文化庁は、2015年6月22日「木造天守に期待」と河村市長に答えた。が、5年を経てハシゴを外す。

文化庁から河村市長への「はしご」 名古屋城天守木造化に反対

2020年6月 文化庁は、市への梯子(復元天守は文化財同等)を外した。  /government

2015年(平成27)年6月17日に、名古屋市は議会に対して「現天守は壊し、天守を木造化をする。」を表明した後、すぐに電話で文化庁に問い、文化庁から「いわゆる復元検討委員会において木造によるできうる限り史実に忠実な復元をすべきとの意見が出される可能性が極めて高いと考える。」とのコメントともらっていました。12月の「天守、木造で復元しようぜ。」タウンミーテイングでは市民に配り、河村市長自らがこの回りくどい言葉の意味を解説しました。

いわゆる復元検討委員会とは「史跡等における歴史的建造物の復元の取り扱いに関する専門委員会」です。

有識者を集めた文化庁の外郭諮問機関であり、文化庁内部の組織ではなく、ここに復元案を提出しても文化庁に図ったことにはなりません。極めて日本的な「指導」という形です。200人の職員しかいない文化庁は長官からして、外部から招聘しており、最高決定機関も、有識者による「文化審議会」という実にわかりにくい「伏魔殿」です。ですので、文化庁の組織名を省略しないように続けます。

平成27年3月 史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準 

3月30日にできたばかりの「文化庁の内規」です。通達の形式をとってはいますが、文化庁からの通達ではありません。「今は失われてないが、史跡の上に歴史的建造物を復元することにより、史跡の保存活用計画において、史跡等の本質的価値を構成する要素となる。」と、史跡の上の復元を地方において、地方の金で積極的に進めたもらいたいと出されたものです。この後、2016年4月に安倍内閣は「観光立国」を宣言しますが、「教育委員会では文化財を生かせない、学芸員は働かない。首長直轄の組織を作れ。」の先駆けを河村市長は名古屋で行うのだと、意気軒高でした。

河村市長のタウンミーティングでの解説は「文化庁は、史跡の上に復元は木造でしかイカンと言っている。史実に忠実な復元だ。コンクリート天守は老朽化しており、耐震改修もしなくてはいかん。しかし、してもその寿命は40年だ。40年後に木造にするなら、今、木材があるうちにやろまい。江戸城天守を東京オリンピック2020年までに復元すると言っているが、なに、名古屋が一番だ。」

名古屋城天守は1959年(昭和34年)にコンクリートで復元されました。熊本城、和歌山城など13の史跡で、大阪城天守が空襲で燃えなかったので、コンクリートで復元されたのですが、史跡の土中に杭、基礎が入り、昭和40年代になると「史跡を荒らす。」と、土中を荒らす重い建物は禁止になりました。1994年(平成6年)に掛川城天守が既存の石垣を壊して木造で作られ、以後、金沢城、熊本城では、木造の櫓が礎石の上に伝統木軸工法で作られました。国が動いた平城宮復元で、1998年(平成10年)に朱雀門が復元されると、「将来の文化財になる復元」がキャッチコピーになり、2004年の大洲城天守復元でも使われ、初めて建築基準法3条を使って、「復元された建物は文化財同等であり、法適用除外でよい。」とされました。

2018年に復元なった名古屋城本丸御殿も建築基準法3条の法適用除外を得て、準防火地域であっても、屋根、軒裏、外壁が燃える木造で良いとされました。周りにはコンクリートで燃えない天守しかなく、平屋建ての御殿が火事、地震にあっても人の避難は容易なので良しとされました。

しかし、巨大な木造天守はそうはいきません。名古屋市建築指導課長は「文化庁が、文化財保護法で指定している国宝、重要文化財と、復元天守が同等であると認めたら、建築基準法3条の法適用除外となる。」としました。コンペ要綱には「法同等の安全」とバリアフリー対応がうたわれています。河村市長と青柳文化庁長官の早とちり「天守も御殿と同じように復元できる。」に逆らえない役人たちは、文化庁でも名古屋市でも、火の粉を浴びないように周到に立ち回っています。

市役所の役人には市民の目線はありません。税金の無駄使いは役人には既定の事です。副市長は「年間1兆5千億円の予算だから、年間20億円ぐらいは市長の公約の為に使う。でなければ政治家の色が出せず、選挙で市長を選ぶ意味がない。」と私に言いました。自ら稼ぐことなく、あらゆる責任は市長が一人で負う地方自治体の役人だからこそ起きうることですが、役人は収賄でもなければ罪は問われません。

