この新聞記事から天守木造化は始まった。/20150608newspaper
本丸御殿の復元では、私は少し寄付金も出し、建築基準法3条を利用しての「準防火地域であるが、燃える杮葺きの屋根、板壁とする。」事も、制振ダンパー、鉄骨ブレースが入り、屋内消火栓がついていることも知っていました。
河村市長が立候補したときは「本丸御殿は前市長のプロジェクトであり、見直す。」でしたが、急にエンジンをかけ、企業から寄付金を集め税金を投入して一気に作ってしまいました。当初の方針は「工事は市民に見ていただき、伝統木造工法・本御殿復元への理解を得て、市民から寄付金を集めつつゆっくり行う。」でしたのに。
本丸御殿完成の見学会で、河村市長が突然「あの天守も木造にしようか。」と支持者に向かって言い、そこで大歓声を受けたのが河村市長の木造天守復元のヒラメキの一瞬だったと市会議員から聞いています。
平屋建ての本丸御殿復元130億円とは比較にならない、6層の大天守復元です。史実に忠実な復元では、現代の法に照らして安全とはなり得ません。そして、なによりオヤジが寄付したコンクリート天守です。戦後復興のシンボルとして、名古屋大空襲8000人の犠牲者と共に永久に残さないといけないと、以下を議会あてに書きました。
「名古屋城天主を木造で再建する。」に反対します。2015年6月8日 facebook記 高橋和生