名城公園に建つ(株)愛知国際アリーナ(IGアリーナ)は違法です。アリーナで公園を潰してはいけません。

名城公園の5haをアリーナの為に整地した写真 IGアリーナ (愛知県新体育館)
  1. Don’t break Meijyo Park!●アリーナ(屋内観覧場)は、公園・住居地域に作ってはいけない興行場です。(興行場法、都市公園法、建築基準法・都市計画法)●名城公園北園21haのうち5haを潰し(建蔽率違反)、建築高さ41m(風致条例は10m以下だが、知事と市長は条例を無視。)もある巨大な建物なのですが、反対運動が起きないままに工事中です。なぜ、名古屋人は名城公園を潰されて平気なのか、私は悔しいです。
    1. 名城公園の歴史
    2. 名古屋昔話 2017年2月27日記
    3. 都市と公園
      1. 欧州の都市公園は、かっては王様の庭であった。
      2. 江戸時代は寺社、火よけ地が公園であった。日本の都市が高層化するのは戦後30年たった昭和50年(1975年)からとまだ短い。いまだマンションを都市インフラとして見れない日本である。火事と地震で壊れた木造家屋の歴史から、建て替えるものという意識が強い。
    4. 生態系を保全する価値 SDGs
    5. 「アジア大会の為に、大きなアリーナがいる。」は嘘です。
  2. 名古屋に「民主主義」「法治主義」はありません。
    1. 名古屋市会議員の皆様へ 「愛知県の新アリーナ建設について「都市公園」の議論を行い、市民に説明ください。」2019年8月のA4版46枚は、PDFにして、ここにアップします。
    2. 2022年7月7日の起工式  バックの看板「愛知県新体育館」こそ、市長と知事がタッグを組んで公園を潰した証拠です。「新体育館」は市民を騙す嘘です。

Don’t break Meijyo Park!●アリーナ(屋内観覧場)は、公園・住居地域に作ってはいけない興行場です。(興行場法、都市公園法、建築基準法・都市計画法)●名城公園北園21haのうち5haを潰し(建蔽率違反)、建築高さ41m(風致条例は10m以下だが、知事と市長は条例を無視。)もある巨大な建物なのですが、反対運動が起きないままに工事中です。なぜ、名古屋人は名城公園を潰されて平気なのか、私は悔しいです。

東京では、神宮外苑の緑を潰すな!と、盛り上がっています。以下の坂本龍一の死を前にした東京都知事への訴えは、東京新聞が報じ、音楽仲間のサザンは「Relay〜杜の詩」で応じました。石川幹子(1948~)さんは、三井不動産案に、対案を模型で示しました。彼女は東大農学部からハーバードに進み、日本でランドスケープアーキテクト(外部環境設計者)という職種を広め、今は文化庁との日本イコモスにも在し、世界遺産を見る立ち位置にいます。

神宮外苑は都市計画公園ですが土地は国と明治神宮のものです。寺社が周囲の土地を切り売りしてきた歴史を、普通の神社となった明治神宮も後追いしたのでした。日本初の風致地区指定でしたが、役人が用意した「公園まちづくり 地区計画」の縛り中でしか東京都都市計画審議会は議論できません。
三井不動産の3本のビルは、ラグビー場が壁の如く建ち公園として不活性であるという事から、ならその敷地を儲けに使おうです。もっともラグビー場は屋根付きの新しいものが場所を変えてたつので、消えるのは軟式野球場です。
都市計画決定をしていますので、もう東京都知事には打つ手がないのですが、それでも「緑を切るな。」のうねりが木々の伐採をとりあえず半年遅らせました。私にはうらやましい限りです。

坂本龍一の本

名城公園は、名古屋市に都市公園法に基づき管理されている市民の公園(地主は国)であり、風致地区です。風致地区は、建築の高さ10m以下と制限されているのですが、名古屋市都市計画審議会は、隈研吾デザインの建物高さ41mについて何も異論を挟みません。

それどころか、名古屋市都市計画審議会は、名城公園をスポーツ・レクリエーション地区に指定した2021年8月5日を最後に名城公園の利用について何も審議していません。公園の建築は地下無し2階以下の壊しやすいものとの一般規定が都市計画法53条・54条にありますので「許可申請」をして、高さ41mの「許可」をもらわないと違法です。

違法であっても「緩和の許可願い」はありますし、建築基準法の単体規定でなく、集団規定に違法ですので「公園指定・地区指定を外し、集団規定を変え」れば良いのですが、このどちらも名古屋市都市計画審議会の議題とはなっていません。「許可願い」「指定変更」には、審議会の賛同を得ないといけませんがされていないので「違法建築」のまま工事中となります。

東京も名古屋も役人がおぜん立てした議題に反応するだけの有識者ですので、名古屋の場合は役人が有識者(名古屋市都市計画審議会、名古屋市建築審査会)の前に「風致条例」「都市計画法53条」を出さなかったのでした。