2019年12月7日市民説明会で松雄局長は「私は、人の命、身障者の人権を守る。」と言われたので、文書で質問を出し、文書で答えてもらっています。文化財だとして建築基準法で定める「安全」を図らず、避難階段、防火区画、排煙設備をつけずに、消防法、バリアフリー法を無視して、年間400万人、一度2500人を入れる観光施設にするというのですから、なんと恐ろしい人なのでしょうか。退職して副市長になられましたが、建築指導課長の講義を受けられたでしょうか。

「殺人天守を作ろとしている。」と、私は東京の国交省と総務省消防庁の役人OBに、中日新聞の切り抜き、コンペ要綱、竹中工務店の「仮設」の提案を送りました。
しかし、文化庁に私の知り合いがあるわけなく、「史跡等における歴史的建造物の復元の取り扱いに関する専門委員会」の有識者の事務局であり、有識者に国の方針に従った意見を出すよう誘導する役人でもある「文化庁文化財部記念物課史跡部門」宛てに、建築基準法3条ができたそもそも論からから、火事、地震にもろい木造建築が、建築基準法によって、人の命、健康、財産の最低限を、いかにまもっているかを手紙にして送りました。4回送っていますが、返事は一度もありません。しかし「先に文化庁でないだろう。国交省で良いとなったら文化庁に持って来いよ。」という愚痴が風に乗って聞こえてきたので、手紙の値打ちは多少あったのでしょう。
2018年10月に日経新聞は天守木造化事業は「漂流」していると記事にしたので、私はその「漂流」をタイトルにして、2018年10月21日に講演をしました。

文化庁の「史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループ」から、「鉄筋コンクリート造天守等の老朽化への対応について」2020年6月がでました。これで、文化庁は市への梯子(復元天守は文化財同等)を外しました。

ワーキンググループですのでこの組織も従来の有識者ですが、文化審議会文化財部分科会・島谷弘幸会長の元で行われた、建築専門家を入れたワーキンググループであり「いわゆる復元検討委員会」の後継組織です

名古屋市は何回も文化庁に行き、「天守を木造復元をしたい。」と文化庁に伝えていますが、文化庁はコンクリートの天守を史跡の上に立たせる13の史跡をもつ、地方自治体宛てに指示を出しました。名古屋市でなく愛知県となります。名古屋市は特定行政庁ですので県と同等の権利を持ちますが、国が地方自治体に流すにはこうなります。名古屋市は愛知県宛てだから知らないとは言えません。

コンクリート建物としての劣化が普通にあり、昭和30年から40年にかけての古い建物であり、今の建物とくらべ、耐震性、安全性が劣ります。だからと言って、文化庁は「壊して、史実に忠実な木造復元とせよ。」とは言ってません。「改修しなさい。」です。
河村市長が2015年にタウンミーテイングで市民に解説したのとは全く違いました。河村市長と青柳文化庁長官の早とちり「天守も御殿と同じように復元できる。」から、ここまで直すのに文化庁は5年もかけています。ですので「伏魔殿」と呼ばれる文化庁なのでした。中央官庁の地方分散を政治家はぶち上げたのですが、弱い文化庁だけが京都に出ました。しかし、内閣官房に従い、予算取りと他の省庁との調整があり、移ったのは半分だけです。

文化庁の天守木造化事業への公式見解は名古屋市民にはありません。名古屋市が文化庁がこう言っているしかないです。しかし、全国には流しています。この5年で文化庁がどのように変わっていったか、名古屋城の動きとあわせてみました。

2017年12月名古屋市が文化庁に「耐震改修でなく天守は木造にする。」という保存活用計画を持ち込んだちょうどその時、文化庁審議会は、史跡における復元建物は<史跡の本質的価値を有するものでない>が、史跡の価値を広く知ってもらうために有効であり、コンクリート天守の劣化、天守復元の動向を調査検討せよ。と答申を出しました。

従前の文化庁は世界遺産奈良宣言から、史跡における復元建物は<史跡の本質的価値を有する>ですので私は「さすが有識者!審議会だ。」と拍手をしたのですが、文化庁は文化審議会、ワーキンググループの見解を無視して<史跡の本質的価値を有する>としました。史跡の上への復元は見るものに歴史認識を惑わせ、いにしえに、そこにあってほしい姿で建てられたものが今に残るのでなく。作りたい欲求は「観光」でしかないレプリカですので、文化財としての価値はありません。建設の意義は「観光のために一生懸命古式に作ったレプリカ」でしかなく、デズニーランドのシンデレラ城のように歴史の価値をまとわないものは「将来の文化財」に永久になり得ません。これは、世界遺産の条件でもあります。

