。この間、実に5年を要しています。

この「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」の文言では「復元」と「復元的整備」の境界が実に曖昧です。よほど小型な建築では「復元」もありましょうが、レプリカは現代建築ですので、現代の法に合わせて「復元的整備」にならざるを得ません。  また、日本建築学会には日本建築史小委員会があり、長く「復元的研究」の積み重ねを行い、オーセンティシティ=真実性の追及がありました。しかしこの「復元的整備」の基準では、文化庁のいう「史跡の本質的価値=往時の姿を実体験できる。」を旗印に、地方行政は史跡を観光に使う為に<まがい物造り>に走る事になりはしないか。日本の建築文化が歪められるぞ!と私は文化庁にお手紙をしました。(別紙参照)
 名古屋市の天守木造化事業の推進、名古屋城の管理は、教育委員会でなく観光文化交流局です。住宅都市局、消防局もタッチせず、天守の木造復元をしたい有識者を集めての木造天守(案)ですので、天守閣木造化事業は実際なにも進んでいません。

指摘の3:海野さんの「歴史的建造物」の定義については、かつて読んだ彼の著書の中で「奈良には、法隆寺・東大寺など、歴史的建造物が多くある。」と書かれており、私は「第一級の国宝なのだから、歴史建造物(Historic Building)とし「的」を入れなくても良いのではないか。」と思っていました。

今回は、3ページに<枠組みにとらわれない歴史的建造物も多く存在する(以下、未指定文化財とする)>とあり、重要伝統的建造物群保存地区エリアの中で、重要文化財どころか、登録有形文化財にも指定されていないレベルの建造物であるが、その地に歴史を背負って今も現存する建造物も「歴史的建造物」と呼ぶとしており、彼の定義は法隆寺から昭和の町屋まで大変範囲の広いものと理解しました。

指摘の4:1975年から「重要伝統的建造物保存地区」いわゆる「町並み保存」が始まったのです が、事例としてある明日香村、宿根木、直島は、プロの参画があってのことであり

荻野さんの「過疎化に伴い、地方都市を中心として、シャッター商店街や空き家が増大している。」のを「文化遺産は、こうした状態に新たな意味を付与し、地域に新たな物語を提供することで、地域社会を安定させることに資するであろう。」とは簡単に結べないでしょう。突然裏山が「世界遺産」になり、人が多く来る事に住人が驚くは笑えませんでした。

私の近くにある全国初の指定を受けた妻籠宿は、東大の太田先生をはじめ「明治元年の姿に戻す」と意気込みが大変強く、1971年に「妻籠宿住民憲章」で「売らない、貸さない、こわさない」が自主的に決められました。あれから半世紀を経て世代は2代替わり、増改築された村にはもはや山の生活は当然なく、広い駐車場に観光バスが並び、街道は、単に買い食い通りと化しています。世界遺産の白川郷も観光に特化しました。どちらも、村の周りの「自然遺産の保存」が観光の要です。名古屋市有松のような町を「重要伝統的建造物保存地区」として観光に生かすのは無理がありましょう。学生も含めて「保存修景計画」に日本建築学会がどう関わってきたのか知りたいです。

指摘の5:1970年頃から「文化遺産」が使われて、文化遺産研究(heritage studies)という学問領域があるとは、松田さんの論考で初めて知りました。

文化遺産の定義は松田さんが行っているのでそうなのでしょう。

しかし、「歴史的建造物」が、「歴史的な建造物、歴史風の建造物であれば建築文化遺産になりうる。」であり、2018年竣工、コンクリートで復元の「尼崎城天守は建築文化遺産と言わざるを得ない。」と書かれています。じゃ、「遺産」の持つ意味は?と私はなりますが、とにかく海野さんの「首里城は文化遺産」とは呼応しています。

私たちも、歴史性の薄い60年前に建てられたコンクリート造の名古屋城天守の「有形文化財登録を求める会」ですので、「文化遺産と歴史学は根本的に異なるメカニズムで動いている。」のは理解しますが、なにか、怪しい!

彼は、文化審議会正会員とありますが、文化審議会は2017年12月に「史跡における復元建物は史跡の本質的価値を構成するものでない。」と言っています。

そこで文化庁次官が集めた「史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループ」の「天守等の復元の在り方について(取りまとめ)2019年8月」を見ると、天守はタイトルだけで、全くコンクリート天守に触れることなく、2020年4月17日に文化庁文化審議会文化財分科会会長 島谷弘幸氏が出した従来の「復元」に「復元的整備」加えた新たな「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」の下書きなのでした。

あきれたことに、2017年12月8日の文化庁審議会から第一次答申の文を引用していますが、「史跡における復元建物は史跡の本質的価値を構成するものでない。」のところは・・・(中略)・・・としています。こんなバカな事をするのは役人だと、ワーキンググループの議事概要を読みました。役人は「史跡の上にレプリカが欲しい。」のでした。文化でなく、観光のネタとしてです。