西区の公園近くに住む加藤さんは「名城公園ねぇー、ランナーと野鳥の会だけのものでないの。野球場に愛知県新体育館が建っても野球をしないので、得に愛着ないな。砂埃の野球場は公園の奥にプールと共にあり、子供の凧揚げでしかグランドの記憶がないな。」と言われました。
加藤さんに公園の価値を理解してもらえるように、名城公園の歴史、都市の公園の大切さ、身近な公園の緑は疑似であっても生態系をしめすSDGs、などと論を展開するタイトルにしたかったのですが、そのようなタイトルではこのポンタックのブログに誰も来ないと思いこのタイトルは「名城公園に建つアリーナは違法です。」と明確にしました。しかし、以後のこのページは、加藤さんに理解できるように、名城公園の歴史、都市公園、生態系と、頑張ります。

「違法です。」から「なぜ、着工できたのか?」を取り急ぎ知りたい方は、上に書いた法律(都市公園法風致地区条例)をクリックしてお読み下さい。長いですが法の作られた経緯、国の政策コンセプトも示していますので、さらに以下の役人の行った脱法行為を読めば、大村知事と河村市長がタッグを組んで正面から市民を騙し、違法行為をしていることが理解できると思います。それぞれ青色に変わったところをクリックください。
愛知県建築局名古屋市総務局と愛知県スポーツ局名古屋市住宅都市局都市計画部名古屋市住宅都市局建築指導部名古屋市緑政土木局緑地部、それぞれの親分、知事と市長の為に市民を騙し「着工」に至った役人のテクニックの数々を示します。確認申請をおろしたのは、民間の日本ERIです。

東京都都知事 小池百合子様    
突然のお手紙、失礼します。私は音楽家の坂本龍一です。神宮外苑の再開発について私の考えをお伝えしたく筆をとりました。どうかご一読ください。率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。
これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。
私が住むニューヨークでは、2007年、当時のブルームバーグ市長が市内に100万本の木を植えるというプロジェクトをスタートさせました。環境面や心の健康への配慮、社会正義、そして何より未来のためであるとの目標をかかげてのこと、慧眼です。NY市に追随するように、ボストンやLAなどのアメリカの大都市や中規模都市でも植林キャンペーンが進んでいます。詳しくはこちらの記事をご参照ください;https://globe.asahi.com/article/14629731
いま世界はSDGsを推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません。持続可能であらんとするなら、これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう、現在進められている神宮外苑地区再開発計画を中断し、計画を見直すべきです。
東京を「都市と自然の聖地」と位置づけ、そのゴールに向け政治主導をすることこそ、世界の称賛を得るのではないでしょうか。そして、神宮外苑を未来永劫守るためにも、むしろこの機会に神宮外苑を日本の名勝として指定していただくことを謹んでお願いしたく存じます。
あなたのリーダーシップに期待します。      令和5年2月24日 坂本龍一

いかがでしょうか。神宮外苑は違法でないですが、坂本龍一は声を出しました。

繰り返します。
愛知国際アリーナは2025年夏に竣工しますが、都市公園法(建物用途、建蔽率、代替公園)と、名古屋市風致条例(高さ10m以下)に違反しています。都市計画法の下にある公園法と風致条例ですので、名古屋市が都市計画の指定変更をすればよいのですが、名古屋市都市計画審議会は何も審議していません。緩和願いとか許可申請とかの方法も取られておらず、アリーナは違法建築となります。
都市計画法53条、54条の「公園内の建築は地下無し2階建て」の許可基準に対して、確認申請は「地下あり、6階だて高さ41m」ですので、許可申請がいるはずですが、名古屋市都市計画審議会は開かれていません。
竣工したら、名古屋市は都市公園法5条により(株)愛知国際アリーナに管理を委譲する予定ですが、市民に違法であることを隠して着工した都市公園法破りのこの施設を、法治国家なら都市公園法にのっとり、運営を認めるわけにはいきません。問題先送りをしてきた役人はどうするのでしょうか。今のままでは、竣工した建築は使われることなく、醜態をさらすことになりましょう。

私が怒る愛知国際アリーナの最大の問題はサザンの歌「俺たちの知らないうちに決まっていた。」です。河村市長が「木造天守は決まった。次は二の丸だ。江戸村を作るゾ。愛知県体育館は二の丸から出ていけ。」と2016年に言い、大村知事は「名城公園北園をよこせ」とそれに応じ、2019年6月に「体育館の4倍の規模のアリーナ(屋内観覧場)にする。」とぶち上げると、もう、それで決まった事とされ、都市公園を潰すことの問題に蓋をされてしまいました。

議会での議論は全くありません。アリーナ(屋内競技場)を公園に作らなくてはいけない「公益上の必要:都市公園法16条」を議論することなく名古屋市は公園を潰します。公園を新たに作るのは大変です。土地がありません。アリーナを未来の名古屋に負の遺産として残すのでしょうか。