1年を経てようやく専門委員が選ばれ、2019年に審議が進められました。そのころ、名古屋市が持ち込んだ「保存活用計画」に対して、文化庁の復元検討委員会から注文が出ました。

1:戦後都市文化の象徴であるコンクリート天守を解体するにはなお議論を尽くす必要がある。天守を木造にする考えが正当化できるか。
2:戦線の研究、耐火構造の必要性からコンクリート天守になったのだが、前者についての追跡が不十分である。
3:法は昭和34年に作られている。戦災で焼失したものの再建を対象として法適用除外としているのか。検討せよ。

全く私たちの言っている通りの事ですが、名古屋市は、構わずそのまま提出しました。議会、すなわち「市民の60%が賛成している木造天守を実現させる。」と文化庁に宣言したのでした。
60%は「いずれは木造天守」であり、この結果は名古屋市の市民アンケートの3択の方法に騙されたものであることは、私たちから文化庁にすでに連絡済みでした。これでは、文化庁の協力は得られることはありません。

河村市長は、文化庁に「現天守をまずは壊させろ。老朽化して危険だ。」と直談判に行きます。「名古屋市の天守だから壊してもよいのだが、なら、石垣その他の文化財に一切触らずに壊しなさい。」と、ベニスの商人のような問答があったそうです。「壊すなら、木造天守の設計図ができてからであろう。一体いつ出来るか?」とも言っています。文化庁は「殺人天守」建設の言い訳に文化財保護法を使われるは御免ですので、名古屋市を突き放しました。

名古屋市建築指導課長の周到な準備が、5年経ってかないました。課長の勝利?違います。河村市長に「殿!ご乱心です。木造天守はできません。」と、その場で切腹覚悟で進言するべきでした。木っ端役人の逃げ手が、こんな大きな社会の損出を生み出しました。

令和2年4月 史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準 

今までの基準はそのまま残し、史跡の上に史実に忠実な「Ⅰ 復元」を相変わらず求めるも、その他としてあったコンクリート天守の事を、おおきく、詳しく「Ⅱ 復元的整備」を規定しました。史跡の保護は今もこれからもあるので、新たなコンクリート構築物は作れません。とすると、既存の天守の延命化を図らないと、観光客を天守を展望台として、上にあげることはできません。ここに「既存天守は延命化せよ。」とは書いていませんが、史跡の保護を考えると、この一択しかありません。

文化庁にハシゴを外された名古屋市、天守木造化事業はどうなるのか。    2020年5月10日  A4版90枚 PDF 

文化庁はハシゴを外した

2020年5月、文化庁の方針が見えたので、ええ、私だけでなく、文化庁の事がわかっている人々は、有識者に、大手新聞は、もう河村市長の話題造り「木造天守」には、応じません。「壊すな!名古屋城天守」と運動をともに行ってきた仲間と、市会議員、マスゴミ用に印刷して配りました。

90ページのPDFは、目次建てをして、この5年間の出来事を、すぐに引き出せるようにしています。

2023年9月11日になっても、河村市長は「史実に忠実に天守は木造で復元します。身障者エレベーターは設けません。」を繰り返しています。議会が500億円の予算を認めたから市民が認めた事になっている木造天守です。いいかげん、議会は責任を取って「なんで、進まないんだ。税金の無駄だ。まず、止めよ。そして、竹中工務店に進展しない理由を述べさせよ。それによっては竹中工務店を訴えることになる。」としないといけないのではないでしょうか。

議員報酬は年間1400万円。これが、報酬800万円を訴える河村市長の下に議会を置いているのです。2015年9月に議員報酬600万円をお手盛りアップしたことを市民の前に明らかにしないで、河村市長を倒すことはできません。

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文化庁にハシゴを外された名古屋市、天守木造化事業はどうなるのか。(その1)

文化庁にハシゴを外された名古屋市、天守木造化事業はどうなるのか。(その2)

文化庁にハシゴを外された名古屋市、天守木造化事業はどうなるのか。(その3)

文化庁にハシゴを外された名古屋市、天守木造化事業はどうなるのか。(その4





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