先生方は「史跡の本質的価値は史跡の上の復元しかないのか」「世界遺産の奈良宣言は史跡の上の復元を勧めるものでない。」「城を復元する前に、城下町の誇りを示すまちづくりが出来ているのか。城は城下町と共にある。」と、役人の進め方に反発していますが、4回目、5回目、6回目と役人が勝手に作文をしていきます。名古屋市天守閣部会を操り、「法同等の安全」を破った観光文化交流局と同じです。 

なるほど、「建築雑誌」11月号特集「建築文化遺産」は、海野さんと松田さんが文化庁の意向「史跡の上に歴史的建造物をドンドン新築する。」を受けて作られているのでした。

国の「観光立国」宣言が日本建築学会にも及んでいるのは、首相の「学術会議の7人の任命拒否」からもそうなのでしょう。座長を務めた東大の藤井さんをもってしても、「復元」に「復元的整備」を足す役人のストーリーには歯向かえなかったのだと思いました。
そこで、2017年12月「文化経済戦略」を引っ張り出してみると、作成は内閣官房とあります。文化庁役人ではこれは書けません。
名古屋城の木造天守はとっくに立ち行かないのですが、名古屋市は内閣官房の手前「諦めた」とは言えなのでしょうか。国交省中部整備局もダンマリです。

日本建築学会の中で文化庁に寄り添うことは日本建築史小委員会ぐらいであり、学会全体としては、ムリクリの文化庁の「史跡の上の復元」を、国交省と息を合わせて健全化を図るべきだと私は考え国交省定義の「歴史的建築物」の説明を提案しました。

指摘の6:田代さんの論考は文化財保護法と観光を、政府の公文書から解きほぐし、限られた文字数の中で世界遺産のオーセンティシテイに紙面をさき、結語の「文化財保護法は、日本独自の建築文化遺産保存の歴史に依拠したものであるが、政府の政策はグローバルな流れに影響をうけてきた。国際社会の中で日本の位置づけを認識しつつ、保存優先から軸足を移すのでなく、軸足を置いたまま保存のための活用をするために観光をうまく利用する方策を求められている。」は鋭い。

巻末の海野さんの「特集のその先に」より、日本建築学会のこれからの活動に資する論考だと思いました。しかし、とても読みにくいです。この論考の前段<政府の公文書>を知っていないと、読者にはわからなくこの論考はすっ飛ばされましょう。

今年2020年5月に文化庁は「文化観光振興法」を文化財保護法の改定に続き出した、と書かれていますが、その地域指定は、国交省が策定した2008年通称:歴史まちづくり法 での地域指定とは別であり、これからヨーイドンと始めるのであり、官庁のタテ割り意識むき出しの法であると思われます。そこまでは解説されていません。

名古屋城木造天守事業の為に、名古屋市は文化と観光を一緒くたにした観光文化交流局を作りましたが、観光という産業と、文化財の保護とは相反するものです。近くの徳川美術館は源氏物語絵巻を所持していますがなにより保存が最優先です。しかし、誇りをもって文化を知らしめるに、そのレプリカを作りました。史跡という場所の限定がないので容易です。

しかし、史跡としての名古屋城の保存と、観光の為に史跡の上にコンクリート製のレプリカを作るのは相反します。昭和34年だから出来た現天守であり、もう作れません。

首里城は、がけ地故にコンクリートの使用は必ずでしたが、それは史跡破壊を行ったことになります。特集「首里城」では、是非取り上げてもらいたいところです。

彼女は書きます。「ユネスコを中心とした国際社会の支援が活性化し、タイやインドネシアでは国家開発計画として、スコータイやボロブドールなどの遺跡を中心に文化遺産保存と国際観光を推進してきた。しかしながら、政府主導のかつ観光客目線でのこうした保存政策は、地域の社会的文脈から遺跡を切り離し、公園化することで、観光のみを遺跡の活用に限定し、持続できない活用と地域との隔絶を生み出した。」と。
これは、私が最初に指摘した観光地の妻籠宿、白川郷から、公園とした平城京、首里城と、日本でも同じであると思います。彼女はあえて外国の事例にしたのでしょう。地域に根差した文化を「建築文化遺産」とし「観光」で「文化」を消して良いわけはありません。

指摘の7:国交省の「歴史的風致形成建造物制度」では、「歴史的建造物」の語句が2008年の通称:歴史まちづくり法以来使われてきた。

松江市の成功例が紹介されています。法制定から8年を経た2016年に島根県松江市は「歴史的建造物の登録制度」を作り、1000件の調査をして、13件の建物所有者と登録・10年間の保全契約をし、7件の修繕・改修に対する助成が行われています。国交省から「歴史的建築物と建築基準法」が2017年3月に出ているので、修繕・改修にあたっては、法的な「既存訴求」は、「歴史的建築物」として処理されたのでしょうが、それらへの人材、資金の投入状況までは書かれておらず、残念です。