マスコミは大村知事の黒いうわさを報じましたが、公園を潰してのアリーナ(屋内観覧場)建設に何ら疑問をマスコミは持ちません。「公園に、あんな大きな建物、どうしてできるのか?」と思わないのです。西区の公園近くに住む加藤さんは「野球場を潰すに愛着はないが、公園にこの巨大な建物って、規制はないの?」と、私に聞いてきました。

2021年8月の総務局の「工事説明会」の時は、住宅都市局、緑政土木局は「説明会など知らない。大村知事が熱心だけで、名古屋市は瑞穂陸上競技場でしか動いていない」でした。それが、1年後には起工式です。
一方、3万席の瑞穂陸上競技場は竹中工務店がPFI事業として仕事を得るために絵をかき、スポーツ市民局が住宅都市局と一緒に、2020年7月には住民縦覧用パンフをまとめ、廃道・地域地区の変更・観覧場の緩和・建蔽率の緩和等の都市計画の変更、緩和策を住民にしめし、2021年8月5日に名古屋市都市計画審議会で「スポーツ・レクリエーション地区」の都市計画の決定をみ、2022年10月に瑞穂公園条例「建蔽率18%」にようやく至りました。確認申請がおりて、工事の着工は2023年3月30日です。このように違法、脱法にならない方法はあります。都市の姿は日々変わりますので都市計画の見直しは当然です。しかし、着工に至るまでに4年を要してします。
瑞穂陸上競技場で4年かけたものを。愛知国際アリーナが1年で行うことはできません。(株)日本ERIが、確認申請をおろしたので「着工」できたのですが、前田建設工業の設計者がいかに法を潜り抜け、(株)日本ERIの建築主事がその脱法行為をなにゆえに認めたのか私にはわかりません。前田建設工業と(株)日本ERIの確認申請業務を第三者の私が見ることはできません。名古屋市は「違法建築ではないか?見せろ!」と言えますが、河村市長の了解を取らずしてできないでしょう。「泥棒に警官をしろ」というしか、建築基準法での策はありません。

名城公園の歴史

名古屋は慶長10年より、大坂の秀頼を敵として家康が作りました。庄内川の水害を避け、不毛の洪積世台地の上に、6km×6kmの三角形の城下町を築き、その北西の端、信長の名護野城の跡に平城の巨大な城郭を設けたのでした。

正保 城下町名古屋
名古屋城 城郭復元図

城の北、洪積世台地の下は、庄内川が暴れる河川敷であり10mの段差がありました。添付は江戸時代初期の復元地図です。家康は城下町全体をかこう「総囲い」を考えていたのですが、豊臣家が滅びると取りやめとなり、名古屋城は、3の丸の北側の土塁、堀が不完全なままで、警護侍の住む土居下を設け、清水口から中山道に至る上街道を沼地の中に設けていました。東の枡形の先には、成瀬の中屋敷から300石クラスの中堅の武家屋敷が並んでいました。
寛永11年の家光の上洛に合わせて、従弟の義光は家光を歓待するためにお成り御殿を本丸御殿に増築し、城下に矢田川から水を入れて「和風」池泉回遊式庭園を設けました。下深井御庭です。二の丸の唐様の大名庭園と違い、後水尾上皇の修学院、八条宮家の桂離宮の趣があったのでしょう。家光は得たく気に入り「吹上庭」をまねて作りました。

城は、尾張藩から軍に取られ、1893年(明治26)に本丸・西之丸東部は名古屋離宮となり、1930年(昭和5)、名古屋離宮は名古屋市へと下賜されて、再び名古屋城と呼ばれるようになりました。天守は国宝となり一般公開され、多くの市民が足を運びました。三ノ丸も陸軍から名古屋市に下され官庁街となりました。

名古屋練兵場
陸軍第3師団、歩兵第6連隊
私の伯父は、ここに集められた一人であり、ここから日章旗で送り出されました。
城と軍隊とむずびつける記憶は大切です。
昭和12年 名古屋城航空写真
昭和12年写真  市役所昭和8年、県庁舎昭和10年 練兵場の周囲は民家が回る
名古屋大空襲

空襲により、8千人が亡くなり、名古屋の街は天守と共に消えました。久屋大通り、若宮大通りの100m道路を新たな火よけ地とし、都市の不燃化に努めることとなりました。朝鮮戦争が町工場を復興させ、テレビ塔が建ち、天守は昭和34年に二度と燃えないとコンクリートで再興されました。戦争の爪痕を払しょくするよう、練兵場は総合公園とします。久屋大通りと共に、昭和40年頃から植樹が始まりました。私は明和高校でしたので、鉛筆のような細いケヤキを覚えています。

建設中 名古屋テレビ塔
昭和29年テレビ塔 久屋大通り公園
トイレに貼ってあったアリーナの現場の範囲です。 
どのような建物となるのかは名古屋市民には知らされていません。
アリーナは北園21haのうち5haを潰した
令和元年の名城公園 航空写真
私の高校時代に名城公園は植栽され、50年を経て森となったのですが、その緑は無残に切られました。
愛知県体育館がその規模内容で野球場に移るとばかり思っていたら、見事に騙されました。規模は4倍に、内容はアリーナでした。

