市民運動/天守木造化に反対 pontak-blog/citizen-campaign/no-wooden-nagoya-castle-tower
簡単に今までの私の市民運動の経緯を書いていきますが、結論を先に書きます。
以下の経緯の結論は「高橋の意見書」が、裁判官に証拠として採用されなかった事により明確です。正しい結論は<名古屋市は基本設計はできていないのに、できていたと市民を騙して、基本設計料8億円余を竹中工務店に支払っているので、税金だ!金返せの原告の勝利>なのでした。裁判官は司法としての役割を捻じ曲げ(?いや、これこそ行政に味方する司法の本来の姿なのでしょう。)、原告は負けました。
裁判官は「高橋の意見書」を読んでいて「高橋の意見は正しい」と思ったから、裁判所で両隣の裁判官に「これは証拠にしない。」と宣言し、名古屋市の弁護士にも「質問をしなくて良いね。」と同意を求めたのでした。小学校で教える、三権分立は名古屋にはありません。
日本全国でも、市民が行政を訴えると、裁判官は行政の味方をし、逃げるのが実態なのでしょう。岸田首相は、民主主義を声高にうたい、西側諸国G7の議長国であることで国民の人気を得ようとしていますが、日本に民主主義も法治主義もないのでした。
名古屋市が「基本設計はできている。」というなら、裁判官が名古屋市に「基本設計図書を提出せよ。」というだけで、名古屋市(竹中工務店)は基本設計図書は作っておらず裁判所に提出できないので、原告は裁判に勝つのですが、裁判官は求めませんでした。
図書はこの裁判争点の時である2018年3月だけでなく、2023年9月の今になってもありません。身障者エレベーターはどうなっているのか?石垣内部のコンクリート基礎と上部の木造天守はどのようにつなぐのか?私は新聞報道を見ているだけですが、基本設計どころか、文化庁に伺いをかける企画図である基本計画すら「出す。」「出す。」と何度も松雄副市長が言っていますが、そのたびに延期です。今の新聞報道ですと「身障者団体がエレベーターを最上階まで上げよと言っている。」事が木造天守事業を止めているように見えますが、間違いです。
身障者団体の望むように最上階までエレベーターをあげても、排煙・防火区画された中に避難階段がない木造天守です。想定入館者2500人の中で身障者は最後尾となり京都アニメーションのように死にましょう。老人の私も、乳母車の孫も逃げ遅れて死にましょう。竹中工務店は絵を名古屋市に出せません。文化庁にハシゴ<レプリカは重要文化財相当である>を外され、史実に忠実に復元された木造天守は建築基準法上違法となり、出せないのです。文化庁に持っていける図書は名古屋にはありません。市長が変わるまで「漂流」です。税金の無駄使いを役人、議員、マスコミは容認しています。まったく恥ずかしい名古屋です。
今までの高橋和生が取り組んだ市民運動の簡単な経緯
私は、2015年6月の新聞記事を読み、名古屋市から「名古屋城天守の木造化を進める。」宣言が突然出たことに驚きました。
2012年(平成24年)12月に本丸御殿の復元と同時に「コンクリート天守は耐震改修を行い、博物館牡の刷新をする。」と名古屋市は定めていたのですが、河村市長のヒラメキ<天守を木造にしたら、2020年東京オリンピックを見に来た外国人たちは、城を見に名古屋に寄る。名古屋に賑わいを生む。>による方針転換でした。
大正15年生まれのオヤジがなけなしの金を寄付した名古屋のシンボル・コンクリート天守(1959年(昭和34年)竣工)を壊されてなるものか、文化庁の言う「史実に忠実な復元」は危険な違法建築となるとFacebookに書き続け、2016年11月に私は市民運動に飛び込むことになりました。(下記:名古屋城を「戦後復興のシンボルに」賛同のお願い)
木造天守への反対運動は、令和2年の文化庁通達により木造天守は史跡の上に作れないので、もう必要ないのですが、「名古屋城天守木造化に反対」運動の流れから、名古屋市住宅都市局が法治主義、民主主義を放棄してきたことが、違法建築であるのに建設中の愛知国際アリーナに繋がっている事を示し、名古屋市を糾弾します。名古屋市住宅都市局長は三代にわたって河村市長後輩の一橋大学出の国交省文官です。3年で国に戻ります。
2015年9月30日の市議会で、議員の悲願である議員報酬600万円アップ(河村市長の議会リコールによって800万円に下げられていたのを元の1400万円に戻す。)と引き換えに河村市長の悲願である天守木造化事業の整備・検討・調査予算3500万円が認められました。
12月1日に市民オンブズマンに呼ばれ「名古屋城天守の整備・検討・調査」について解説をし、12月6日には、河村市長が木造化事業を進めるタウンミーテイングに出席しました。12月11日にゼネコン募集のコンペ要綱を読み、自分でも応募案を考えてみましたが、私には「法同等の安全性」の担保は無理でした。
2016年3月に、竹中工務店が「技術提案、交渉方式」によって選ばれ、その天守の提案が公にされました。河村市長の願い「ホンモノ復元」ではなく、身障者エレベーター、避難階段の耐火ガラスによる区画があり、結局、2018年2月基本設計終了予定日に、河村市長は竹中工務店の提案を蹴り、よって基本設計はまとまらず、ここから天守木造化事業の「漂流」が始まりました。
2016年11月23日に、Facebook 「名古屋城天守を「戦後復興市民のシンボル」に」を立ちあげました。
そして8年を経ても、まったく天守木造化事業は進んでいないのですが、名古屋市はその止まっている理由を市民に明らかにせず、ただ「木造天守は実現させる。」を言い続けています。
なぜ、事業は止まっているのか?新聞記者はコンペ要綱と竹中工務店の提案図を見比べないので、永遠にその理由がわからず、ただ名古屋市の役人の発表を垂れ流すだけです。
木造天守は2020年(令和2年)に文化庁が名古屋市へのハシゴ「史実に忠実な復元」を通達で外しました。
名古屋市は文化庁の「名古屋城木造天守復元は文化財相当」のお墨付きを得られず建築基準法3条の「法適用除外」を使えません。河村市長が「取りこわすしかない。」と2018年5月に閉鎖したコンクリート天守も文化庁は「戦後復興のシンボルとして価値がある。老朽化したのでこの際壊せとは言わない。改修せよ。」ですので、もう竹中工務店も木造天守の設計を進められません。
名古屋市は相変わらず「天守木造化は決まったこと。実現させる。」と、止まっている理由を市民に明らかにすることなく、言い続けています。
一方、民間の竹中工務店はさっさと天守の為の人材を振り戻しました。今回の「技術提案・交渉方式」は、設計だけの委任契約でなく、あくまでも工事完成を約した工事請負契約です。買った材木は他に使い、名古屋市からもらった75億円は市に返すしかないでしょう。2022年末竣工の請負契約が果たせなかったのですから。
独裁者・河村たかし市長の前で、役人は組織の縦割りに日常的に隠れるようなり、名城公園の中に愛知国際アリーナを建てるという大村知事の暴挙もあえて見逃しています。愛知国際アリーナは工事が完成しても違法建築であり、使えません。
私は講演を二度行っています。
2017年8月26日講演「壊すな!名古屋城天守」YouTube 30分
2018年10月21日講演「名古屋城天守 漂流」YouTube 30分