この歴史まちづくり計画は「伝統的建造物群保存地区」「重要文化財」のように強い規制を伴うものでないのですが、核となる「登録有形文化財」相当の建築が今ものこる<歴史まち>であることが必要とあります。

2019年度末現在、国交省は全国で1272件の歴史まちづくり計画を受け付け、その内575件に「歴史的風致形成建造物」の指定をしています。これらに改めて日本建築学会が「建築文化遺産」という名称を与えることによって、より人材、資金が集めやすくなるものでしょうか。建築物の指定手順、助成金の内容が書かれていないので、制度を身近に感じません。ほとんどの学会会員にとって「ああ、そんなのあるのね。でも、私には関係ない。」ではないでしょうか。建築産業の市場としては、修繕・改修は取るに足らない金額ですが、「建築文化」の為に、学会会員に興味を持ってもらうような論考の展開を願うところです。

日本建築学会では、「歴史的建造物保存制度WG」「歴史的建築データベース」と、「造」も「築」もあります。

国交省ベースで作られたのでしょうが、このところ、内閣官房・文化庁の「文化経済戦略」からの圧力は大変強いです。GO TO トラベルでよくわかりました。日本の地方はもはや、一次産業でなく「観光」で生きているようです。 文化庁の「文化遺産を観光に生かせ」から監獄をホテルするなど、人材・資金の投入が大きい物件もこれから出現してくるのでしょう。日本が世界で生き残るに「ものづくり」から「観光」に転換しないといけないならば、イタリアの観光都市化がそうであるように、「観光」は日本建築学会の「建築文化」の主流分野となるのかもしれません。

ミラノは産業都市のイメージが強かったのですが、訪れてみるとローマ時代からの遺構が大変整備されており、そこにガラス建築をからませて、「観光」からの収入にも大きく依存していました。

11月号特集「建築文化遺産」でも「観光」が書かれていますが、「文化」のくくりが大きく各人がそれぞれに「歴史的建造物」の語句をつかって焦点がぼけてしまっています。文化庁はこの5月に「文化観光振興法」を作り、「文化」と「観光」をごっちゃにしてきています。日本建築史小委員会で考えるには、もはやこのテーマ「文化観光」は大きすぎます。

指摘の8:小林さんの結語は「実践をしていただくことが後世の歴史的建造物を継承していくことになる。」ですが、腰原さんと同じく、お二人は「国宝、重要文化財」の指定を受けた文化財建造物の修繕・改修について書かれています。

論考の内容は、現実にその任にあたった方ならではの素晴らしいものですが、「史跡の上の歴史的建造物の復元」ではありません。他の論考も読んでも「歴史的建造物の復元」は、海野さんと松田さんしか書かれていません。巻頭の言葉「ノートルダム大聖堂と首里城の火災」「両文化遺産の復興のための多くの寄付」が、11月号全体を見誤らせています。
小林さんは、注に5つあげていますが、これが名古屋城問題の全てです。名古屋市は特定行政庁として、史跡における歴史的建造物の復元をする事、それを建築基準法3条の「法適用除外」とすることが出来ますが、それには文化庁審議会の了解が必要です。名古屋城本丸御殿のように文化庁の了解は容易に取れる思っていたのですが、いまだ取れていません。

本丸御殿と違い、作るには価値ある現天守を壊さないといけない事、平屋建ての御殿と違い6階建ての木造天守は、地震・火事に対して「人の命」を守れない事があるのですが、名古屋市はこれらの問題を直視せず、「復元原案」によって文化庁に「現状変更許可申請」を行いましたが、文化庁は受け付けませんでした。

今も名古屋市は「木造天守事業は進行中」を崩していません。木造天守への寄付金を今も募っています。2022年末竣工の請負契約をした竹中工務店からは名古屋市が目論む2028年竣工の新たな工程表は示されていません。

35ページに矢野さんは「人づくりが重要だ」とまとめ①歴史・文化に対する本質的価値を判断し、整理する知識とセンスを持つ②潜在的な価値を判断し、価値を引き出す活用計画ができる③新たな文化的、経済的、機能的価値を生み出す能力を有する④市民と共同する力をもつ⑤コーデイネータ―としての調整能力をもつ⑥時代を読み解く能力をもつ⑦常に社会性をもつと、7つの未来への課題をあげました。

これは「公益財団法人 建造物保存技術協会」の方々への話なのでしょう。全国の575件の「歴史的風致形成建造物」の指定を受けた建築を、国交省の「歴史的建築物」に基づき「既存訴求」に対応する市井の学会員には難題です。

河村市長の思いつきに、名古屋市観光文化交流局・教育委員会の役人、名古屋市天守閣部会の有識者が「名古屋城天守木造化事業」を担ったのですが、見事に失敗しました。7つ内1つでもあれば、50億円もの税金の無駄使いをしなくて済んだのですが。

11月特集「建築文化遺産-未来へのまなざし」を読むに、改めてこの7つが重要であり、難しく、特集に表現されきれていないと思い書き連ねてきました。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

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