名古屋昔話 2017年2月27日記

2017年の名古屋市長選に出ると宣言した元副市長の岩城さんが自宅に来られ「お城を教えて」とありました。私はすでに2年間「名古屋城天守木造化事業に反対します。」運動を行っていましたので、恩師・内藤昌の本を基に名古屋城だけでなく、お城全般の話をしたのでした。
しかし、岩城さんは城だけでなく名古屋も知らないようなのでした。姪っ子が小学校の先生をしているのですが、名古屋の郷土史は低学年で少しやるだけだそうです。そこで、1972年に40歳の内藤先生が書いた「都市・名古屋を考える」を底本にして、明治以降は書き足し2週間で「名古屋昔話」を書きあげました。PDFにして、A4版67ページを以下にアップします。
内藤先生の「復元 安土城」のまっさい中であり、復元の下働きをするも、私の卒論は都市史「城下町」でした。以後の設計の仕事を40年するにも、その町の歴史を常に背景においていたので、ネットを徘徊して意外とあっさりとまとめることができました。

20170227名古屋昔話-1

名古屋城天守を襲うゴジラのごとく、南に向かう隈研吾設計のIGアリーナの姿は、城下町名古屋の歴史を冒涜するものであり、名古屋城の「風致」を著しく害すると私は思います。一体、誰が「風致に合致。」と認めたのか?どこにも明言されていません。木造天守大好きの河村市長が認めるわけがありません。大村知事の「目立ちたい」に”世界的建築家”隈研吾が応じただけです。

都市と公園

公園は、どうして都市に必要なのか?必要だと感じていない名古屋人にどのように説明すればよいのでしょうか。18世紀のパリと名古屋を比べると、以下のように都市面積に差はないです。西欧の公園を先に、後に日本の公園を書いていきます。

なお、この絵は「名古屋に馬車はなかった。自動車都市への助走がなく、都市計画に失敗した。」https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2611374405665329&type=3 からのものであり、公園でなく道路に注目してパリと名古屋の比較を都市史としてまとめたものです。

欧州の都市公園は、かっては王様の庭であった。

ヨーロッパの都市は、中世から絶対王政にかけて防御の為に都市を丸ごと城壁で囲み、外側、外側と城壁を広げる事によって都市は大きくなったのでした。王は、ルイ15世(1710~1774)の王宮計画を見るように、自らの住まいが同時に絶対王政の政治、外交の場であり、庭と共に王宮しか建築は行いませんでした。パリはセーヌ川の川港として生まれ、川港の組合が市民の中心にあり、パリ市街造りでも中心となりました。ルイ15世はベルサイユに行ってしまうのですが、馬車が交通の中心となり、拡大した新たな城壁と門の位置から、パリを貫入する道路を町の中心である広場とどのように組み合わせるかを探り、都市改造がされました。

庶民は4階建ての煉瓦つくりの建物に積み重なって住み、排便は部屋の中のオマルにし窓から道に捨てるという、道は汚物まみれの排水路でもあったので、疫病の流行が都市民の大きな恐怖でした。日本の都市では、中世から人糞を肥料として回収するシステムができていましたが、祇園祭り(厄除)に見られるように、やはり疫病は都市民の恐怖でした。

1776年にフランス革命が起き、バスティーユ監獄が暴力によって解放されますが、革命は王の為の庭を19世紀プチブル層の庭・公園にしました。民主主義と同じく、血を流して公園を得たのです。

産業革命がフランスにも起き、さらに多くの人口がパリになだれ込み、都心部が、いわゆる貧窟(貧困・日影・風通し悪し・不衛生)となったので、貧窟を大胆に壊し、大きな道路で政府の主要な建物を囲み、かつそれらの建物を、広場を介して直線的に結ぶようにしたのが、オスマンの計画でした。
ナポレオンン3世の強大な力で建物の多くが壊され、石張りで統一された現代の稠密なパリの姿=5階建て+屋根裏が一期に作られたのです。窮屈なアパート暮らしの人々は青空を求め、公園にでます。

パリには、中世からの広場の伝統があり、広場を結ぶ放射状の道路が作られたのですが、日本の城下町は碁盤の目の道路であり、広場は神社・仏閣の境内がその役目を果たしていたので、パリの大改造の形そのものを日本にとりいれることはありませんでした。
また、パリでは疫病対策として下水道の敷設が同時にされました。後に、そこに電気も通すことによって、電信柱のない美しいの街並みができています。日本では下水道が都市の大切なインフラと捉えられず、下水道の普及が進みませんでした。また、戦前の電気事業は民営でしたので、電信柱だらけの醜い街並みとなっています。

名古屋と同じ人口が4分の1の面積にすむ人口密の高いパリでは、鶴舞公園24ha、名城公園22ha 以上の大きな公園が20あり、さらに都市面積の5分の1の面積の森を市街の外に持っています。名古屋では「公園」の必要性が認識されておらず、増えません。それどころか、名城公園を潰しています。

