竹中工務店の「付加」という提案 /Takenaka-proposal
2017年(平成29年)5月に竹中工務店と名古屋市は契約を結び、第一回名古屋市天守閣部会を開きます。部会の委員は、竹中工務店を選んだ審査委員がそのまま横滑りしています。そこで、竹中工務店から提示された「仮設・避難コア、付加する設備のイメージ」が、この耐火ガラスのトンネル、筒です。消防隊の進入階段でありますので、当然、燃えない階段で勾配もゆるく、非常電源、排煙設備もついています。エレベーターにも竪穴の区画を作るこの筒は要ります。
「付加」とは、なんなのでしょうか?新聞報道にはこの絵は出ていなく、名古屋市民もほとんどの方は知らないでしょう。しかし、この絵によって、河村市長が2018年2月末日に竹中工務店からの基本計画の提案を受けても「ダメだ。ホンモノにするのだ。」と言ったことも、2018年7月に河村市長の意思にそった「史実に忠実な復元」の基本計画(案)を文化庁に提出したのですが、文化庁には受け取ってもらえなかった事もわかります。ここから名古屋城天守木造化事業の「漂流」が始まりました。
天守は6層ですので、防火・排煙の竪穴区画として、床による層間区画をつらぬく耐火ガラスの筒が「法同等の安全」を期するために「仮設」で必要だと竹中工務店が考えたのでした。「仮設」と言うことは、取り外しができる「安全のための設備」なのですが、人を入れない時がなければ取り外すこともありません。不思議な「仮設」を、これから説明します。
建築基準法第3条 建築基準法の適用除外=国宝、重要文化財に限る。
400年前の史実に忠実に復元された天守に、観光客を入れることはできません。火事で燃え、地震に壊れます。国民の命、健康、財産を最低限守ると制定された建築基準法にかなわなければ、危険な違法建築となり建設できません。それを見張るのが特定行政庁、名古屋市河村市長です。
ところが、2004年に、愛媛県と文化庁は「復元された大洲城天守は文化財と同等であり、建築基準法3条を適用する。」と建ててしまいました。構造は「限界耐力計算法」によって地震に対しての安全を確かめていますが、火事に対しての避難経路はなく、通称:バリアフリー法にも合致していません。
1階が162㎡、延床390㎡と、名古屋城天守のそれら(1階1505㎡、延床4564㎡)と比べて圧倒的に小く、名古屋城子天守の半分もなかったからでしょうか。その後、熊本城飯田丸5階櫓、平城宮大極殿、名古屋城本丸御殿と、建築基準法3条の適用が続きます。本丸御殿は3100㎡と大きいのですが、燃えても建設費150億円が消えるだけであり、平屋でありどこからでも逃げ出せ安全であると適用されました。身障者用スロープ、屋内消火栓、制振ダンパーは設けられました。
名古屋市は、ゼネコン募集において建築基準法3条法「法適用除外」が前提だと書いており、竹中工務店も名古屋市がその前提を実現させてくれるという条件で応募し、審査員は竹中の提案で実現できると思い竹中を選んだのでした。しかし、コンペ要綱では「バリアフリーにしなさい。」「法同等の安全を確保しなさい。」とも役人は書き、自己保全をはかっていたのでした。
さらに、名古屋市住宅都市局建築計画部長は「建築基準法3条の適用(法適用除外)は、文化財保護法による重要文化財の指定は文化庁であるので、大洲城の時のように文化庁文化審議会の了解を得ることを前提とする。」としていました。
400年前の「復元原案」を作成し、そこに安全設備を「仮設」として付加をしていき、法同等に安全な「復元案」とする。設備は「仮設」であり取り外しできる。取り外せば、建築基準法3条にかなう「文化財同等」である。
河村市長が「ホンモノでない。」というエレベーター、耐火ガラスは「付加」したものであり、取り外せば「ホンモノ」と竹中工務店は提案したのですが、400年前の史実に忠実な復元は現代の法により危険であり作れないので、竹中工務店もどれくらいの「付加」で済ませられるか手探りで提案したのでした。
2016年3月の竹中工務店の提案では、次の絵の赤が「国宝姫路城の防災設備」であり、青が「安全が図れる最低限の設備、と竹中工務店が予測した設備」でした。冒頭の耐火ガラスの筒は、竹中工務店に決まってから2017年5月までに消防と打ち合わせの中で出てきた「消防隊進入口」の案でした。案であって、これで「法同等以上に安全だ。」には、国交省大臣、総務省大臣(消防庁)の大臣認定が要ります。
名古屋城天守も最上階は200㎡と小さく、最上階にエレベーターと避難階段を2本あげると、2mピッチにある柱をつなぐ梁がなくなってしまいます。伝統木軸工法では作れません。
なら、身障者エレベーター、避難階段がなくてもよいのは、建築基準法3条「法適用除外」しかありません。鍵は文化庁が握っています。→ 文化庁は河村市長へのハシゴを外しました。
2015年11月29日に、名古屋市の関係局長とゼネコンを選ぶ有識者が、河村市長の前で募集要項を前において議論をしています。基本計画図を文化庁復元委員会に出して、同時に日本建築センターの評定を獲得する中で「付加」内容を固め、文化庁審議会に基本設計の了解を得、その後、名古屋市建築審査会の了解を得ることは、名古屋市寺本主幹が「文化庁と打ち合わせ済み」と瀬口座長の問いに答えていますが、文化庁・名古屋市の役人、有識者のいずれも、一級建築士の資格はもっていても防災計画書を作成したことはなく、平屋の本丸御殿と同様な見通しではあまかったのでした。失敗しました。
麓委員は2017年5月に「既存のコンクリート基礎の上に木造天守を載せるのだが、従来からある名古屋市石垣部会から、石垣をおろそかにするな。とクレームが出よう。」と心配し、文化庁も石垣部会の了解を得よ言い、2023年まで引っ張りました。
今の石垣部会は石垣調査はコンクリート天守を壊してから改めて調査するとし、石垣部会の有識者である千田委員は、河村市長と手を結び名古屋市特認教授となり「400年前の史実に忠実な復元はできっこないが、文化庁の新たな基準<復元的整備>によって木造復元できる。」と広言しています。
2017年5月に名古屋市と設計施工で契約したのは竹中工務店です。竹中工務店が木造天守の絵姿を見せられないのに、テレビで活躍する城郭考古学教授に木造復元の案が見えるわけないです。河村市長が友を呼ぶので、名古屋城天守木造化事業に関わる人々は無責任な人ばかりです。
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