パリの公園と名古屋の緑地比較です。同じ縮尺ですので、名古屋の都心部分90k㎡にパリはすっぽり入る事がわかります。そして、パリの公園に匹敵する名古屋の公園は、鶴舞公園24haと名城公園北園21haしかない事がわかります。瑞穂運動公園24haはパリでは公園と言いません。運動施設です。現在、愛知県と名古屋市は、名城公園の16haを潰して愛知県国際アリーナを建設中です。潰す工事は簡単ですが、公園を新たに作る事は大変です。川名公園5.5haは、60年の歳月,200億円の金がかかっています。

ロンドンの公園の定義
NYのセントラルパーク 800m×4km
NYの高架鉄道の跡に作られた公園ウエイ

ロンドンだけでなくヨーロッパの都市では100haを越える大きな都市公園があり、地区公園5ha(4ブロック)、近隣公園1ha(1ブロック)が大前提となっています。ゲルマンは森が故郷なので、19世紀に開発で失った森を大々的に復活させました。明治神宮の100年の森は、当時のドイツの森の復元の考え「潜在植生」によるものです。

国の民主化の中で、王・貴族・教会の権力者から勝ち得た公園は、庶民にとってかけがえのないものでした。石炭の煙の下で、人口密度が今の名古屋の3倍にもなっていた工業都市ロンドンでは、どうしてもオープンスペース(公園)が必要だったのでした。

江戸時代は寺社、火よけ地が公園であった。日本の都市が高層化するのは戦後30年たった昭和50年(1975年)からとまだ短い。いまだマンションを都市インフラとして見れない日本である。火事と地震で壊れた木造家屋の歴史から、建て替えるものという意識が強い。

「享元絵巻」の部分 宗春の春を謳歌する名古屋人 1736年頃 名古屋城天守博物館 蔵
寺社は遊興の場でもありました。真ん中が七つ寺、その右奥が大須観音、左が願正寺→西本願寺  「享元絵巻」の部分 宗春の春を謳歌する名古屋人 1736年頃 名古屋城天守博物館 蔵

城下町の7割は武家地であり、その人口密度は低いのですが、町人地の裏長屋は間口1間半であり、想像を絶する人口密度でした。
通りは3間(6m)ほどしかなく、大八車しか通れません。
運河が物流の中心であり、町人はその川端、寺社に出かけて、稠密な住まいの憂さをはらしました。

江戸の日本には、既に150もの都市(城下町、港町、門前町)がありましたが、明治になって、政府は富国強兵を唱え、都市の改造、近代化を進めます。当時の城下町の近代化とは、銀座の煉瓦通りのように、日本は先進国だと外国に見せるための都市の不燃化(ロンドンでは17世紀に実現)を行うこと。そして、新たな都市間交通の鉄道を町のどこに引き込むかを考え、鉄道駅と旧市街地を結ぶ新たな道路(都市軸)を作ること。市街地の幹線に路面電車を走らせるための道路の拡幅でした。

広小路 火よけ地
火事への対抗策としては延焼をとめるしかない。尾張名所図会は街並みを見せるために道路幅広いので、そのつもりで見ないといけません。

明治21年(1888年)東京市区改正条例をもって都市計画ははじまります。名古屋などの6大都市の都市計画はこの東京の準用として、内務省によって国策として施工されたのでした。当時の内務官僚は、ヨーロッパ留学をし、欧州の都市計画を学びました。パリではパリの大改造(1853~1870)がナポレオン3世の命令で、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマン(1809~1891)によってまさに行われていた時でした。

大正8年(1919年)、市街地建築物法(建築基準法の前身)と合わせて都市計画法(旧法)が制定され、翌年施行されました。住居地域、商業地域、工業地域というゾーニング制度によって都市を計画し、都市計画制限(道路など都市計画施設予定地内での建築を規制)、区画整理制度で、新たな都市を作ろうでした。
東京では関東大震災(大正12年1923年)の後に、大風呂敷と呼ばれた後藤新平(1857~1929)が内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案したのですが、銀座の大地主に反対され、土地を買い上げる資金の不足により成功していません。しかし、名古屋では徳川家康の総郭の範囲(庄名川と天白川の間)が「大名古屋」とされ、「区画整理制度」によって道路の基盤整備が進みました。

名古屋の都市計画は戦後の田淵寿郎(1890~1974)によるものだとの誤解がありますが、焼け跡への線引きは、大正から戦前にかけて、田淵より3つ若い石川 栄耀(1893~1955)によって計画推進された都市計画の延長にあるものでした。その後、戦後復興に中で名古屋は「工業都市」と位置づけされ、準工業地区・工業地区が多くゾーニングされました。

昭和45年に都市計画は国から名古屋市に移管されたのですが、基本的なゾーニングの見直しが行われないまま今に至ります。今の名古屋市民には「工業都市」名古屋の認識はありませんが、地域地区はそのまま残されています。ゾーニング制度による都市計画は1970年から滞っています。多くある準工業地域は、例えば、ナゴヤドーム、イオンモールがあり、名城大学があり、大きな倉庫があり、マンションも立ち並ぶ。と、ごった煮の都市にしてしまった元凶です。

東京には、江戸の大名屋敷を利用してまとまった公園、大学キャンパスがあります。しかし、名古屋の大名屋敷跡は徳川園4haしかなく、名城公園・北園21haが昭和31年(1956年)に出来るまで、1909年(明治42年)に博覧会用地の転用として開設された鶴舞公園24haしか、名古屋には総合公園はありませんでした。東山動物園も戦前からの総合公園ですが、郊外の公園です。

今、都市公園として名古屋にある、庄内川、守山、戸田、大高などの 「緑地」はロンドンなどヨーロッパの都市の中で見られる都市公園とは違います。

名古屋城は軍と天皇の所有でしたが、戦後、練兵場の跡21haを無料の名城公園・北園として整備し、文化庁が「特別史跡」と指定する、入場料を取る名古屋城、県体育館の敷地、その周囲の堀、三の丸の土塁を一体として、80haの総合公園「名城公園」としたのでした。公園の名称と天守を見あげる景観では北園は名古屋城と一体ですが、人が往来して一体的に活用できるような総合公園とは整備されていません。

開業当時の鶴舞公園

生態系を保全する価値 SDGs

持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)をSDGsと言い、国連(ユニセフ)が2030年までに達成というので、日本はいつものように国連に追従しています。しかし、原子力発電を保持するフランス人が中心となって作ったユニセフに、私は胡散臭いものを感じています。「生態系の保全」と言い換え、公園の価値を見直していきたいと書いていきます。

50年前、「宇宙船地球号」という言葉が流行り、地球環境を公害から守らないと大変なことになると言われました。照葉樹林帯が中国から日本に繋がっており、日本の稲作文明は中国の雲南から来ていたとも言われました。
横浜大学の宮脇昭教授は「潜在植生」を唱え、「荒れた土地でもその地に本来あった植生を密植させて植えると、短期に森を回復できる。」と、1970年から宮脇方式植樹を全国でおこないました。イオンが「手間のかからない植栽であり、植樹祭に近隣を呼ぶことでイオンに親しみを持ってもらえる」と宮脇方式に協賛して、全国で1000以上の緑地帯があります。きっとご覧になっていましょう。
明治神宮100年の森は、ドイツから輸入した「植生回帰」であり、荒地に適した松をまず植え、松の下から潜在植生の広葉樹が育ってくるのを待つというものでした。

絵は 山本紀久 著「造園植栽術」彰国社 2012年1月刊による。


私は建築学科都市計画の授業でこのような植生の知識を得ていましたが、照葉樹林帯は下草が生え、ドイツのブナ・ナラの森のように人が森に入り込んで詩を歌う事ができないと、照葉樹林帯の樹種を使わないように、ランドスケープデザインをしてきました。

国は昭和46年に都市計画を地方に渡すと同時に「容積率」という考えを取り入れました。建物の延べ床面積はその地域の容積率で決め、ビルの周りに空地を取るとその分高さを稼げるとし、街並を高さ100尺(31m)でそろえるというパリ方式の都市景観づくりを放棄したのでした。昭和50年、これに日影規制が加わり、今の凸凹の街並みができました。

1978年 富国生命本社ビルの現場で、特定街区の公開空地をデザイン。今はビル風を避けて広場は屋内に取り込まれてます
2002年 本社ビル前の庭を芝生のうねりと、灌木で整えた。芝生の生育を見守るのは大変なことを知りました。
芝生の間の雑草は手で抜き、肥料と水やりも大変です。
2009年 アメリカの工場の前庭

60歳を過ぎて公園の設計を依頼され、しかも「ビオトープも是非入れてください。」との注文でした。私の「作品」に入れていますが、「造園というのも、生態系にのっとっている。」と改めて生態学を学びなおしました。都会のアパート暮らしでは得られない「人と生態系の結びつき」を「公園」で用意しなければならない。と、意を強くしたのでした。

神宮外苑だけでなく、名古屋でも久屋大通りのケヤキ林を河村市長が切るというのに反対運動が起きました。15000筆の署名が集まったのですが、河村市長と三井不動産はケヤキの林を切って芝生にしてしまい、その芝生の扱いに苦慮しています。生態系を無視した造園は手間と金がかかります。ケヤキ林のままでよかったと思います。
名古屋は生態系を守る事では、2010年にCOOP10宣言も出し、SDGsの先進地だったのですが、皆さん覚えていましょうか。大村知事は国会議員でしたが、河村さんは2009年に市長に当選しています。議員報酬を減らすのだとの大騒ぎで忙しく、市長としてCOOP10に参加しなかった? いえ、そうではなく、彼は「賑わいだ!」ですので、環境問題には関心がないのでしょう。今回の名城公園の愛知国際アリーナも、河村市長が「県体育館跡には、江戸村を作る。県には名城公園北園をあたえるので、出ていけ。」が発端でした。愛知国際アリーナ建設の起点となった江戸村は、木造天守復元も文化庁の了解が8年取れていませんので、ダメでしょう。もう、だれも河村市長の江戸村の事は覚えておらず、哀れ、人知れず切られてしまった名城公園の木々たちです。

名古屋 COP10 2010年10月29日  名古屋議定書
生物の多様性に関する条約、(特に)遺伝資源の取得の機会及びその利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分。生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で採択された。

世界目標である「愛知ターゲット」が採択され、名古屋議定書では、「2015年までに、遺伝資源へのアクセスとその利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分に関する名古屋議定書が、国内法制度に従って施行され、運用される。」とされており、日本のロードマップでは、「可能な限り早期に名古屋議定書を締結し、遅くとも2015 年までに、名古屋議定書に対応する国内措置を実施することを目指す」としていた。日本政府は2017年5月22日に批准書を提出して批准手続きが正式に完了し、99番目の批准国・地域となっている。

名古屋市民は、このCOP10を覚えていましょうか?

名古屋市は、2016年7月の国交省「公園PFI事業」に早々に手を上げ、久屋大通り公園に、建蔽率10%(従来では2%以下)の商業施設を建設し、市街地の貴重な緑を潰す方向に舵を切りました。河村市長は「公園に人がおらん。都心がさびしい。賑わいをもたさないかん。」と公園PFIの本来の趣旨<公園の維持費を公園の利便施設で稼ぎな。建蔽率2%を10%に引き上げる。>を捻じ曲げ、三井不動産が郊外ショッピングセンターに作る安物建築の姿を都心に持ち込みました。
名古屋市は木造天守事業に100億円すでに投じています。公園保持の予算は潤沢です。公園の価値がわからない河村市長は、鶴舞公園にも商業施設を作り、名城公園5haをアリーナで潰しました。

絵は 山本紀久 著「造園植栽術」彰国社 2012年1月刊 による。

代償植生 が日本の風景を作ってきたのでした。水田、畑、屋敷林、里山の「田舎の景観」が代表です。弥生人がBC3世紀に山の麓にやってきて、水田を開き、サスティナブルな社会を生態系と共に構成し、20世紀までその景観は続いていたのでした。
川をコンクリートで固め、山からの栄養分の代わりに化学肥料を使い、重い農耕機械のために冬季に水田から水を抜き、「田舎の景観」が失われました。
公園も庭園も個人のお庭も、すべて代償植生なのです。生態系の中にいる人は「生態系の一員」を言葉で自覚していなくても、心の叫びとして「木を切るな!」が自然に出てくるのでした。

造園技術は美しい庭を造るだけでなく、そこに代償植生を考え、人工であっても、その生態系を維持する事だと言えましょう。緑は人の心を慰めます。そんな公園に賑わいは要りません。
ビールを片手に大声で応援するプロバスケットボールの会場であり、ジャニーズの歌謡ショーに惑溺する劇場でもある愛知国際アリーナは公園にふさわしくありません。法律もそのようにできています。

明治神宮 100年の森。 名城公園 70年の森。どちらも人が作りました。先人の働きに感謝です。

ますます稠密になる都市には、青空が必要です。潰してしまうと決めた河村市長と大村知事は、未来に対して大罪を犯しました。政治家ですから名前が残るのはなんであっても良いのでしょうか。この10年、河村市政の名古屋はおかしなことばかり続いています。市役所の中はタテ割り組織に逃げ込む、病んだ人たちばかりです。この17日には、担当だという緑政土木局の役人に「違法」を説明してきます。一級建築士ではないので、法のなんたるかから説明できるように資料を用意していますが、病人ですので法の論理は効かないと思っています。

「アジア大会の為に、大きなアリーナがいる。」は嘘です。

愛知県のアジア大会は、水泳競技を東京に取られ、競馬場跡の選手村は頓挫しました。大阪の万博についで、「国に財政支援を求める。」のです。愛知国際アリーナは「民間企業のPFI事業30年400億円ですので、県民の税金を使わない。」と大村知事は言っていますが、「アジア大会の為に大きなアリーナがいる。」は、以下の2016年の新聞記事「すれ違い」に書かれているように嘘です。

国の土地である名城公園を名古屋市から(株)愛知国際アリーナに渡し、30年の貸借で建設費200億円を取り返すのが事業のしくみです。他のプロバスケットのホームは、そのオーナー企業、トヨタ自動車、アイシン、豊通、DNeAが儲けられると自ら建設しています。民設民営です。
大相撲、アイスショー、ジャニーズ事務所と貸し出すのですからきっと儲かるのでしょう。PFI事業は知多半島で愛知県と繋がりの強い前田建設工業グループに落ちました。違法、脱法の塊の愛知国際アリーナ事業ですので、まっとうなゼネコンは応募できません。前田建設工業グループが建設し、営業するのですから、民設民営に見えますが、これは愛知県が建設し運営する代わりに、PFI事業としたものであり、公設公営です。
国の土地であり、公園管理者の名古屋市に土地代をいくら払うのか私は知りませんが、名古屋市民の大切な公園を愛知県大村知事は召し上げ、商業施設・アリーナを作り、前田建設工業グループ、三菱電機ドルフィンズ、大相撲、アイススケート、ジャニーズ事務所に稼がせるのです。あの名古屋城木造天守と比べても、不透明極まりないこの事業の進め方には、大村知事と企業との癒着があります。
三社の応募があったとは聞いていますが、どのような案があり、審査委員がなぜこの案と決めたのか、公にはなっていません。審査委員の名前は公表されていますが、貸しホール事業のプロはいますが、都市を考えるプロはいません。7回の会議をしたとはありますが、その内容はわかりません。
栄の芸術文化センターでも、愛知県は名古屋市の公園を潰し、貸しホールとしていますが、儲かるものではありません。地方自治体がホールを作って貸し出す事を癒着とはいいません。公園を潰して、住居地域に猥雑な商業施設を作るという違法行為を、大村知事が主催し、そこで儲けさせることに、癒着があるのです。

ドルフィンズの親会社の三菱電機もプロバスケットは儲かるからとアリーナを自前の敷地、大曾根駅前に作ればよいのですが、大村知事はなぜかしら三菱電機に「ドルフィンズアリーナ」を差し出しました。
今、8カ所でプロバスケ用のアリーナが建設中ですが、公園に公設で作っているのは名古屋だけです。

2016年4月では、愛知県体育館は改善工事をして、2026年アジア大会ではバレーボール会場の予定でした。名古屋市は「二の丸から体育館は出て行け、江戸村を作る」と、すれ違いでした。2017年5月市長選に河村市長は勝ち、竹中工務店と天守2022年末竣工の契約を結び「次は二の丸の復元だ。」の思いを強め、6月の大村知事の「アリーナを新築したい。場所は名城公園だ。」をうけて10月に河村市長は了解しました。

大村知事のぶち上げたアリーナ(屋内観覧場)は、河村市政の「賑わいだ。面白い名古屋。ぎょーさん人が来る。」にピッタリ合い、二人の独裁者は市民を騙しにかかりました。それが、2019年8月4日のタウンミーテイングです。違法、脱法しなければ実現できない案でした。

愛知県の事務方は建築局でした(前田建設工業が決まり、今はスポーツ局です。)ので、名古屋市の住宅都市局と共に、公園・風致の指定解除に向かうと思っていたのですが、公園、地域地区の変更がないままに「着工」しました。よって、違法・脱法の塊のままの愛知国際アリーナとなっています。

名古屋に「民主主義」「法治主義」はありません。

独裁者ふたりによって、市民の財産である公園が潰されたのです。アリーナ(屋内競技場)を、ここに作らざるを得ない理由はありません。金山、港と名古屋の街の活性化に役立つ適地はいくつもありますが、独裁者・河村市長の思い付き「名城公園北園に出ていけ。」に、大村知事は悪乗りし、体育館の高さ2倍、規模4倍にしたアリーナ(屋内観覧場)を2019年に発表しました。
「せっかく育てた名城公園の緑を切るな。」「名古屋飛ばしをさせないアリーナを作るなら、商業地だろう。」という声が全くでてこないので、私は2019年8月にA4版46枚に論をまとめて市会議員、県会議員に送りました。
しかし、「名古屋城天守木造化事業は決まった事」と河村市長の元で病的に硬直化してきた議員はまったく動かず、市役所の役人は県庁の役人と協調して、貴重な都市公園を潰すという大罪を犯しました。

名古屋市会議員の皆様へ 「愛知県の新アリーナ建設について「都市公園」の議論を行い、市民に説明ください。」2019年8月のA4版46枚は、PDFにして、ここにアップします。

名古屋市会議員の皆様へ 2019年8月22日 壊すな!名城公園

2022年7月7日の起工式  バックの看板「愛知県新体育館」こそ、市長と知事がタッグを組んで公園を潰した証拠です。「新体育館」は市民を騙す嘘です。

岸田首相はG7議長国として「民主主義、法治主義」の国家と胸を張ります。
しかし、大村知事と河村市長の独裁をみとめている名古屋には「民主主義、法治主義」はありません。
賢明な名古屋人は、直ちに工事を取りやめさせ「杜の復活」をはからないといけません。

2022年7月7日の「愛知県新体育館」の起工式に並ぶ、大村知事と河村市長
大相撲の八角親方、プロバスケのドルフィンズのオーナーである三菱電機社長と、入場料で風ぐ前田建設グループが知事、市長と祝いました。県民のするスポーツでなく、みるスポーツ、娯楽施設です。アリーナ(屋内競技場)は体育館でなく興行場です。興行場は公園には作れませんので、看板「新体育館」は市民を騙すためのものです。

名古屋市は「愛知県体育館の移転」と市民に説明し「愛知県新体育館」と呼称していますが、建築用途は「屋内観覧場」です。ビールを飲んで騒ぐ娯楽施設であり、劇場、映画館、演芸場、観覧場、ナイトクラブの類ですので、商業地域(近隣商業、準工業も可)に建てるものであり、住居地域・公園には建てられません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました